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【ヘラクレスとアトラス】ルーカス・クラナッハ
ちょっと色々ありまして、随分長く更新できませんでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
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でも一応、クリスマス前にその記事を用意していたり、その他書きかけの文章であればいくつかあったのですが――その間も世の中はコロナ・コロナでとても大変で。。。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_deject.gif)
それで、ですね。実はこれ、わたし自身はかなり前から思ってたことなのですが、たぶん、わたしと同じくなんらかの神経症の症状を持っている方にとって――「えっ!?今の世界の状況って、神経症の世界そのもののような……
」と感じておられる方って多いのではないでしょうか。
神経症と聞くと、「神経質な人がなる、精神的な病気?
」、あるいは、坐骨神経痛などの、なんらかの神経的疾患を連想される方がいらっしゃるかもしれません。また、一口に神経症と言っても、色々な症状があるのですが、よく知られる症状のひとつに「清潔恐怖(不潔恐怖)」というのがあります。これは、自分の手が汚れているのではないかと不安になり、何度も何度も手を洗ったりですとか、そうした症状なわけですが、新型コロナウイルスの脅威によって、よりその恐れが強化されていたとしたら……と、わたしも心配しています。
その他、ガスの元栓の閉め忘れ、鍵をかけ忘れたのではないかと繰り返し心配になる「確認恐怖」、対人恐怖症と呼ばれるものも、大枠ではこの神経症に分類されますし、人が自分の顔の表情をおかしく思ってないかどうかと気になる「表情恐怖」、他人の視線が気になる「視線恐怖」、不安神経症、強迫神経症、抑うつ神経症などなど……症状によって細かく分類すると色々あると思うのですが、現在引きこもっている方が心療内科などを受診した場合、社会不安障害(対人恐怖症)と診断されることが割と多いようです。
清潔恐怖に関しては、いわゆる一般にいう潔癖症と言いますか、部屋を常に綺麗にしておかないと気が済まないといったこととは少し違うと思うんですよね。たとえば、「あの人は病的なくらいの綺麗好きだ
」という場合、「病的な清潔好き」というのと、病院で「それは清潔(不潔)恐怖症と言われる神経症のひとつです」と診断されるのとは別というか。つまり、神経症の症状の背景にあるのは、その大体が「正体のよくわからない、強い不安感」なわけですよね。
もちろん、誰だって何かに対して「不安」という感情を持つものですし、そうした場面が学校や職場ではある程度つきものともいえます。ただ、心療内科・精神科などで「神経症」と診断される方の場合、とにかく恐ろしいまでの不安感があって、何度も手を洗わずにはいられなかったり、一歩家から出たが最後、あらゆる場所にあるであろう黴菌を想定し、自分がそれに汚染されないかどうかと恐れたり……わたしの聞いた話では、バスや電車の吊り輪などは誰が触ったかわからないので絶対触れないとか、そういった症状もあるそうです。
一応、本人も、自分のこの「恐怖・不安」という感情を、「馬鹿げている」と、きちんとわかっています。また、対人恐怖症の人などもそうで、人が人に対してある一定の恐れというのか、そういうのを誰かしらに対して持つのはみんな同じだし、そうした中でお互いに適切な距離を取りつつ、時には向こうは向こうでこちらの悪口を言い、こちらはこちらで向こうの悪口を言うこともある……でも、そんなこんなで人は共生しあって生きている――などなど、一応、理屈によってはわかっているわけです。
