この週末のトレーニングは、
バイクとスイム。
バイクは土曜日に、
100キロ超を目指して出発。
100.2キロを漕いだ。
親がああいう状態なので、
家で何があるかわからないから、
遠出は出来ない。
常に背中に入れた携帯に
気を配りながら、
近所の山方面をぐるぐる回った。
主な登りを4本攻め、
目標どおりに100キロを超えたものの
反省点は多々ある。
ひとつは、
自分の身体との対話が十分出来ていないこと。
この日、家を出るときに
ボトルを積み忘れたが、
遠出をしないので
まいいかと思って出発していた。
50キロほど漕いだところで、
走っている友人に遭遇して、
ボトルのゲータレードをもらって飲んだとき、
思いのほか体が
水分を欲していたことに気がついた。
今の季節で、
街中を走っているからいいようなものの、
真夏に山に行ってるときなら
しゃれにならん状態である。
真夏に激しい運動をする
トライアスリートは、
常に自分の体の状態を
冷静に把握しておかねばならないというのに、
これは重要な反省点としなければなるまい。
もうひとつは、
80キロくらいまでは、
けっこう気合を込めて漕いだものの、
残り20キロが惰性となってしまったことだ。
これは、
目標を距離においていたからかもしれない。
自分が練習に割くことが出来る時間と、
残り距離を考えたときに、
若干余裕があったことで、
気持ちを抜いてしまったのが、
今思えば残念でなのである。
限られた時間と環境の中で、
最大限の努力をしたと
自分に言い聞かせられることは、
レースの辛いときにも
非常に大きな支えとなるし、
そうして自分を作っていくこともまた、
トライアスロンの魅力なのである。
なのに、貴重な練習時間の中で
気持ちを抜いてしまったことは
大いに反省せねばなるまいて。
「最大限の努力」といっても実は奥深い。
自分の中の価値観と照らし合わせて、
何を選ぶかによって大きく変わる。
もちろんトライアスリートである前に、
ひとりの人間として
大切なことは優先すべきであろう。
仕事、家庭、友人、その時々で
優先順位を頭の中で整理していかねばならない。
そんな自分なりの価値観の中で
「最大限の努力」は決まるわけである。
そしてそれは人によって異なるため、
あくまでも自分の心を
しっかり見据えておかねばならない。
トライアスロンは自分の身体との対話、
心との対話のスポーツだといえば
大げさに聞こえるかもしれないが、
長時間に及ぶスイム、バイクの恐怖心との戦い、
過酷な気象条件との戦いの中で、
自分といやでも向き合わされるわけだから、
やはり日ごろの対話が大切であることには違いはない。
なんて書いても
いささか、自分の中の
深い部分でのトライアス論なので、
わかりにくいかもしれませんが、
気にせず読み流してちょ。
日曜日,つまり今日は、午前中の仕事のあと、
3キロスイムを実施した。
途中、
マスターズでいつもばりばり泳いではる女性が
後ろに付き、
1000mくらいドラフティングしていたので、
いい刺激になった。
そのひとは結局1500mくらい泳いだだろう。
ラスト300mくらいでは、
脚にタッチされて、
先行していただいた。
う~ん、情けないっちゃ情けないが、
わしの泳力ならいたしかたないところである。
結局、3キロに要した時間は
1時間10分18秒。
タイムはだいたい予想通りだったし、
3キロ泳いだという充実感を、
また次のステップアップに
つなげていけばよかろう。
あと残りのトレはランなのだが、
今夜はセイゾー君との肝トレが優先である。
充実した楽しい時間を
過ごさせていただきましたわい。
最近は、
仕事と人生のバランスという意味で、
「ワークライフバランス」
という言葉がよく叫ばれるようになってきた。
そのために必要なのが
「エンパワーメント」
だといわれているが、
そのことはまた次の機会に書く事にしよう。
練習にかなり多くの時間を
必要とするトライアスロンは、
さしづめ
「ライフトレバランス」
が必要なスポーツであると
最近しみじみ思っている。