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柳田邦男先生のこの本については、いつか取り上げようと思っていながら、なかなか書けずにいたのですけれども……わたしの持っている文庫本は、1999年第1刷となっており、また、単行本のほうは1995年、7月刊となっています。
そして、『犠牲(サクリファイス)~わが息子、脳死の11日~』とあるとおり、本の内容はノンフィクション作家として有名な柳田邦男先生の次男、柳田洋二郎くんの自殺、そして自殺に至る過程や理由、その後脳死へ至ったこと……などについて洋二郎くんが生前書いていた文章を交えて描かれています。
ここはキリスト教について何か書く……というブログなので、これまでに取り上げた本なども、なんらかの形でキリスト教に関係しているから取り上げているわけですが、この『犠牲』という本を読んだ時、個人的に二重の意味でショックを受けました
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まず、洋二郎くんが抱えていた悩みについて、深く共感するのはわたしだけではなく、読まれた読者の方のほぼ全員がそうだと思うのですけれども、本の中に洋二郎くんが教会へ通っていて友達と親しくしていた――という描写が出てきます。でも、洋二郎くん自身はクリスチャンではなく、神さまのことを信じることが出来なかったという箇所、このことにとてもショックを受けました。
>>【1989年(21歳)の日記から】
89年1月1日(日)
私は落伍者である。神には遠く、手がのびない。
人間の心を変えることはできないだろう。
だから神への信仰など私には無意味だ。
<「人間の心を変えることはでないだろう」とは、病んでしまった自分の心の修復への絶望の表明であろう。>
(『犠牲(サクリファイス)~わが息子、脳死の11日~』柳田邦男先生著/文春文庫より)
わたし自身はほんの偶然というか(神さまにあって偶然はなかったとしても)、本当に聖霊の働いている教会へ最初に行くことが出来たので救われるという奇跡に与ることが出来たわけですけれども、そうしたことが起きない場合もある……という、「違い」が何故あるのかが、わたしにはわからなかったのです。
洋二郎くんは友達との交流を求めて教会へ行っていたのであって、礼拝に参加してもそこに神さまが確かにおられるといった「実感」は得ることが出来なかったのかどうか……もちろんわからないのですけれども、本の中には次のような描写が出てきます。
>>1990年、5月6日(日)
(礼拝が終わると)S君が立ちあがって、一番前の席に行った。何をするのかと思ったら、パンとブドウ酒をみんなにくばり、信者が聖句とともにそれを口にするという儀式が始まったのである。ぼくはここでしくじった。というのは、パンとブドウ酒をクリスチャンでなければ口にしてはいけないということを知らなかったのである。思わず手を出そうとしたとき、T君のお母さんが「違う」といったのが耳に入った。あわてて手をもどした。クリスチャンたちは聖句と共にパンを口に入れ、またブドウ酒も飲んだ。それからみんなで起立して讃美歌を歌うときがきた。教壇には、Nさんが正装をして笑顔で指揮をとっていた。対人恐怖に怯えるぼくとは、全く別世界といった感じだった。
礼拝が終り、ぼくは何かしら落ちつかず、どこにいたらいいものかと思っていたら、T君とS君がちょっと手伝ってくれといった。この建物の裏庭にある倉庫を移動させるために、人手が必要だったのである。ぼくは眼鏡をかけた自分が気になったり視線恐怖を感じたりで伏眼がちになった。とにかく手伝って倉庫を動かし、荷物を移動させたりして、作業は終った。さっきまでは五月の陽光が心地好かったが、今はそれが気持ちいいものではなくなった。とにかくT君の考えにまかせて行動した。とりあえず教会を出て、また彼の家へと向った。T君はゆっくり自転車を漕ぐ。お母さんはあいかわらず白い歯を見せて回想に耽ったり、町並みや草木を見て何か呟く。ぼくも大分調子がよくなってきた。太陽の光にもそれほど嫌悪感を感じなくなって、T君のうちに再びついた。
(『犠牲(サクリファイス)~わが息子、脳死の11日~』柳田邦男先生著/文春文庫より)
