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【堕天使を駆逐する聖ミカエル】ラファエロ・サンツィオ
さて、今回はわたしの大好きな詩人、エミリー・ディキンスンの紹介です♪(^^)
エミリーの生きた時代は、1830~1886年ですから、モンゴメリが1874年生まれであることを考えると、時代的にはほんの少しだけ重なった時間を生きた……ということになるでしょうか。
といっても、エミリー・ディキンスンは1700篇以上もの詩を残し、今では<天才詩人>の名を思うままにしていますが、生前はまったくの無名でした。その理由は色々あるかと思うのですが、今回はディキンスンの宗教観というか、信仰の面を特に取り上げたいと思っているので、詩人論的なことに関しては、またいずれ機会があればと思っていますm(_ _)m
きっと悲しみや
喪失に似たものにちがいない
気高い美の方へ
目を向けることは
だが ひとたび目を傾ければ
鍾乳石のように
まれな
喜びを認める
ありふれた喜びなら
もっとわずかな代償で手に入るだろう
その値いは
恩寵にひとしい
主イエスは少しも
無駄使いと思われなかった
十字架の代償を払うことを
(『ディキンスン詩集』新倉俊一さん訳編/思潮社刊より)
エミリーもまた、モンゴメリと同じく相当信仰深い性格をしていたと思うのですが、彼女は生涯洗礼を受けなかったといいます。
エミリーの書いた、キリストや信仰についての詩を読むと、彼女がとても信仰心の厚い女性だったとわかるものの、何故エミリーが洗礼を受けていなかったり、彼女の生まれ育った地域では<信仰復興運動>が当時盛んであったにも関わらず、すぐそこへ参加しようとしなかったのか――ということの理由のひとつに、どうもエミリーは「地獄が信じられなかった」ということがあるらしいんですよね(^^;)
つまり、エミリーは「天国を信じるのは容易だけれども、地獄には賛同しかねる」という思想の持ち主だったようなのです。
十代の頃、エミリーの通っていた学校で、<キリストを受け容れる>告白が促された時、次から次へと他の女生徒たちが信仰告白していく中で、彼女は最後まで居残っていたというエピソードがあるのですが、これもまた普通では考えにくいことだったでしょう。
何故といって、エミリーの父も母も敬虔な信仰心を持っていましたし、彼女には仲のいい兄と妹がいるのですが、彼らもまた<信仰復興運動>ということについて、とても真面目に考え、そこに参加していたようですから――そういう中でエミリーが、<信仰告白>をあえてしなかった……というのは、これほど信仰深い性格なのに何故、と彼女の生涯について知るファンにはとても不思議なことです。
時として、あまりに信仰深すぎると、まわりの人から見て「あの人はちょっとどうなんだろう☆」と思われることがありますが、おそらくエミリー・ディキンスンもそのタイプだったのではないでしょうか。結局のところ、<洗礼>や<信仰告白>というのは、心の中で堅く確信していることの外的な表明という部分もありますし、『心の中で堅く確信している』ということが重要なのであって、「あと、キリストを主と告白してないのはあなただけですよ」と学校の先生が半ば強制する形で信仰告白するのは少し違うことだ……という反発心が、もしかしたらエミリーにはあったのかもしれません。
そしてエミリーはおそらく、「天国については即座にイエスと言えるけれども、地獄についてはノーと言いたい」といったような心理がどこかにあって、あえて<信仰告白>しなかったという可能性もあるのではないかという気がします。
キリスト教神学では、天国と地獄はあくまでセット販売(?)であって、このふたつを切り離すということが出来ません。
これもわたし個人の勝手な想像ですが、エミリーはおそらく死後地獄へ墜ちて永遠に苦しむ魂のことを思うと、そのことには賛同出来ない……といった考えではなかったかとも思うんですよね。
なんと言いますか、自分さえ天国へ行ければよいですとか、地獄へ堕ちるような連中はそれだけのことを生前にしたのだろうから放っておけとか、そうした考えというのはエミリーには受け容れ難かったのではないかという気がします。やっぱり、死後裁かれて、罰を受けたのちは天国の最下層(?)にでも置いていただけるとか、そうした思想ならば受け容れられるにしても、死後永遠に苦しむというのは――そしてそんな場所へ誰かが行くということなどは、彼女のように清らかな魂の持ち主には受け容れ難いことだったのではないかという気がします。