しかもこの、誰もがお馴染みの「不安」という感情には、正体がないんですよね。だから、たとえば「確認恐怖」を持つ方の場合、自分でも馬鹿げているとわかっていつつも、しつこく戸締まりを確認したり、バス停でバスを待っている時も「ガスの元栓を閉めたかしら」と不安になり、道の向こうからもうバスが来ているというのに、わざわざ家に引き返して確認したり……そして、仮にガスの元栓がきちんと閉めてあったとわかっても、その方は再び何度も何度も同じ不安に襲われるわけです。
わたしが持っている症状を分類するとしたら、たぶん一番近いのが強迫神経症と思うのですが、「こんな症状を持っていたら、普通に働けなくて困る」→「働けないような人間は死ぬしかない……
」という思いがもっとも強かったのは、大体二十代の頃で、それはイエスさまのことを信じる前のことですが、一度自殺未遂的なことをしてから、その後は「人間、そんなに簡単に死ねるものではないな」とわかり、「死ねない以上はなんとかして働かなくては……
」といったように、考え方が変わってゆきました。
それで、新型コロナウイルスの報道が連日なされるようになってから、今の世界の状態というのは、神経症の人が持つ世界にそっくりだとずっと思ってたんですよね。たとえば、清潔恐怖を持つ方がバスや電車で移動するのも一苦労なように、今はすべての人が「感染リスク」ということが頭のどこかに必ずある状況なわけです。対人恐怖症の人などは、ただスーパーで買い物したりするだけでも、普通の人の2~5倍は疲れる労働みたいな場合がありますし、わたしも、自分の大好きなアーティストさんのコンサートに行くですとか、そうしたことはとうの昔に諦めました(^^;)。
つまり、バスや電車でただ移動するだけでも強い恐怖感や不安感がある、デパートに行くにせよ、映画館へ行くにせよ、常に人とのディスタンス(距離感)を強く意識する、その恐怖感や不安感が強いあまりに、自分が大好きなアーティストさんのコンサートですら行くのを断念する……その方によって、症状の強さ、重さや軽さには違いがあるとは思うのですが、神経症の人というのは大体が、元は真面目な性格の人が多く、なんかしらの怠けによって家にいて、あまり出かけない――といったことではないのです。
たとえば、ずっと引きこもっている息子さんなり娘さんなりを心療内科へ連れていき、「先生は社会不安障害だと言っていた」と伝えられた親御さんが、「社会不安障害だって!?馬鹿じゃないのか」と怒鳴ったという話を聞いたことがあります。つまり、その息子さんは実際にはどこも悪くなく、単に努力が足りなく根性がないだけだ……といった類のことをこの親御さんは言いたかったものと思われます。
でもやっぱり、この部分は違うと思うんですよね。清潔恐怖もそうだと思いますが、「病的なくらいに綺麗好き」というのと、心療内科・精神科などで神経症と診断されるということの間には大きな違いがありますし、「病的に~~」というのと、そのように病名がつくということの間には差があると言いますか。。。
治療法としては、今は昔と違って良い薬(と精神科医の方が呼ぶもの)がありますし、薬と合わせて行動認知療法を行う……というのが大体一般的なのではないでしょうか。つまり、清潔恐怖の方であれば、実際のところ、そんなにあれこれ黴菌のことを心配しなくても、多くの方がそれで日常生活を送れているように――外から帰ってきて一度手洗いすれば十分なわけですし(あ、今はコロナのせいで、ただ手洗いしてうがいすればよい……というだけでは済まなくなってしまいましたけれども^^;)、そうしたある種の成功例というのてしょうか。「ほら、なんでもなかったでしょ?
