「富士」の語源はいまだに定かではなくて、
「淵」であったり「不死」であったり、
「不二」、「富滋」などあるかと思えば、
アイヌ語の「火」を意味する
「フチ」という説まであって実に様々だ。
それは「富士」への憧れや畏敬、
宗教心など人々が富士に抱く思いが
いろんな形であることを物語っている。
今年になってから「富士」にいくつか登った。
といっても日本の最高峰、
あの霊峰富士ではなくて、
日本各地に散らばるご当地富士だ。
「紀州富士」といわれる龍門岳、
「近江富士」といわれる三上山、
「泉州富士」といわれる小富士山。
そして今回はその流れで、
「大和富士」といわれる額井岳に登ってきた。
富士といわれる山は
「八」の字になっていることが多く、
山頂直下ともなると急な登りが続くことが多い。
この山の姿もそんな感じで
下から見上げると、
ポコンと空に突き出たようになっている。
それは一日秋晴れが見込まれる
気持ちのいい日だった。
自宅から車で南阪奈、国道165号
を経るコースで榛原へと向かった。
南阪奈は当麻寺にある
義父さんの墓参りなどで
最近よく利用する自動車道だ。
その道路で、朝もやでかすむ畝傍山を眺めながら、
終点まで行って、国道165号を東進し、
初瀬も越えて行く。
ああ、この道も懐かしい。
トライアスロンのバイク練習で
青山高原や伊勢に行ったときも
この道を通っていった。
いくつも起伏を越え、
谷を渡りひとこぎひとこぎ
強くなっていく自分を感じていたものだ。
一日180キロも全然苦痛じゃなかったなあ。
初瀬は「はせ」と読む。
そうあの西国三十三カ所の霊場である
長谷寺の「はせ」で、
三重県松阪へとつながる
初瀬街道の起点となっている。
そこを過ぎてから、
車を山麓の道へとすすめて行く。
おお、目の前に本日の目的地
「額井岳」
が姿を現した。
ピークが二つ連なる山容は
二上山を思わせる。
事前に奈良の山友に聞いてあった
登山口の「十八(いそは)神社」に車を停めた。
ここから観る景色は素晴らしかった。
初秋の山麓の向こうに榛原の町が広がり、
その向こうに青々とした宇陀の山々の
稜線が連なり、奥の吉野の山々の稜線と重なっている。
まだまだ未知の山が多く、
楽しみは限りない。
さてここは「十八神社」である。
まるで地方に残る銀行の名前のようだ。
いわれを調べてみたが、
なぜ「十八」なのか、
そしてなぜ「いそは」なのかはわからなかった。
三室戸寺にも「十八神社」があるが、
こちらは三人の祭神と15の神様を
合祀したところからついた名前
とか言われている。
また関東には三十八神社もあって、
「三」は祭神の数で
「十八」は神様に敬意をあらわすための数字だとか。
とまあ、そんな具合にいろいろ説はあるけど、
この大和富士の山麓に
ひっそりとたたずむ「十八神社」の
いわれはよくわからなかった。
ただ、産土神としての信仰は厚く、
本殿は20年に一度遷宮されるという。
この本殿は2011年に造営されたもの。
彩色がひときわ鮮やかであった。
またこの額井の村には「勧請縄」という風習がある。
十八神社の祭事のひとつで、
村人たちが糾った縄を
長い注連縄にして村に吊るし、
村の安寧と五穀豊穣を
祈願するというものだそうだ。
そしてもうひとつ興味深かったのが
この十八神社の手洗い鉢の水が、
今から登る額井岳の中腹に湧く
水をひいているという事。
額井地区の産土神にふさわしく、
ここには山と一体となった
信仰が息づいているということやね。
しーんと静まり返った山麓の村に、
人々の祈りのように
初秋の陽光が降り注いでいましたとさ。
燦々と続く。