ところで、エミリーは一風変わった恋愛詩を書き綴っていることでも有名なのですが、彼女が詩を書くにあたって詩神のひとりであったろうと言われる男性に、チャールズ・ワズワース牧師という方がおり、はっきりしたことはわからないものの、彼はエミリーが持つこうした信仰的矛盾を解消してくれた人物だったのではないかと思われます。
わたしがいつも愛してきたことを
あなたに証しましょう
あなたを愛するまでは
ほんとうに生きてこなかったと――
いつまでも愛しつづけることを
あなたに説いてみましょう
愛は生命で
生命は不滅だからと――
もしこれを疑うなら、いとしい方よ
もうなにも
見せるものはありません
ただカルヴァリのほかには――
(『ディキンスン詩集』新倉俊一さん訳編/思潮社刊より)
エミリーのワズワース牧師への思いというのは、ある種理想化された半ば空想的な想いではなかったかと思われるのですが、彼女にとってワズワース牧師の言葉が信仰面における<救い>や<贖い>と密接に関わっていたとすれば、詩を創作する時に与えられる創作的エクスタシーと宗教が与えるエクスタシーというのは似たところがありますから、実際には実体のない詩神に、かりそめの肉体を与えて恋をすることで――エミリーは詩に対する創造性をより高めていたところがあるような気がします。
もっとも、詩神(ミューズ)などといっても、キリストの他にそのようなギリシャ神話的神をも信仰している……といったこととはまるで別のことなのですが、信仰深かった彼女は、おそらくその矛盾にも敏感に気づいていたのではないでしょうか。
つまり、エミリーは試作の最盛期には、ほとんど取り憑かれるようにして詩を書き綴っていたと思うのですが、こうした心理状態の時にも<神を第一にするのか>、<でも詩作の霊が来ている>との狭間で信仰深い人というのは悩むものなんですよね(^^;)
たとえば、新約聖書に収められている詩篇は何度読んでも素晴らしいものですが、信仰に関する詩を書くのであれば、そうした自己矛盾は生じません。けれど、ダビデやソロモンが<神からの霊>によっておそらくは詩を書いたように、何か信仰に関することで詩を創作するというのであれば、何も問題はないものの――ほとんど<霊的>としか思われないような創作的エクスタシー、ないしは創造的エネルギーに満たされて、あまり神さまや信仰に関係のないことを書き綴るのには、少しばかりの後ろめたさを感じる……とでもいうのでしょうか。
簡単にいえば、心の中に神殿をふたつ持つことは悪なのか、とでも言えばわかりやすいかもしれません。日本は八百万の神を信仰する偶像大国なので、神さまの数は多ければ多いほど「ありがたや~☆」というお国柄だと思います。でもキリスト教というのは一神教で偶像崇拝を禁止していますから、ひとつはキリストによる聖霊の宮としての神殿、そしてもうひとつは名もなき神とでも呼びたいような詩神(ミューズ)を奉った神殿が、何故かその少し下のほうにある……といったようなことです。
もちろん、厳格にキリスト教の教えを説く牧師さんであれば、「いけないよ
」とおっしゃるかもしれません。けれど、わたし個人の考えとしては、こうしたことというのは、そんなに深刻に捉えることではないような気がしています。たとえば、クリスマスは本当のイエスさまの誕生日ではありませんが、イエスさまの存在とサンタクロースの存在を心の中で両立させている人はたくさんいると思います。また、わざわざ「妖精などいない」と言って歩くことが、神さまに忠実に仕えることになると考える人もいないでしょう(笑)
詩神(ミューズ)という存在も言わば、このサンタクロースや妖精と同じようなものだと思います。確かに誰もその姿を見た者はいないかもしれないけれども、ダンテの元にこのミューズがやって来て『神曲』のような大作を書かせたのだろうとか、ダヴィデの像を彫刻した時、ミケランジェロはまさしく詩神に憑依されていたに違いない……といったようなこととして、多くの方が理解していることなのですから。