」といった成功体験を積み重ねることによって、除々に症状を軽くしていく、なくしていく――といったことのようです(また、そうした不快な感情を「あるがままに受けとめる」ということも治療のポイントとして大切、ということでした^^;)。
たとえば、自分がひどく臭っていて、人に迷惑をかけているのではないかと常に気にしている神経症の方がいて、その後ガールフレンドが出来、デートの度に自分が臭くないかどうか絶えず気にしていたものの、「え?全然そんなことないよ
」と言われて、その後気にならなくなる――という場合もあったり、赤面症も分類的には神経症(対人恐怖)のひとつに分類されるわけですが、結婚してからは全然そうした症状に悩まされなくなったなど……一応、そうした「治る例」というのはあることにはあるわけです。
でも、わたしもそうですが、「症状そのものがなくなる」というよりも、ある程度自分の神経症の症状と折り合いをつけてつきあっていく以外にない……という方のほうが、どうも多いみたいなんですよね。また、神経症というのは鬱病よりも治癒率が悪いそうで、十年後の治癒率を調べてみたところ、鬱病の方は半数以上の方が良くなっているのに対し、神経症の方というのは、半数以上のかなり多くの方がその後も自身の症状に悩まされつつ生きている――といったデータがあるそうです。
ですから、今新型コロナウイルスで世界中が大変ですし、コロナに全世界の人が悩まされなくなる日が早く訪れて欲しい
……と願う一方、もともと神経症を持っている方にとっては実は、今世界中の人々が悩まされている世界にそもそも最初から住んでいるという部分があるんですよね(^^;)。
そして、その違いがどこにあるかといえば――一口に神経症といっても色々な症状があり、それは「他人に理解してもらえない孤独な症状」であったりもして、一方新型コロナウイルスに関しては、すべての人がまったく同じ症状による共通の悩みとして理解しあえるという点がやっぱり違うわけです。
わたしも毎日のように、新型コロナウイルスがなくなること、新型コロナウイルスに罹患している方々が完全に治癒すること、また医療従事者の方のためにも祈っていますが――個人的に、わたし自身はこれ、「全人類が巨大な苦しみのアトラス山脈を背負っている」みたいに感じるところがあります。
たとえば、「苦しみのアトラス山脈」なるものは、いつの時代にも、世界のどこかに存在してきました。チェチェン紛争が起きた時には、チェチェン共和国や近隣諸国、あるいはロシアなどにそれは出現し(これは今も続いていると思いますが)、イラク・アフガニスタン戦争時には、中東のあたりに(これも今もまだ続いています)……といった具合に、新型コロナウイルス以前にも、世界のどこかで、それは誰かがいつでも常に背負ってきたものでした。
かなり傲慢な言い方になりますが、わたし自身は「どうせ苦しむなら、他人に理解されない個人的な理由によってではなく、誰にでもわかりやすい立派なことのために苦しみたい」という気持ちが、心のどこかにあったような気がします。つまり、「あの人は自分が悪いわけでもないことで、あんなにも血を流して苦しんでいる!なんて立派な人でしょう。しかも、そのことで一言も文句も言わず、ただ黙って耐え忍んでいる。なんて気高い人なんでしょう
」といったようなことで、どうせなら悩んだり苦しんだりしたかったということです。
でも、実際には、新型コロナウイルスがなくなっても、わたしの神経症世界は癒されず、そのままなわけです。もし、いつか新型コロナウイルスに人類が悩まされなくなる日がきたとすれば、「苦しみのアトラス山脈」を背負う人の数はもしかしたらぐっと減るかもしれません。でも、わたしはそのまま背負ったままだと思います。この「苦しみのアトラス山脈」とやらを(笑)。
けれども、個人的に思いますのに、わたしはなるべく早くそうなって欲しいと願っています。そのことで他の多くの人々が「なるべく早く元のとおりに戻って欲しい」と願っている世界に戻るのだとしたら、それが一番望ましいことです。このことは、本当に心からそう思います![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
そして最後に――ここはキリスト教に関して何か書くとうブログですから、一番大切なことを書いて終わりにしたいと思います。新型コロナウイルスが猛威を振るったことにより、キリスト教の神も仏教の神も、イスラム教の神も、結局のところ神ではないことがわかった……といったように言われたりすることがあるようですが、わたしはまったくそう思っていません。
