毎年29日の夜から30日の朝にかけて、
地元の連中と村の夜警をする。
もちろん本当は「村」ではなくて「町」なのですが、
こんな時はみんな自分が住んでいるところを「村」と言います。
そんな村の公民館に集まって、
軽くビールなぞ飲みながら、
すしなぞつまみながら
ワイワイと過ごすのです。
そしてぱっと見、
自分らが警備されないといけないような
ガラの悪そうな集まりが
ぞろぞろ村なかを定期的に歩きます。
歩きながらかける声もただごとではない。
「への用~心!」
「さんま焼いても家焼くな!」
なんてのは序の口。
拍子木のリズムがダンジリばやしになったり、
もうここにはとても書けない言葉が飛び交い、
そのたびに笑い声が村中に響き渡ります。
いちばん怪しい連中やで、ホンマ。
でも、こんな連中に苦情を言う人など一人もいません。
みんな、やっぱりこうして村のために
夜警してくれていることを感謝しているのです
(勝手にそう思っているだけ?)
公民館での話題はやっぱりだんじり。
kaisanとこの新調の話もよく出てますよ。
こんなとき驚くのは、みんな祭りのことをすごい憶えていること。
「今年のあの泉大津高校の2回目(やりまわし)は大きく傾いたなあ」とか
「近畿銀行の3回目は早かったで」。
挙句、「3年前の与助の何回目がやっぱり一番やな」
だって。
いつのどこどこの何回目というと、
みんなの頭の中にはそのときのやりまわしシーンが
スローで再生されるみたいですな。
僕はたいていだんじりに乗っていて、
夢中でブレーキの必要性やタイミングをはかっているので
どんなやりまわしだったかということは、
客観的には判断できないのです。
だから、やりまわしの記憶が
みんなの頭の中で整然と一致しているのにはびっくりしますわ。
しかし長年踏んできたブレーキも今年で卒業となります。
来年からは世話人でだんじりから遠く離れることにります。
あれっ?結局夜警の話が祭りの話になってしまった。
そうです、わが村でみんな集まるというのは、
だんじりの話をすることなんですな。
そういう意味でだんじりって、
値段も高いけど、
みんなの心を結束させる村の宝物なんですな。
地元の連中と村の夜警をする。
もちろん本当は「村」ではなくて「町」なのですが、
こんな時はみんな自分が住んでいるところを「村」と言います。
そんな村の公民館に集まって、
軽くビールなぞ飲みながら、
すしなぞつまみながら
ワイワイと過ごすのです。
そしてぱっと見、
自分らが警備されないといけないような
ガラの悪そうな集まりが
ぞろぞろ村なかを定期的に歩きます。
歩きながらかける声もただごとではない。
「への用~心!」

「さんま焼いても家焼くな!」

なんてのは序の口。
拍子木のリズムがダンジリばやしになったり、
もうここにはとても書けない言葉が飛び交い、
そのたびに笑い声が村中に響き渡ります。
いちばん怪しい連中やで、ホンマ。
でも、こんな連中に苦情を言う人など一人もいません。
みんな、やっぱりこうして村のために
夜警してくれていることを感謝しているのです
(勝手にそう思っているだけ?)
公民館での話題はやっぱりだんじり。
kaisanとこの新調の話もよく出てますよ。
こんなとき驚くのは、みんな祭りのことをすごい憶えていること。
「今年のあの泉大津高校の2回目(やりまわし)は大きく傾いたなあ」とか
「近畿銀行の3回目は早かったで」。
挙句、「3年前の与助の何回目がやっぱり一番やな」
だって。
いつのどこどこの何回目というと、
みんなの頭の中にはそのときのやりまわしシーンが
スローで再生されるみたいですな。
僕はたいていだんじりに乗っていて、
夢中でブレーキの必要性やタイミングをはかっているので
どんなやりまわしだったかということは、
客観的には判断できないのです。
だから、やりまわしの記憶が
みんなの頭の中で整然と一致しているのにはびっくりしますわ。
しかし長年踏んできたブレーキも今年で卒業となります。
来年からは世話人でだんじりから遠く離れることにります。
あれっ?結局夜警の話が祭りの話になってしまった。
そうです、わが村でみんな集まるというのは、
だんじりの話をすることなんですな。
そういう意味でだんじりって、
値段も高いけど、
みんなの心を結束させる村の宝物なんですな。