けれど、エミリーにはこうした芸術的な事柄に関して相談できそうな人が誰もいませんでした。彼女の内に詩神を目覚めさせるきっかけを作ってくれた青年――ベンジャミン・フランクリン・ニュートンはその後若くして亡くなってしまいましたし、その後エミリーは再び自分が<先生>として求められそうな人物を探していたのでした。
そして、トーマス・ウェントワース・ヒギンスンという評論家の方に、自分の詩を送り、自分の詩が<息をしているかどうか>と手紙で訊ねたのですが、彼からは「出版には向かない」との返事が来てしまいます。このことが、エミリーが生涯を天才でありながら無名で過ごしたことの一番の要因かと思いますが、人生というのは本当に複雑なものだという気がするんですよね(^^;)
このヒギンスンのことを、天才の資質を見抜けなかった愚かなまぬけ者と揶揄したい気持ちはわたしにもありますが、おそらく今天国にあって、エミリーはそのことをとても喜んでいるのではないかと思うのです。わたしも、エミリーは生きている間に<天才詩人>の名を思うままに享受すべきだったし、神さまはなんて意地悪なんだろう……と感じる部分も確かにあります。けれど、<永遠>という天国の視点から見た場合、彼女はそのことによってこそ、より多くの人の魂を詩を通して救ったのではないかと思うからです。
また、人生の半ばで詩人として成功していたとすれば、その後のエミリーの詩作の内容もかなり変わっていたのではないでしょうか。もちろん、世に出ることで、ますます詩の霊に満たされて1700編どころか、彼女は3000余りもの詩を後世の人々に残した……ということもありえたかもしれません。
けれど、そうしたこととは関係なく、エミリーは内気な性格で(なんにしても、外面的にはそのように見えたことでしょう)、人生の半ばで自宅の屋敷に引きこもるという隠遁生活を送った女性ですから、成功=幸福といったようには、必ずしも結びつかなかったかもしれません。そして、エミリーのそうした傾向というのは、神経症的なものでなかったかと推測されているのですが、彼女の内に篭もる傾向というのは、教会へも通えぬほどに強いものとなっていったようです。
これはもちろん、詩神などというものにうつつを抜かしているから、真実なる神から離れることになった……ということではまったくないんですよね。エミリーの場合は一種、外出恐怖症にも近いもので、Aという場所へ行きたいが行けない――といった事柄の中に、教会という場所も含まれていたと考えたほうが妥当だと思います(^^;)
そして生来からが、本当は信仰深い人が教会へも行かれない、というのは本当に苦しいことなのです。現在でいってみれば、一般にいう<引きこもり>と同じ状態とも言えるかもしれません。外へ出ていきたいが出ていけないという、激しい自己矛盾の葛藤が常に心の内にある状態だったのではないでしょうか。
とはいえ、エミリーには詩作や、その他家庭での仕事もありましたから、周囲に自分の天才性を理解してはもらえぬという環境でも、小さなことに愛をこめ、詩作を通して魂の世界の天頂へと飛翔するという、豊かな精神生活をその生涯の終わりの日まで送り続けました。
ディキンスンについては書きたいことがありすぎて、とても一度の記事ではまとめきれないのですが、もし彼女が地獄というものを信じられなかったとしたら、では天国についてはどう考えていたのか――ということを示唆する詩を最後にご紹介して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
天国へ行くのですよ!
いつなのかはわからないけれど――
どんな風に行くなどと尋ねないで!
まごついてしまって
お返事が考えられそうにない
でも 天国に行くんです!
はっきりしないとお思いでしょうね
だけど 羊たちが夜になると
間違いなく飼い主の腕の中へ帰って行くように
きっと果たされるのです!
あなたも行かれるでしょうね!
でも誰にそんなことがわかるでしょう
もし先に行かれたら
ほんの少し 私に場所を取っておいて下さいね
私の失くした二人の方の近くに――
その時は 一番小さな「衣」が私に似合うでしょうし
それに「冠」をひとかけらほど――
なぜって 家に戻るときは
服装など構わないのですから――
天国を信じられなくてもいいんです
なぜなら 行けると思うと息が止まってしまいそうですから――
そして私はまだもう少し見ていたい
この奇妙な地上を!