何故なら、わたしと同じように、なんらかの形で「苦しみのアトラス山脈」を背負う人々というのは世界中にい続け――そうした人々というのは、新型コロナウイルスがなくなると同時、光の世界へ戻っていく人々とは違い、これからも暗闇の中に留まり続けます。そして、イエス・キリストというのは、光の世界に戻った人々にはその人々にとっての幸福や祝福を与えてくださる方であり、さらに暗闇に残された人々のそばにこそ、より身近にいてくださって、この方がいるからこそ、暗闇の生活にはそれにはそれの良いところがあり、普通にはない喜びと感謝が増し加わる……といったようにしてくださる方だからです。
「神がもし真実ほんとうに神なら、今すぐ新型コロナウイルスをなくすことが出来るはずだ」とか、「そもそもあなたの病気も治せるはずではないのか?」といった疑問については――大体のところ、聖書にその答えが書いてあります(それか、信仰を持って聖書の行間を読めばわかるはずだ、と言うべきなのかもしれません![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
)。
「そのまま光の世界へ戻るよりも、なお暗闇に残ることを選択した人々のほうをこそ神は喜ばれ、愛される」……というのでしょうか。そこはすでに、死ねば精神のみならず、心身ともにキリストと一緒になるため、そうしたことに対する恐れがないか、あるいは普通よりも死に対する恐怖や不安が薄い世界です。
恐怖も不安も極まれば、常に神(イエス・キリスト)とともにいることになる――というのは、なんとも不思議なことですが、自身に苦しみなくして祈るのではなく、苦しみに汗して震えつつ、それでもなおかつ祈らずにはいられない……神さまの憐れみは、そうした者にこそ尽きないものなのではないでしょうか。
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
ちょっと色々ありまして、随分長く更新できませんでした
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神経症と聞くと、「神経質な人がなる、精神的な病気?
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その他、ガスの元栓の閉め忘れ、鍵をかけ忘れたのではないかと繰り返し心配になる「確認恐怖」、対人恐怖症と呼ばれるものも、大枠ではこの神経症に分類されますし、人が自分の顔の表情をおかしく思ってないかどうかと気になる「表情恐怖」、他人の視線が気になる「視線恐怖」、不安神経症、強迫神経症、抑うつ神経症などなど……症状によって細かく分類すると色々あると思うのですが、現在引きこもっている方が心療内科などを受診した場合、社会不安障害(対人恐怖症)と診断されることが割と多いようです。
清潔恐怖に関しては、いわゆる一般にいう潔癖症と言いますか、部屋を常に綺麗にしておかないと気が済まないといったこととは少し違うと思うんですよね。たとえば、「あの人は病的なくらいの綺麗好きだ
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もちろん、誰だって何かに対して「不安」という感情を持つものですし、そうした場面が学校や職場ではある程度つきものともいえます。ただ、心療内科・精神科などで「神経症」と診断される方の場合、とにかく恐ろしいまでの不安感があって、何度も手を洗わずにはいられなかったり、一歩家から出たが最後、あらゆる場所にあるであろう黴菌を想定し、自分がそれに汚染されないかどうかと恐れたり……わたしの聞いた話では、バスや電車の吊り輪などは誰が触ったかわからないので絶対触れないとか、そういった症状もあるそうです。
一応、本人も、自分のこの「恐怖・不安」という感情を、「馬鹿げている」と、きちんとわかっています。また、対人恐怖症の人などもそうで、人が人に対してある一定の恐れというのか、そういうのを誰かしらに対して持つのはみんな同じだし、そうした中でお互いに適切な距離を取りつつ、時には向こうは向こうでこちらの悪口を言い、こちらはこちらで向こうの悪口を言うこともある……でも、そんなこんなで人は共生しあって生きている――などなど、一応、理屈によってはわかっているわけです。
しかもこの、誰もがお馴染みの「不安」という感情には、正体がないんですよね。だから、たとえば「確認恐怖」を持つ方の場合、自分でも馬鹿げているとわかっていつつも、しつこく戸締まりを確認したり、バス停でバスを待っている時も「ガスの元栓を閉めたかしら」と不安になり、道の向こうからもうバスが来ているというのに、わざわざ家に引き返して確認したり……そして、仮にガスの元栓がきちんと閉めてあったとわかっても、その方は再び何度も何度も同じ不安に襲われるわけです。
