神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

べテスダの池。

2015年10月14日 | キリスト教
【べテスダの池で体の麻痺した人を癒すキリスト】バルトロメ・エステバン・ムリーリョ


 お話のほうは、まだ『少女パレアナ』の途中なのですが、前回【3】のところでスノー夫人のことを書いていて、聖書のある箇所のことを思いだしたので、今回は先にそのお話をと思いますm(_ _)m


 >>ベテスダの池。

 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でべテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。

 その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。

[彼らは水の動くのを待っていた。
 主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。]

 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。

 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。

「よくなりたいか」

 病人は答えた。

「主よ。私には水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです」

 イエスは彼に言われた。

「起きて、床を取り上げて歩きなさい」

 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。

(ヨハネの福音書、第5章2~9節)


 前に牧師さんの書かれた文章か何かで、>>「よくなりたいか」ですって?良くなりたいに決まっているじゃ、あーりませんか!という文章を読んだ記憶があるのですが、本当にそのとおりだと思います。

 三十八年もの間、病気でいたということは、この方はおそらく結構な高齢だったのではないでしょうか。あるいは、ごく若い頃からその病気であったにしても、四十いくつとか、五十いくつくらいではなかったかと想像されます。

 三十八年……その間ずっと、この方がべテスダの池がかき回された時にそこへ入っていくことを待ちわびていたかどうかはわかりませんが、それでも相当長きに渡ってその瞬間が我が身に訪れはしまいかと待っていたことだけは間違いありません。

 そして、体の麻痺している方に対してひどい言い種とは思うのですが、わたしが勝手に思うに――イエスさまの「よくなりたいか」という言葉の裏には、「良くなっても良くならなくても神さまに感謝できますか?」ということが隠されているような気がするんですよね(^^;)

 でもおそらく、わたしでもまったく同じだったでしょうが、「この病気が良くならない限りは神に感謝など出来ない」と誰もがそう思うと思います。「そもそも病気になったことからして、神のせいだ。何故神のやつはわたしをこんな惨めな状態で放っておいて、他の連中が先に池へおりていくようにさせるのだ」……わたしがこの方であったらば、そう思っていた可能性もあります。

 また同時に、三十八年もの間、同じ病いに伏し続けるということは、ある部分自分の人生をすでに達観して見ていたかもしれません。明日もまた、べテスダの池へ行こう。どうせまた誰か別の人間が先に池へおりていくことはわかっている。でももしかしたら、神さまが哀れんでくださるなら、この病いが良くなることもあろう……そしてこの方は実際に、そうした信仰があったればこそ、イエスさまに病い癒され、床を上げて歩くことが出来たのだと思います。

 ところで、スノー夫人に関しては、次のような描写が第八章にあります。

 >>「わたしがきれいですって?」

 病人はにがい調子で言いました。

「そうよ。ご存じなかったんですか?」

「知りませんでしたね」

 スノー夫人はそっけない調子で答えました。この人は四十になっていましたがこの十五年間というもの、あるがままの自分の境遇の中から喜びをさがすかわりに、それに不平を並べたてて、いつでもちがったことを望んでいつでも小言三昧で暮らしてきました。

(『少女パレアナ』エレナ・ポーター著、村岡花子さん訳/角川文庫より)

 この時四十歳だったということは、スノー夫人は二十五歳という至極若い時からずっと病いに臥せってきたのでしょう。

 人は、三十八年とまでは言わなくとも、もし十五年も同じ状態が続いたとしたら、「もう今もこれからも、死ぬまでこの状況は変わるわけがない」と思うのではないでしょうか。

 けれど、パレアナという子供の訪問があったことで、スノー夫人の心の中には突然、「どんなことでも喜ぶ」という、神さまに対する感謝や讃美の気持ちがやがては湧き上こったのだと思います。

 ここから、マーリン・キャロザースさんの「感謝と讃美の教え」のことに話を移したいと思うのですが、マーリンさんの著書である『讃美の力』の中に、こんなエピソードがあります。