天国を信じたあの人たちを嬉しく思います
あの力強い秋の午後
地中にあの人たちを残したとき以来
私の再び見出せないあの人たちを――
(『エミリ・ディキンスン詩集~自然と愛と孤独と~第4集』中島完さん訳/国文社刊)
さて、今回はわたしの大好きな詩人、エミリー・ディキンスンの紹介です♪(^^)
エミリーの生きた時代は、1830~1886年ですから、モンゴメリが1874年生まれであることを考えると、時代的にはほんの少しだけ重なった時間を生きた……ということになるでしょうか。
といっても、エミリー・ディキンスンは1700篇以上もの詩を残し、今では<天才詩人>の名を思うままにしていますが、生前はまったくの無名でした。その理由は色々あるかと思うのですが、今回はディキンスンの宗教観というか、信仰の面を特に取り上げたいと思っているので、詩人論的なことに関しては、またいずれ機会があればと思っていますm(_ _)m
きっと悲しみや
喪失に似たものにちがいない
気高い美の方へ
目を向けることは
だが ひとたび目を傾ければ
鍾乳石のように
まれな
喜びを認める
ありふれた喜びなら
もっとわずかな代償で手に入るだろう
その値いは
恩寵にひとしい
主イエスは少しも
無駄使いと思われなかった
十字架の代償を払うことを
(『ディキンスン詩集』新倉俊一さん訳編/思潮社刊より)
エミリーもまた、モンゴメリと同じく相当信仰深い性格をしていたと思うのですが、彼女は生涯洗礼を受けなかったといいます。
エミリーの書いた、キリストや信仰についての詩を読むと、彼女がとても信仰心の厚い女性だったとわかるものの、何故エミリーが洗礼を受けていなかったり、彼女の生まれ育った地域では<信仰復興運動>が当時盛んであったにも関わらず、すぐそこへ参加しようとしなかったのか――ということの理由のひとつに、どうもエミリーは「地獄が信じられなかった」ということがあるらしいんですよね(^^;)
つまり、エミリーは「天国を信じるのは容易だけれども、地獄には賛同しかねる」という思想の持ち主だったようなのです。
十代の頃、エミリーの通っていた学校で、<キリストを受け容れる>告白が促された時、次から次へと他の女生徒たちが信仰告白していく中で、彼女は最後まで居残っていたというエピソードがあるのですが、これもまた普通では考えにくいことだったでしょう。
何故といって、エミリーの父も母も敬虔な信仰心を持っていましたし、彼女には仲のいい兄と妹がいるのですが、彼らもまた<信仰復興運動>ということについて、とても真面目に考え、そこに参加していたようですから――そういう中でエミリーが、<信仰告白>をあえてしなかった……というのは、これほど信仰深い性格なのに何故、と彼女の生涯について知るファンにはとても不思議なことです。
時として、あまりに信仰深すぎると、まわりの人から見て「あの人はちょっとどうなんだろう☆」と思われることがありますが、おそらくエミリー・ディキンスンもそのタイプだったのではないでしょうか。結局のところ、<洗礼>や<信仰告白>というのは、心の中で堅く確信していることの外的な表明という部分もありますし、『心の中で堅く確信している』ということが重要なのであって、「あと、キリストを主と告白してないのはあなただけですよ」と学校の先生が半ば強制する形で信仰告白するのは少し違うことだ……という反発心が、もしかしたらエミリーにはあったのかもしれません。
そしてエミリーはおそらく、「天国については即座にイエスと言えるけれども、地獄についてはノーと言いたい」といったような心理がどこかにあって、あえて<信仰告白>しなかったという可能性もあるのではないかという気がします。
キリスト教神学では、天国と地獄はあくまでセット販売(?)であって、このふたつを切り離すということが出来ません。
これもわたし個人の勝手な想像ですが、エミリーはおそらく死後地獄へ墜ちて永遠に苦しむ魂のことを思うと、そのことには賛同出来ない……といった考えではなかったかとも思うんですよね。
なんと言いますか、自分さえ天国へ行ければよいですとか、地獄へ堕ちるような連中はそれだけのことを生前にしたのだろうから放っておけとか、そうした考えというのはエミリーには受け容れ難かったのではないかという気がします。やっぱり、死後裁かれて、罰を受けたのちは天国の最下層(?)にでも置いていただけるとか、そうした思想ならば受け容れられるにしても、死後永遠に苦しむというのは――そしてそんな場所へ誰かが行くということなどは、彼女のように清らかな魂の持ち主には受け容れ難いことだったのではないかという気がします。