わたしが持っている症状を分類するとしたら、たぶん一番近いのが強迫神経症と思うのですが、「こんな症状を持っていたら、普通に働けなくて困る」→「働けないような人間は死ぬしかない……
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それで、新型コロナウイルスの報道が連日なされるようになってから、今の世界の状態というのは、神経症の人が持つ世界にそっくりだとずっと思ってたんですよね。たとえば、清潔恐怖を持つ方がバスや電車で移動するのも一苦労なように、今はすべての人が「感染リスク」ということが頭のどこかに必ずある状況なわけです。対人恐怖症の人などは、ただスーパーで買い物したりするだけでも、普通の人の2~5倍は疲れる労働みたいな場合がありますし、わたしも、自分の大好きなアーティストさんのコンサートに行くですとか、そうしたことはとうの昔に諦めました(^^;)。
つまり、バスや電車でただ移動するだけでも強い恐怖感や不安感がある、デパートに行くにせよ、映画館へ行くにせよ、常に人とのディスタンス(距離感)を強く意識する、その恐怖感や不安感が強いあまりに、自分が大好きなアーティストさんのコンサートですら行くのを断念する……その方によって、症状の強さ、重さや軽さには違いがあるとは思うのですが、神経症の人というのは大体が、元は真面目な性格の人が多く、なんかしらの怠けによって家にいて、あまり出かけない――といったことではないのです。
たとえば、ずっと引きこもっている息子さんなり娘さんなりを心療内科へ連れていき、「先生は社会不安障害だと言っていた」と伝えられた親御さんが、「社会不安障害だって!?馬鹿じゃないのか」と怒鳴ったという話を聞いたことがあります。つまり、その息子さんは実際にはどこも悪くなく、単に努力が足りなく根性がないだけだ……といった類のことをこの親御さんは言いたかったものと思われます。
でもやっぱり、この部分は違うと思うんですよね。清潔恐怖もそうだと思いますが、「病的なくらいに綺麗好き」というのと、心療内科・精神科などで神経症と診断されるということの間には大きな違いがありますし、「病的に~~」というのと、そのように病名がつくということの間には差があると言いますか。。。
治療法としては、今は昔と違って良い薬(と精神科医の方が呼ぶもの)がありますし、薬と合わせて行動認知療法を行う……というのが大体一般的なのではないでしょうか。つまり、清潔恐怖の方であれば、実際のところ、そんなにあれこれ黴菌のことを心配しなくても、多くの方がそれで日常生活を送れているように――外から帰ってきて一度手洗いすれば十分なわけですし(あ、今はコロナのせいで、ただ手洗いしてうがいすればよい……というだけでは済まなくなってしまいましたけれども^^;)、そうしたある種の成功例というのてしょうか。「ほら、なんでもなかったでしょ?
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たとえば、自分がひどく臭っていて、人に迷惑をかけているのではないかと常に気にしている神経症の方がいて、その後ガールフレンドが出来、デートの度に自分が臭くないかどうか絶えず気にしていたものの、「え?全然そんなことないよ
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でも、わたしもそうですが、「症状そのものがなくなる」というよりも、ある程度自分の神経症の症状と折り合いをつけてつきあっていく以外にない……という方のほうが、どうも多いみたいなんですよね。また、神経症というのは鬱病よりも治癒率が悪いそうで、十年後の治癒率を調べてみたところ、鬱病の方は半数以上の方が良くなっているのに対し、神経症の方というのは、半数以上のかなり多くの方がその後も自身の症状に悩まされつつ生きている――といったデータがあるそうです。
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そして、その違いがどこにあるかといえば――一口に神経症といっても色々な症状があり、それは「他人に理解してもらえない孤独な症状」であったりもして、一方新型コロナウイルスに関しては、すべての人がまったく同じ症状による共通の悩みとして理解しあえるという点がやっぱり違うわけです。