 >>彼女は生まれつき手が片方しかありませんでした。そして、他の子供たちと違うことが自分でもわかりはじめた年頃からずっと、スカーフかストールを手首にかけて、そのハンディキャップを隠してきたのでした。彼女は自分の不具を絶えず意識し、苦しんでいました。年頃になると、その苦悩を忘れるために酒を飲みはじめました。

 私(マーリン・キャロザースさん)に次の手紙をくださった時、彼女は五十六歳でした。

「六か月前、私は妹のところを訪ねました。妹はテープをかけて、自分の生涯のあらゆる問題や悲劇を神に感謝するというあなたのお話の録音を聞かせてくれました。それを聞いているうちに、私は誰かにおなかのあたりをなぐられたように感じました。むかつきを覚えたのです。長年の間、自分の不運を神に恨んできたあとで、それを神に感謝するなどという気にはなれませんでした。私は祈りました。『主よ、お忘れください。お酒をやめさせてくださったことは感謝します。しかし手のないことの不運をあなたに感謝することはできません』

 ところが、どんなにしてみても神に感謝するという考えを心から振り切ることはできませんでした。それが昼も夜も私を悩ませました。私は祈りました。『主よ、どうぞ私にかまわないでください。あなたのためには何でもいたします。しかしこの事だけはできません。どうしてもできません』

 それでもなお、私は安らぎを得られませんでした。もう一度、そのテープをかけて聞きました。今度は、前のときに聞き落としていたところに気がつきました。『若い兵士とその妻が、自分たちをおびやかす恐ろしいことに直面していた。彼らはそのことを感謝できなかった。それでもやってみようと決意した。そのあと、いろいろなことが変わってきた』というようなことをあなたは話されました。そのころ私は、少しでも心の安らぎが得られるなら、どんなことでもしてみようと思うようになっていました。それで神さまに、『感謝できないに決まっていますが、感謝してみようと思います』と申し上げました。するとその途端、長年の重荷が両肩から転がり落ちたかのようでした。私は主を讃美しはじめました。涙が流れました。

 ちょうど讃美歌に、『天が下ってきて、栄光が私を満たした』とあるとおりでした。その喜びのただ中で主は私に言われました。『ちょっと待ちなさい。まだ終わっていません』私は座り直しました。いったいこれ以上何があるのだろうか。今、自分を全く捧げて、今までずっと憎み続けてきた自分の不具を、神さまに感謝したばかりなのに……と思いました。しかし私の頭に、非常にはっきりと次の言葉が浮かんできました。

『あなたの手首にストールやスカーフをもうかけるべきではありません』

 私は即座に緊張を覚え、不満な気持ちで言いました。

『いいえ、主よ、それはあんまりです。それはお許しください』

『あなたがそれを隠しているうちは、本当には感謝していないのです。まだ恥じているのです』

 と優しくとがめる声がきました。涙ながらに私は承服し、そして約束しました。

『そうするように努めてみます。けれども、そう出来るようにあなたが力をお与えください』

 その次の外出は、陪審員の役目に呼ばれた時でした。私は身支度して、無意識にストールのほうへ手を伸ばしました。

 その瞬間、警告が響きました。

『だめです。だめです!』

『よろしい、神さま。ストールなしで出かけます。でも、取りに帰らないという約束はしません』

 と私は言いました。

 生まれて初めて、私は片手のないのを隠すおおいなしに玄関の外に踏みだしたのです。

 ドアを閉めるやいなや、決まりの悪さ、恥かしさ、罪の感じは洗い去られてしまいました。

 本当に自由であるということはどういうことなのかを、私は生まれて初めて知りました。

 ありのままの私を神さまは愛してくださっていることを知ったのです。主は素晴らしいお方です」

(「讃美の力」マーリン・キャロザースさん著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)


 神さまの御名を讃美します。

 それではまた~!!





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