浪速文学ゆかりの文学碑や
生國魂神社を訪れた後は、
天王寺七坂にも足を延ばしてみました。
上町台地の西側にかかる坂群は、
平地のイメージのある大阪の中でも
様々な小説の舞台になったり、
ドラマで使われたりと、
ちょっと異質な光景の中にも
風情たっぷりのたたずまいを残しています。
今回は、北端の生國魂神社周辺の坂を二つ訪ねてみました。
まず最初に行ったのが、
「真言坂」
神社の北側に6坊のお寺があり、
それらがすべて真言宗のお寺であったことから
そう名付けられたそうです。
西北の鳥居をくぐって坂道を登っていきますと、
神社に続く階段の下に北に向かって下っていく
長さ50m位の坂道がありました。
それが真言坂です。
坂の上部から見下ろした姿がこれ。
そしてこれは千日前通から見上げた姿です。
上町台地に登っていく坂がいくつかある中で
特別に名前がつけられているだけあって
その雰囲気はなかなかのもので、
地面には以前熊野街道歩きで見かけた
「導き石」も埋められておりました。
坂のてっぺんには道標もありました。
「右 京道」。
裏側には「左 御堂等さんぐう道」と書かれてあるようでした。
神社で押したスタンプには
「淀姫ゆかりの女性の守り神がまつられている」
と書かれてありました。
生國魂神社境内社のこの「鴫野(しぎの)神社」のことですね。
そしてそこから下寺町筋をしばらく南下していくと現れるのが、
「源聖寺(げんしょうじ)坂」
下からしか見ておりませんが、
石畳の道が上へ上へと延びていった先で
石段になっています。
この坂の名前は上り口にあるお寺の名前から付けられていますが、
金台寺、銀山寺、齢延寺にもゆかりがあり、
特に坂の途中にある銀山寺には
近松の作品「心中宵庚申」に出てくる
「お千代、半兵衛」の比翼塚があるそうです。
天気もこのあたりではよくなかったので、
今回は下から見上げただけで帰ってきたのですが、
また日をあらためて行きたいと思っています。
源聖寺で押したスタンプには、
なぜかこんにゃくを食べる
狸の姿が描かれていました。
その謎も探ってみたいと思います。
この後、七坂は有名な口縄坂へと続いていきますが、
飲み会の時間も迫ってきましたので、
この日はここまでとし、
難波に向かって西へと歩いていくことにしました。
途中、日本橋3丁目の交差点では、
多くの人が行き交っていたのですが、
そんな中、電柱の陰にひっそりと建つ道標を発見しました。
石にはとても敏感になっておりますものでね。
石には4面とも地名が刻まれており、
「難波新地」などの名前があって
比較的新しい道標のようでした。
誰が何のために置いたのでしょうねえ。
南面の「住吉社、さかい、高野山」が
一番遠くて古い地名の道標でした。
電気店が立ち並ぶこの界隈には
ちと不似合いな道標ですね。
このあと、道具屋筋を抜け
なんばグランド花月の前で、
芸能人(「やすとも」とか言ってた)に遭遇し
難波に戻ったところで馴染みのお店に入り
早々に飲み会は始まりました。
楽しい話は延々と続き
浪速の夜は更けていったのでありました。
そして終わってからは、
ほろ酔いで駅から家までヨタヨタ歩き、
たまたま生國魂神社シリーズ歩き旅は、めでたく終了です。