1昨年の12月。
命からがら生還したての頃、
激しい運動はとめられていたので、
しょっちゅう裏の公園をこわごわ散歩していた。
まず脱水は禁物なので、
ペットボトルにスポドリを入れ、
周回の散歩コースの途中にある
マテバシイの樹に吊るしておくことにした。
近所の公園ならではの気軽さだ。
その頃の季節は冬だったので、
地面には落ちて茶色くなったどんぐりが
いっぱい転がっていた。
ひとしきり歩いては、
その樹の下で水分をゴクリ。
そしてまた歩き始める。
そんな日々がしばらく続き、
ようやくジムでもゆっくりと走れるようになったのは、
早春の頃であった。
頻度は減ったものの、
相変わらず樹にペットボトルを吊るしての散歩は続いていた。
やがて、公園でも軽くジョグができるようになった頃、
給水所にしていた樹に
たくさんの花が咲き始めた。
命の花満開の姿がとても印象に残っている。
写真にも撮った。
これ。
もしかしたら、もうこの花を見ることもなかったのかも知れない
と思うと、そのときは感慨もひとしおであった。
夏場は日陰がありがたかった。
樹の下には特別に涼しい風が吹くように思う。
そんな自然の力も受け取りつつ、
徐々に身体も気持ちも回復し、
夏が終わる頃にはロードを走れるようにもなった。
しかし、同様の憂き目に会った友人が、
復帰後一年以内にレースに出て帰らぬ人となったこともあったので、
とにかく1年間は慎重に構えていようと自制をしてた。
なので、散歩はdoironの重要なリハビリのアイテムとして大切にし、
頻度は減っても絶えることはなく、
実は今も続いている。
やがて、春に花を咲かせた
「マテバシイ給水所」
にたくさんのどんぐりが実り始めた。
命の花が命の実を結ぶ。
たったそれだけのことが、
とても素晴らしく思えたものだ。
大げさだけど、その時は
我も生かされてあるとしみじみと思った。
それから季節はひと巡り。
相変わらず、散歩は時折続いており、
先日ふと樹を見上げた時に、
また今年もたくさんのどんぐりが
実っていることに気がついた。
昨年は公園の片隅のその樹の命の営みに感動を覚えたのだが、
今年は春から絵を描き始めているので、
ではいっちょうこの樹の命の実りを描いてみてやれと思い、
実をいくつか拝借してきた。
これ。
まあ、素材としてはよくある実である。
さあ描くぞと筆をとったまでは良かったのだが、
どんぐりをよく見ると、
それはとても複雑なグラデーションに包まれた、
とっても神秘的な姿をしているのだ。
しかも緑色の個体をとってきたのですが、
刻一刻と色が変っていく。
最終色は茶色になるだろうが、
難しいけどそのグラデーションを
表現してみたいと思っている。
果たしてどんな作品に仕上がりますことか。
結果は後日、
描けたらまたアップしましょう。
さてその「マテバシイ給水所」、
今は秋の実り最高潮ですが、
もっと冷たい風が吹く頃には
足の踏み場もないほど
樹から落ちた茶色のどんぐりに覆われるでしょう。
秋は短い。