わたしも毎日のように、新型コロナウイルスがなくなること、新型コロナウイルスに罹患している方々が完全に治癒すること、また医療従事者の方のためにも祈っていますが――個人的に、わたし自身はこれ、「全人類が巨大な苦しみのアトラス山脈を背負っている」みたいに感じるところがあります。
たとえば、「苦しみのアトラス山脈」なるものは、いつの時代にも、世界のどこかに存在してきました。チェチェン紛争が起きた時には、チェチェン共和国や近隣諸国、あるいはロシアなどにそれは出現し(これは今も続いていると思いますが)、イラク・アフガニスタン戦争時には、中東のあたりに(これも今もまだ続いています)……といった具合に、新型コロナウイルス以前にも、世界のどこかで、それは誰かがいつでも常に背負ってきたものでした。
かなり傲慢な言い方になりますが、わたし自身は「どうせ苦しむなら、他人に理解されない個人的な理由によってではなく、誰にでもわかりやすい立派なことのために苦しみたい」という気持ちが、心のどこかにあったような気がします。つまり、「あの人は自分が悪いわけでもないことで、あんなにも血を流して苦しんでいる!なんて立派な人でしょう。しかも、そのことで一言も文句も言わず、ただ黙って耐え忍んでいる。なんて気高い人なんでしょう
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でも、実際には、新型コロナウイルスがなくなっても、わたしの神経症世界は癒されず、そのままなわけです。もし、いつか新型コロナウイルスに人類が悩まされなくなる日がきたとすれば、「苦しみのアトラス山脈」を背負う人の数はもしかしたらぐっと減るかもしれません。でも、わたしはそのまま背負ったままだと思います。この「苦しみのアトラス山脈」とやらを(笑)。
けれども、個人的に思いますのに、わたしはなるべく早くそうなって欲しいと願っています。そのことで他の多くの人々が「なるべく早く元のとおりに戻って欲しい」と願っている世界に戻るのだとしたら、それが一番望ましいことです。このことは、本当に心からそう思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
そして最後に――ここはキリスト教に関して何か書くとうブログですから、一番大切なことを書いて終わりにしたいと思います。新型コロナウイルスが猛威を振るったことにより、キリスト教の神も仏教の神も、イスラム教の神も、結局のところ神ではないことがわかった……といったように言われたりすることがあるようですが、わたしはまったくそう思っていません。
何故なら、わたしと同じように、なんらかの形で「苦しみのアトラス山脈」を背負う人々というのは世界中にい続け――そうした人々というのは、新型コロナウイルスがなくなると同時、光の世界へ戻っていく人々とは違い、これからも暗闇の中に留まり続けます。そして、イエス・キリストというのは、光の世界に戻った人々にはその人々にとっての幸福や祝福を与えてくださる方であり、さらに暗闇に残された人々のそばにこそ、より身近にいてくださって、この方がいるからこそ、暗闇の生活にはそれにはそれの良いところがあり、普通にはない喜びと感謝が増し加わる……といったようにしてくださる方だからです。
「神がもし真実ほんとうに神なら、今すぐ新型コロナウイルスをなくすことが出来るはずだ」とか、「そもそもあなたの病気も治せるはずではないのか?」といった疑問については――大体のところ、聖書にその答えが書いてあります(それか、信仰を持って聖書の行間を読めばわかるはずだ、と言うべきなのかもしれません
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「そのまま光の世界へ戻るよりも、なお暗闇に残ることを選択した人々のほうをこそ神は喜ばれ、愛される」……というのでしょうか。そこはすでに、死ねば精神のみならず、心身ともにキリストと一緒になるため、そうしたことに対する恐れがないか、あるいは普通よりも死に対する恐怖や不安が薄い世界です。
恐怖も不安も極まれば、常に神(イエス・キリスト)とともにいることになる――というのは、なんとも不思議なことですが、自身に苦しみなくして祈るのではなく、苦しみに汗して震えつつ、それでもなおかつ祈らずにはいられない……神さまの憐れみは、そうした者にこそ尽きないものなのではないでしょうか。
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