ところで、エミリーは一風変わった恋愛詩を書き綴っていることでも有名なのですが、彼女が詩を書くにあたって詩神のひとりであったろうと言われる男性に、チャールズ・ワズワース牧師という方がおり、はっきりしたことはわからないものの、彼はエミリーが持つこうした信仰的矛盾を解消してくれた人物だったのではないかと思われます。
わたしがいつも愛してきたことを
あなたに証しましょう
あなたを愛するまでは
ほんとうに生きてこなかったと――
いつまでも愛しつづけることを
あなたに説いてみましょう
愛は生命で
生命は不滅だからと――
もしこれを疑うなら、いとしい方よ
もうなにも
見せるものはありません
ただカルヴァリのほかには――
(『ディキンスン詩集』新倉俊一さん訳編/思潮社刊より)
エミリーのワズワース牧師への思いというのは、ある種理想化された半ば空想的な想いではなかったかと思われるのですが、彼女にとってワズワース牧師の言葉が信仰面における<救い>や<贖い>と密接に関わっていたとすれば、詩を創作する時に与えられる創作的エクスタシーと宗教が与えるエクスタシーというのは似たところがありますから、実際には実体のない詩神に、かりそめの肉体を与えて恋をすることで――エミリーは詩に対する創造性をより高めていたところがあるような気がします。
もっとも、詩神(ミューズ)などといっても、キリストの他にそのようなギリシャ神話的神をも信仰している……といったこととはまるで別のことなのですが、信仰深かった彼女は、おそらくその矛盾にも敏感に気づいていたのではないでしょうか。
つまり、エミリーは試作の最盛期には、ほとんど取り憑かれるようにして詩を書き綴っていたと思うのですが、こうした心理状態の時にも<神を第一にするのか>、<でも詩作の霊が来ている>との狭間で信仰深い人というのは悩むものなんですよね(^^;)
たとえば、新約聖書に収められている詩篇は何度読んでも素晴らしいものですが、信仰に関する詩を書くのであれば、そうした自己矛盾は生じません。けれど、ダビデやソロモンが<神からの霊>によっておそらくは詩を書いたように、何か信仰に関することで詩を創作するというのであれば、何も問題はないものの――ほとんど<霊的>としか思われないような創作的エクスタシー、ないしは創造的エネルギーに満たされて、あまり神さまや信仰に関係のないことを書き綴るのには、少しばかりの後ろめたさを感じる……とでもいうのでしょうか。
簡単にいえば、心の中に神殿をふたつ持つことは悪なのか、とでも言えばわかりやすいかもしれません。日本は八百万の神を信仰する偶像大国なので、神さまの数は多ければ多いほど「ありがたや~☆」というお国柄だと思います。でもキリスト教というのは一神教で偶像崇拝を禁止していますから、ひとつはキリストによる聖霊の宮としての神殿、そしてもうひとつは名もなき神とでも呼びたいような詩神(ミューズ)を奉った神殿が、何故かその少し下のほうにある……といったようなことです。
もちろん、厳格にキリスト教の教えを説く牧師さんであれば、「いけないよ
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詩神(ミューズ)という存在も言わば、このサンタクロースや妖精と同じようなものだと思います。確かに誰もその姿を見た者はいないかもしれないけれども、ダンテの元にこのミューズがやって来て『神曲』のような大作を書かせたのだろうとか、ダヴィデの像を彫刻した時、ミケランジェロはまさしく詩神に憑依されていたに違いない……といったようなこととして、多くの方が理解していることなのですから。
けれど、エミリーにはこうした芸術的な事柄に関して相談できそうな人が誰もいませんでした。彼女の内に詩神を目覚めさせるきっかけを作ってくれた青年――ベンジャミン・フランクリン・ニュートンはその後若くして亡くなってしまいましたし、その後エミリーは再び自分が<先生>として求められそうな人物を探していたのでした。
