コラボ企画もようやく終わり、
またいつもの日常が帰ってきました。
たまっていたブログも載せていきます。
今回は府内でも、
あまり泉州の人にはなじみのない
豊中(と言っても泉0津市内の豊中町ではなく北摂の豊中市です)
を歩いてきました。
風の強い日でした。
doironが見た豊中の世の中
二回に分けてそれを書きます。
大阪府内には、
各地に古墳が点在しています。
これらの古墳が、ある地域に集まっているものを
「古墳群」
といいます。
大阪府では以前このブログで
「古墳に興奮」と題してシリーズを書いた
「百舌鳥古墳群」と、
doironが若い頃に一時期住んでいた
羽曳野にある「古市古墳群」が有名です。
世界遺産登録を
目指しているやに聞いております。
その二つはかなり有名なようですが、
実は大阪北部にも
古墳群があります。
天皇陵などはなく、
地方の豪族たちのお墓ばかりなので
それほど有名ではありません。
明治時代の調査で、
44基あることがわかったのですが、
今は5基しか残存していないということも、
あまり知られていない理由のひとつです。
ただ、出土物は円筒埴輪など
たくさんのものが見つかっています。
それが豊中市にある
「桜塚古墳群」です。
紅葉の季節、
柳生街道を歩いた後は、
街の秋の雰囲気も味わおうと
古墳めぐりで歩きに行ってきました。
トータル13キロくらいのコースなので、
歩き始めたのは午後1時頃でした。
間もなく師走となる
何となく慌ただしい街のほっつき歩きです。
スタートは阪急宝塚線の「岡町」。
駅に降りたらまず西に向かいます。
目指すは「大石塚古墳」と「小石塚古墳」です。
目指すとはいっても、
駅から入り組んだ住宅街を抜けて
すぐのところにあります。
これが大石塚古墳。
昭和54年の調査で、
円筒埴輪などが出土した
全長80mの前方後円墳で
桜塚古墳群最大の古墳です。
うっそうとした公園の中にたたずんでおりました。
そのすぐ北側には小石塚古墳があります。
大石塚古墳の北にあり、
主軸が南北に整えられているところから、
埋葬されていた人は
身内関係もしくは緊密な主従関係にあったのでしょう。
この二基の古墳には
墳丘に河原石が葺石として、
各テラス面には玉砂利が
それぞれ敷き詰められており、
「石塚」の名の由来となっております。
これらを眺めて再び岡町の駅に向かうところには、
「豊中市立伝統芸能館」がありました。
中に入ってみると、
展示されていたのは「円筒埴輪」。
大石塚古墳で発掘されたものであるとか。
中央は朝顔形埴輪で
両脇が円筒埴輪です。
見た感じはレプリカではなく
どうやら本物っぽかったです。
少しの滞在でそこを出て、岡町駅に戻り、
今度は岡町商店街に沿って
東に向かっていきます。
どこもシャッター商店街となりがちな昨今にあって、
この商店街は賑わっていました。
きけば50年近く前からあった
うどん屋もまだあるそうです。
その商店街の途中にあるのが原田神社。
先の大石塚・小石塚古墳もこの神社の境内にあったんだそうです。
そしてこの神社のすぐ横には
荒神塚古墳もあり、
その古墳の墳頂から、
大きな桜の根っこが出てきたことから、
桜塚の地名が生まれたんだろうといわれています。
その神社がこれ。
本殿は国の重要文化財です。
境内の中央に舞台もあるなかなか由緒ありそうな神社でした。
この神社の近くのスーパーの駐車場のところに
あったといわれる荒神塚古墳の痕跡は見当たりませんでした。
その原田神社の境内で、
ご当地の名物「森のおはぎ」をいただきました。
「おハゲ」じゃありません。
「おはぎ」です。
みそ味がとってもうまいおはぎでした。
続く。