ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

日曜出勤

2008年01月28日 21時06分07秒 | マラソン
大阪の街を
女性のエリートランナーが駆け抜けた昨日、
わしは早朝から深夜まで
一日缶詰の仕事に呆けていた。

朝5時に起きての仕事だったので、
帰る頃にはひげマムシ!
ほっぺたが
ヒゲでザラザラしておったよ。

仕事そのものは、
異常事態
もしくは緊急事態に備えての
待機のようなものだったので、
時間中は比較的余裕のある立場だったから、
休憩時間には
持ち込みのワンセグで
TVもチラチラ見ておったのじゃ。

見ていたのはもちろん、

「大阪国際女子マラソン」

一緒に走っている仲間も出ているし、
知り合いの人たちも
多く出場している。
とはいえ、
テレビに映るような
前のほうで走るわけではない。
エリートとはいえ、
オリンピック選考狙いの選手たちの
ずっと後方で、
熱い女の戦いを
繰り広げる選手たちだ。
そのひとり、
仲間のたまは
絶好調とは言えないまでも、
まずまずの仕上がりだった。
レース前に予想して
旦那のセイゾー君に送っておいた
ゴール予想タイムは

3時間11分

今なら、たまには
三時間一ケタで
走る力はあるだろうが、
本人は「名古屋に
ターゲットを絞っている」と
言っておったから、
後半その分、
甘えが出ることを見越しての予想だ。

彼女の足と心と体が
どう作用したのか、
離れた職場で
姿の映らないテレビを見ているだけでは
推し量れなかったが、
結果は18秒違いでした。

この大会には、
昔からの知り合い、
皆生の知り合い、
ウルトラの知り合い、
知り合いの知り合いまで含めると、
たくさんの選手が出ていました。
そんな人たちは
ほとんど完走したものの、
一人だけ35キロの関門を
くぐれなかった知り合いがいました。

大阪初挑戦だった彼女。
エントリーはしていたものの、
故障続きで
吉野川の大会が終わってから
3週間練習を休むことを余儀なくされたそうです。

その後、
DNS覚悟で練習を再開して
何とかスタートラインには立ち、
苦戦覚悟でスタート。

予想通り20キロをすぎてからは、
辛くて、辛くて、
でもあきらめることはしなかったと
彼女は言ってました。

惜しくも今回は
関門には間に合いませんでしたが、
あきらめずに走ったことは
彼女の力になりました。
彼女はこれからもいろんなことがあっても、
あきらめることなくがんばろうと誓ったそうです。
完走はできなかったけど、
ランニングの神様は
彼女に素晴らしい贈り物を授けましたね。

babiさん、お疲れ様でした。

世間では
福士の姿に琴線を震わせた人はたくさんいたでしょうが、
知れば知るほど、
聞けば聞くほど
42.195キロには
人々の、期待、夢、覚悟、挫折など
たくさんのドラマが散りばめられているんやなあ。
ほんまに、仕事なんぞしてる場合ちゃうっちゅうねん!