全く別世界……いえ、この箇所を最初に読んだ時、実はわたしにも少しだけ心当たりがあったのです。
というのも、わたしが初めて教会という場所へ行った時、礼拝の中で<聖餐式>があったのですが、でもわたしはまだイエスさまが自分の救い主であると信仰告白していませんでしたから、パンとぶどう酒を運んできた方は、それをすぐ引っ込められたんですよね。
その方はとても良い方で、イエスさまを自分の救い主と信仰告白していない人は聖餐に与ることは出来ませんから、当然のことをされただけなんですけど――その時に軽く「疎外感」を感じるという気持ちというのは、わかる気がするというか(^^;)
でも、洋二郎くんはクリスチャンの友人たちと心通わせて仲良くしていたり、その中の女の子と恋をしていたり……二十代の若者らしくも過ごしており、だからきっと親御さんの柳田先生にとっては、「本当に自殺するところまで追い詰められていただなんて」というショックが大きかったのではないかと想像します
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洋二郎くんは「神経症」という病いを抱えておられ、この病気って表面から見た場合、とてもわかりにくいと思うんですよね。そして、洋二郎くんが「神経症」を発症することになった原因についても、本の中で触れられています。
>>男子だけのT中学に通っていた洋二郎は、二年の三学期に右眼にひどい怪我をした。昼休みに教室内で生徒たちがチョークのぶつけ合いをしていたのだが、午後の授業開始のベルが鳴ったので、全員が席についた。洋二郎も投げ合いをやめて席につこうとした。その瞬間、一個のチョークが飛んできて、洋二郎の右眼を直撃した。もうやめたと安心していたから、避けることができなかった。
眼房内出血による激痛に襲われた洋二郎は、すぐに学校近くの眼科医に連れて行かれて、応急手当てを受けた。「大したことないから、自宅で眼を休ませていなさい。横になって寝ると眼圧が上がるから、今夜はずっと座ったままでいなさい。明日になっても痛むようだったら、また来なさい」というのが眼科医の指示だった。
学校からの連絡で、たまたま家にいた私が出かけ、タクシーで連れて帰った。夜になると、ソファーに座ったままにしていても、眼の痛みがひどくなるばかりか、激しい頭痛も生じ、何度も嘔吐した。時々眠りそうになって姿勢が崩れるので、私も妻も徹夜で洋二郎の体を支え続けた。「こんなひどい怪我なのに、家で一晩中椅子に座っていろというのはおかしいよ。あの眼科の開業医は、なんで入院可能な病院を紹介してくれなかったんだ」と、私は妻にいいながら、だんだん腹が立ってきたが、夜更けではどうしようもなかった。患者の家族というものは弱いものだと思ったものだ。
翌朝、五キロほどのところにある都立病院にタクシーで連れて行き、一時間ほど待たされてから、ようやく診療が始まり、即日入院となった。洋二郎にとって、このときの治療でいちばん過酷だったのは、眼球に直接注射針を刺されることだった。注射針が迫ってくるのに、目を閉じては駄目といわれる。怖さと痛みに同時に襲われるのだ。
眼房内の出血が退くまでに、十一日間の入院治療が必要だった。このとき、洋二郎は失明恐怖に襲われたという。そして、この失明恐怖がきっかけで、彼はその後、視線恐怖と対人恐怖と脅迫思考を主訴とする神経症に陥った。もちろん眼の怪我だけが、彼の神経症の原因だとは、私は思っていないし、主治医もそうは判断していない。対人恐怖症や強迫神経症の原因は、一般に、親の育て方、両親それぞれの性格と生き方の影響、兄弟関係、洋二郎自身の性格、学校の教育環境、社会環境などがからみ合っているといわれるが、洋二郎の場合も、そのとおりだと思う。眼の怪我は、発症のきっかけになった事件としてとらえるべきなのだろう。
(『犠牲(サクリファイス)~わが息子、脳死の11日~』柳田邦男先生著/文春文庫より)
……引用が長くなってしまいましたが、次回はこの続きよりはじめたいと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!
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