緑道に入ると、景色と雰囲気は一変した。
緑に囲まれた道を進んでいくと、
やがて左にたくさんの緑を見ながら、
いつの間にか標高を稼いだらしく、
右に伊丹や豊中の町が見渡せる
山麓の道のようになってくる。
この道沿いにはところどころに
こんな道標や
歌碑が設置されている。
歌碑は説明がほとんどないので、
何が書いてあるのかさっぱりわからなかったなあ。
途中にこんな案内があった。
そうかあ、あの現代日本の黎明期に
外交で活躍した白洲次郎は伊丹に住んでいたのか。
年譜を見ると、大正11年に
父文平が建てたここ伊丹の4万坪の屋敷に住み始めた。
正子との結婚もこの伊丹で婚姻届を出した。
東京で仕事をするようになっても、
屋敷は残されたままで
昭和14年頃にはまだそのまま残っていたそうだ。
その後売却され徐々に解体されていき
今に至っている。
写真はその屋敷があったあたりを
撮ってみたもの。
全然わかりませんな。
スンマソ。
マルバルコウや
ヒヨドリジョウゴ、
ヤブミョウガ、
萩の花
が咲く道を進んでいくと、
お、これはタラヨウの木だ。
葉の裏にとがったもので字を書くと、
徐々にその文字が黒く浮かび上がってくるという
「葉書」の由来となった木で、
岸和田中央公園にもあったな。
山麓のこの道は車も入れないし、
時折ジョガーが通り過ぎてゆく
本当に気持ちのいい道だ。
ねこも気持ちよさそうに昼寝をしているぞ。
ところどころにこんなあずまやもある。
ただこの季節、
ゆっくり座っていると蚊が襲ってくるのがいやだねえ。
血を吸うのはメスだけ。
命尽きる前に血をいっぱい吸って
無事に卵をたくさん産まなきゃみたいに
必死なんだそうだ。
ふたつ目のあずま屋の先が
「伊丹坂」。
西国街道の難所といわれた坂なんだが、
いやいやなかなかではあるが、
これで「難所」なのかなあ。
西国街道という京都から下関へと至る長~い道には
もっと難所がたくさんあるだろうて。
そうそう、親父の告別式の時に
久しぶりにお会いした親戚の方は
最近この「西国街道」を歩いておられると言ってたな。
今頃はどこまで歩かれているんだろう。
さすがにdoironとよく似たDNAを
持っておられるなあと
お話をお聞きしながら思っていたもんだ。
doironもいつかこの坂を上る日がくるのだろうかね。
その伊丹坂を横切って
道標を見ながらなおも進んでいくと、
国道171号に出るので
しばらくその大きな車道の歩道を歩く。
そして次の信号で右折し
緑ヶ丘体育館の駐車場を抜けて、
今度は緑ヶ丘公園へと入って行くコースが
美しい日本の歩きたくなる道なのだ。
ここが「下池」で池面に浮かぶ亭(ちん)が、
中国佛山市から友好都市締結5周年の
記念に贈られた「賞月亭」。
中国や韓国ドラマのロケに使えそうな場所やね。
ただしロケに使う時に注意しないといけないよ。
小さな写真なのでわかりにくいけど、
この写真の中に中国や韓国には
絶対にないものがチラッと写っている。
冬ならもっと目立つだろう。
何かわかるかな?
わかったらすごいな。
実は右の林の中にちらっと赤い鳥居が写っているのだ。
鳥居は日本神道独特のもの。
中国や韓国にはないもんね。
池に沿ってぐるりんと回っていくと、
その赤鳥居が現れる。
「緑ヶ丘神社」だ。
この神社の前に広場があり、
どうやらここなら蚊に悩まされることもなさそうなので、
お昼にすることにした。
今日はこれ。
なんと義母さんにいただいた
マツタケごはんのおにぎりと
非常食用に置いてあった缶詰の
消費期限が迫ってきていたので持ってきた。
ところが、さあ食べるぞと
プルリングを引っぱったら、
ポロリンと取れてしまった。
げげ~と焦りつつ続く。