御坊にある実家を点検がてら、
秋の景色も眺めに遊びに行った。
その家に義理の両親が家を建てた頃は、
高速道路もまだ途中までしかなく、
一般道におりてからも
山を二つ越していかなければならなかったが、
今は御坊どころか、
南部も過ぎて田辺まで開通しており、
すさみまでの工事も始まっているときく。
この沿線は山中の道が多く、
トンネルも数多くあるが、
春は新緑、秋は紅葉、冬は雪化粧をするときもあり、
自然豊かな表情を見せてくれる。
実家までは、川辺で降りて、
道明寺近くを通りながら行くコースが最短コースとなる。
国道を横切り、200mほど海に向かったところに実家はある。
前回訪れた時に、
くまなく除草剤を撒いて帰ったにもかかわらず、
夏の日差しと雨が空き地を
こんなにも荒れ果てさせていたのには驚きだ。
こうなってはもう素人の手には負えないので、
シルバーに委託をすることにした。
それに加えて、先日の台風18号で
どうやら家の前の川があふれたようだった。
家の前の橋に積もった畑のごみの様子から
なんとか家の浸水だけは免れたことがわかった。
こちらは自分たちで片付けた。
それから近所の畑の中の道を散歩し、
これからヒガンバナの花の絵を描こうと
思っていたので、じっくり観察した。
普段よく見る植物でも
いざ描こうとなると
構造がわかっていないと
なかなか描けないものなのだ。
そしてとりあえず、庭で収穫できるものは収穫した。
むかご、
柿、
そして家の前の小川で
大量に泳いでいるメダカだ。
むかごは、むかごごはんに、
柿は渋柿ではないのでそのまま食用だ。
メダカは、doironのご近所で
一緒に大切に育ててくれる友達と
山分けするために、100匹程度すくって帰った。
農作業と川遊びの合間に
持参のおにぎりを実家で食べていると、
車が止まっているのを見たご近所さんが訪れてくれて、
両親の安否を尋ねてくれた。
かなり高齢化しているものの、
概ね元気にしていることを告げると、
喜んで帰られた。
手土産に畑で採れた瓜やゴーヤを
持ってきていただいたので、
お返しに採れたての柿をあげた。
阪神淡路大震災の日からここに住み始め、
10年ちょっと暮らしていたが、
その間にもこんなに民家もまばらな田舎で、
しっかりご近所付き合いをしていた両親。
もともと、そんなに人づきあいは
ディープではないのだが、
それなりにコミュニケーションは育んでいたようだ。
家の前に立ち、
南の方を見渡すと、
広い畑地のずっとむこうに
煙樹海岸の松並木が見える。
西には、頂上に公園を持ち、
ハングライダーの出発地点にもなっている
西山がそびえている。
時折、少し離れたJRを通っていく
オーシャンアローが警笛を鳴らしていく。
空にはトンビが飛び交い、
風にはどことなく潮の香りも混ざっている。
普段は家の中にいれば耳鳴りがするほど、
静かなところなので、
周りに漂う、音、風、におい、景色が
総動員で秋を告げていた。
実父のデイからの帰宅時間があるので、
昼過ぎに出発をしたが、
実はここは夕暮れの雰囲気が素晴らしい。
夕焼け空に鳥が飛び、
あちこちの村から
かすかに聞こえてくる有線放送の輪唱を聞いていると、
思わず唱歌「ふるさと」を口ずさみたくなる、
そんなのんびりとしたいいところなのだ。
ここに住み始めた頃は
そんな景色がとてもお気に入りで、
両親も「ここが終の棲家だ」と言っていたが、
人生はままならないもので、
現実的には介護の必要性から
今はdoironのすぐ近くに引っ越してきている。
でもまあ、ここはここで、
夏には盆踊りがあり、
祭りの季節にはだんじりばやしが聞こえ、
子どもたちが元気に遊びまわる場所を、
最近は「本当の終の棲家」とするのも悪くないと
言っているので、
引っ越してこさせて良かったなとしみじみ思う。
ミセスも嫁いだ身でありながら、
存分に「娘気分」を味わっているようだ。
御坊に行くたびに思う。
人間万事塞翁が馬。
年月の過ぎゆくままに
流れに身を任せていれば、
案外幸せは寄り添ってくれるものだと。