いろいろとありましたが
とりあえず福知山の続きに向かいます~。
広小路の突き当りにある川は「由良川」です。
そのふもとに水天宮社稲荷大社があります。
近畿北部最大の河川がこの川で、
多くの動植物がたくさんの恩恵を受けると同時に、
人々の暮らしにも大きく影響してきました。
近年では、大水によりこの川があふれ
増水被害が出たりしています。
そんな河川の大きな橋がこの
「水無瀬橋」です。
今回の橋がなんと6台目。
古くから交通の要所として
活躍していたんですねえ。
この橋の下には、広い河川敷公園があります。
実は、福知山マラソンの初回は
ここの河川敷がスタートゴール
だったように思います。
あの頃は楽しかったなあ、
今度こそ3時間切れるやろ
とか思いながら、
毎回レースを楽しみにしていたものです。
こんな浄土真宗のお寺なんかを眺めながら、
そのまま道を南下していくと、
突き当りが「福知山市丹波生活衣館」なんです。
しかし、な、なんと
この日は定休日でした。
げげ~、だいたいこういう施設は
月曜休みが多いからと思っていたのですが、
なんとここらは火曜日が休みのところが多いです。
入場無料だったのになあ~。
残念です。
そっから北のほうを向いて
進んでいきましょう。
福知山城の公園があるはずです。
お~、ここで福知山のマンふたを発見です。
もうわかりますよねえ。
福知山音頭と福知山城が刻まれています。
とそうしているうちに、
道は福知山城の入口へと入ってきました。
この入口には佐藤太清の
記念館もあるはずなんですが、
やはり定休日でした。
彼は自然の風景や花鳥を題材にし、
現代的な日本画を書き連ねた人ですから
楽しみにしていたのですがねえ。
もうまったく定休日のチェックをしていませんでした。
仕方ないのであきらめ、
お城のほうへと上っていきましょう。
休館日を見ると、
やはり火曜日ですねえ。
でもこの城は高台にあるので、
まあ眺めはよいでしょうから
一度眺めに行ってみましょう。
てくてくと上っていきますと、
前から降りてくる家族連れも悔しそうでした。
そやねえ、家族連れの団体で来てるのに残念でした。
結構な急坂を上りきったところが
広場になっています。
下から見上げたところが
こんな感じです。
この城は、天正年間に明智光秀によるもので、
三層四階建てで、床面積は1063平米。
うう~、中に入ってみたかったなあ。
仕方ないので周りをうろうろしておきましょう。
これが、由良川のほうを見下ろした景色。
天守前広場の一角に、
いろんな形の石が積み上げられています。
これはなんと、この城の石垣の石の一部です。
ここはもともと、
「野面積み」「乱石積み」と言われる
石の積み方で、
明智光秀建築当時の姿がとどまっています。
不揃いの大きさの石を中のほうで組み合わせ、
隙間に石を補強的に入れてあるもので、
結構頑強だそうです。
なので、石垣の中から
中世の宝篋印塔や五輪塔の礎石が
たくさん出てきたそうです。
写真にもたくさん写っていました。
まあ、こんなことはよくあるようです。
姫路城にもこういう石が使われていたり、
安土城では上りの階段の石も
こんなものが使われていましたもんね。
ここに展示されているのは、
旧福知山城の鬼瓦を、
福知山と旧大江町の
「日本鬼師の会」が原寸復元したものだそうです。
そういえば、かつて「旧大江町」の時代に
ここが行ったトレイルランを走ったことがあります。
大江山という結構急な山を
登り降りてくるというレースでしたなあ。
あの残酷マラソンの主催者の人と
途中知り合いになりました。
合併してもうあのレースはなくなったのかなあ。
あの平成の大合併で
亡くなったマラソン大会も結構あるんやろうねえ。
お、こんな大きな井戸があるぞと続く。