神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

病いと文学。

2017年12月02日 | キリスト教
(※J・R・R・トールキンの「指輪物語」について、重大なネタバレ☆があります。注意して閲覧してくださいねm(_ _)m)


 以前、このブログの中で、J・R・R・トールキンの「指輪物語」のことに触れたことがあったんですけど……実はわたし、映画のほうを見て再びこの「指輪物語」を読んだ時――何故か「がん」という病気のことを連想してしまいました(^^;)

 いえ、トールキンの「指輪物語」はファンタジーの金字塔とよく言われるとおり、文学的にとても素晴らしいのと同時、とても長~いだけに、読むのが結構骨です(あ、本を読むのが大好きな方の中には「あんまり面白くって途中からは一気に最後まで読んだ……といった強者の方もいらっしゃると思います)。

 この中で描かれているのは、いわゆるファンタジーによくある光と闇の戦いということだとは思うのですが、設定のほうがとても特殊だと思うんですよね。まず、人間よりも背が低く、つまりは普通に考えて人間よりも弱いのではないかと感じる種族、ホビットが主人公です。

 冥王サウロンの指輪をビルボから継承したフロドは、他の仲間のホビットたちとともに、それを冥王サウロンのお膝元のような闇の国、モルドールにある滅びの山にまで捨てにいきます(この指輪は冥王サウロンの強い魔力を帯びているがゆえに、人間的に考えたどのような方法によってでも破壊するということが出来ません)。

 あの~、わたし、フロドってたとえば抗がん剤とか分子標的薬とか、そういうものを持って、闇の国――がん病巣にまでがんが消える魔法の薬というか、何かそうしたものを運んでいるように読めて仕方ありませんでした

 途中には、ゴブリンなどの危険な怪物のいる洞窟などがあり、フロドたち一行はそうした難所をいくつも潜り抜けて、ようやくのことで最後、滅びの山の亀裂にまで、サウロンの指輪を捨てにゆきます。

 旅の中で、同行者の魔法使いのガンダルフが死んだかのように思われる場面があるのですが、ああいうところもわたしには彼がゴブリンといったがん細胞というより、がん幹細胞のほうをやっつけて、再び甦ってきた……といったように読めて仕方ないのです。

 しかも、フロドと彼に仕えるサムワイズ・ギャムジーには、鬱陶しいばかりに彼らに張りついているゴラム(ゴクリ)までいます。つまり、わたし的にはがんが治るために運んでいる魔法の指輪を絶えず舌なめずりしながら狙っている魔物がいる……といったように読めて仕方ないわけですよ(^^;)

 さらに、物語の最後は彼が滅び、また同時にフロドとサムも死ぬほどの憂き目にあうわけですが、どうにかギリギリのところで救われる……というところにも、何かがんという病いとの戦いを連想させるところがあるんですよね。

 その後、フロドがサウロンの指輪を長く持ち続けた後遺症からなかなか回復して来ないというところも……がんとの病いでもはやすっかり疲れきったといったようにも感じられ、さらに灰色港からフロドが旅立つところも――何か天国にも近いような場所へ旅立つように読めて、何かとても感慨深いのです

 こんなふうな読み方をするのは、もしかしたらわたしだけかもしれませんが、よくがんなどになって死が押し迫ってきた時……この世界に対する見方が変わることがあるって言いますよね。野原を見ても、それまではただ<緑>といったように一括りで見てきたものが、実は一本一本微妙に違う<緑>であって、それぞれの生命力で輝いている……といったように感じられるっていうようなことなんですけど……。

 そしてそういう時に、聖書のヨブ記とか詩篇を読むことは、魂にとても力を受けることですし、他にもその時の自分の心情にぴったりの詩の言葉や小説などとの出会いって、とても大切なことのような気がするのです。

 ここのブログの中でも紹介した、エミリー・ディキンスンの詩には<死>を扱ったものがとても多いですし、彼女と同時代人の詩人にウォルト・ホイットマンという方がいるのですが、今回は彼の詩を紹介して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!


 >>かれらは、どこかで生きていて元気なのだ。
 いちばん小さな芽が生えても、死ぬということが、
 ほんとは無いのだと、見えてくる。
 そして死ぬことが、もしあったとしても、それは命を押しすすめたので、
 命を終点で引っとらえようと、待つのではない。
 そして、途絶えると同時に、命が現われ出てきたのだ。

 あらゆるものは、前へ、外へと、進み何ひとつ崩れさらない。
 そして、死ぬということは、だれもが思ったのと異なり、
 ずっと幸せなのだ。

(『ホイットマン詩集』木島始さん訳編/思潮社より)





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