そして、トーマス・ウェントワース・ヒギンスンという評論家の方に、自分の詩を送り、自分の詩が<息をしているかどうか>と手紙で訊ねたのですが、彼からは「出版には向かない」との返事が来てしまいます。このことが、エミリーが生涯を天才でありながら無名で過ごしたことの一番の要因かと思いますが、人生というのは本当に複雑なものだという気がするんですよね(^^;)
このヒギンスンのことを、天才の資質を見抜けなかった愚かなまぬけ者と揶揄したい気持ちはわたしにもありますが、おそらく今天国にあって、エミリーはそのことをとても喜んでいるのではないかと思うのです。わたしも、エミリーは生きている間に<天才詩人>の名を思うままに享受すべきだったし、神さまはなんて意地悪なんだろう……と感じる部分も確かにあります。けれど、<永遠>という天国の視点から見た場合、彼女はそのことによってこそ、より多くの人の魂を詩を通して救ったのではないかと思うからです。
また、人生の半ばで詩人として成功していたとすれば、その後のエミリーの詩作の内容もかなり変わっていたのではないでしょうか。もちろん、世に出ることで、ますます詩の霊に満たされて1700編どころか、彼女は3000余りもの詩を後世の人々に残した……ということもありえたかもしれません。
けれど、そうしたこととは関係なく、エミリーは内気な性格で(なんにしても、外面的にはそのように見えたことでしょう)、人生の半ばで自宅の屋敷に引きこもるという隠遁生活を送った女性ですから、成功=幸福といったようには、必ずしも結びつかなかったかもしれません。そして、エミリーのそうした傾向というのは、神経症的なものでなかったかと推測されているのですが、彼女の内に篭もる傾向というのは、教会へも通えぬほどに強いものとなっていったようです。
これはもちろん、詩神などというものにうつつを抜かしているから、真実なる神から離れることになった……ということではまったくないんですよね。エミリーの場合は一種、外出恐怖症にも近いもので、Aという場所へ行きたいが行けない――といった事柄の中に、教会という場所も含まれていたと考えたほうが妥当だと思います(^^;)
そして生来からが、本当は信仰深い人が教会へも行かれない、というのは本当に苦しいことなのです。現在でいってみれば、一般にいう<引きこもり>と同じ状態とも言えるかもしれません。外へ出ていきたいが出ていけないという、激しい自己矛盾の葛藤が常に心の内にある状態だったのではないでしょうか。
とはいえ、エミリーには詩作や、その他家庭での仕事もありましたから、周囲に自分の天才性を理解してはもらえぬという環境でも、小さなことに愛をこめ、詩作を通して魂の世界の天頂へと飛翔するという、豊かな精神生活をその生涯の終わりの日まで送り続けました。
ディキンスンについては書きたいことがありすぎて、とても一度の記事ではまとめきれないのですが、もし彼女が地獄というものを信じられなかったとしたら、では天国についてはどう考えていたのか――ということを示唆する詩を最後にご紹介して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
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天国へ行くのですよ!
いつなのかはわからないけれど――
どんな風に行くなどと尋ねないで!
まごついてしまって
お返事が考えられそうにない
でも 天国に行くんです!
はっきりしないとお思いでしょうね
だけど 羊たちが夜になると
間違いなく飼い主の腕の中へ帰って行くように
きっと果たされるのです!
あなたも行かれるでしょうね!
でも誰にそんなことがわかるでしょう
もし先に行かれたら
ほんの少し 私に場所を取っておいて下さいね
私の失くした二人の方の近くに――
その時は 一番小さな「衣」が私に似合うでしょうし
それに「冠」をひとかけらほど――
なぜって 家に戻るときは
服装など構わないのですから――
天国を信じられなくてもいいんです
なぜなら 行けると思うと息が止まってしまいそうですから――
そして私はまだもう少し見ていたい
この奇妙な地上を!
天国を信じたあの人たちを嬉しく思います
あの力強い秋の午後
地中にあの人たちを残したとき以来
私の再び見出せないあの人たちを――
(『エミリ・ディキンスン詩集~自然と愛と孤独と~第4集』中島完さん訳/国文社刊)
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