ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道大辺路突入2

2018年09月17日 21時09分03秒 | ウォーキング

最初にこの神社にお参りするつもりだったので、
この日は神社の納経帳を持ってきていました。

なので社務所で記載してもらうことに。

若いお兄さんが写経所にいますので、
納経帳を渡すとプラスチックの
引換券を渡してくれ、
これで交換しますというではありませんか。

他の客は一人もいなかったのにね。
仕方なく、納経書を預けて、
神社のお参りをしていきましょう。

そうしてしばらくしてから
社務所に人の姿が見えたので、
納経書を受け取りに行きました。

おお~ここの朱印には赤白の
鳥のハンコが押されてましたね。



受け取り時に若いお兄さんが
いろいろ話をしてくれました。

「歩きに行くんですか?」
と聞くので「大辺路を歩きに行きます」
と答えると
「ああ夏はいろんな人間が遊びに
来てるから気を付けないとねえ。
海岸を歩くときは海水浴の客も
いっぱいいるしねえ」
とアドバイスしてきはります。

いやあ、大辺路でも海辺近くを
歩くのはもっとずっと先やろ
とか思いながら話を聞いておきました。

まあ注意して歩いてくださいよ、
とのことでしょう。
それよりお兄ちゃん、
つけてる眼鏡をもう少し
整備してくださいよって
感じでしたけどねえ。

まあアドバイスありがとうございます。

ああ、ここではこんな朱印帳
なんかも販売しているんですね。



確か前に来た時はなかったと
思うんやけどなあ。
最近はこんな神社の御朱印を集める
「神女」も増えているかもしれませんねえ。
いろいろと親切にしていただいた
親切兄さんのいる神社でした。

さあ、doironは相変わらず
プラプラ歩く「歩きおっさん」です。
大辺路の続きを歩いていきましょう。
神社の北側の道を進んでいきます。



こんな道標が建っていますよ。
支柱の下の方には「大辺路」の
文字入りなので、しばらくは
こんな感じの案内になるのでしょうね。

そして、こんな大水害100年の
記念碑が立っています。



石の上部のところまで
水に浸かったという感じですねえ。

消防団の作った記念碑のようです。

そしてその先で導き地蔵に
見送られて登っていくのが



「礫坂(つぶりさか)」といわれる坂道です。




いやあ、名前通りだとなんか
とてもしんどそうな・・
つぶれそうな・・・そんな感じの傾斜です。



そのいわれはと調べてみましたが、
これも特に記載を見つけることは
できませんでした。

漢字通りの名前だとすると、
「礫」と小さな石のある坂なので、
そういう整備がされていた
のかもしれませんね。

で、この辺りは、ちょうど高校生の
通学時間帯で大量の自転車が
doironを追い越していきました。

中には高給なロードバイクに
乗ってる高校生もいたなあ。
自転車部とかそういう生徒かもしれません。

コルナゴでカーボンリムの付いた
高給そうなやつでしたなあ。

そして、こんなところに
MUSIUMとかありますよ。



ここで音楽大会とかあるのかなあ
と思ったら、なんとこういう名前の
パチンコ屋さんでした。



う~ん、まるで公共施設と
間違えてしまいますなあ。

すぐ近くに海が見えるほどの



場所を進んでいきますと、
紀伊新庄駅の近くにさしかかります。
この辺りから熊野古道は
海から少し離れたところを
進んでいきますね。



「名喜里」という何かいわれの
ありそうなところから、
こういう川沿いを進んでいきますと、
大潟神社へのこんな標識があります。



なんかこの辺りは地名のいわれが
それぞれありそうですねえ。

この神社も元は熊野古道沿いに
「若一王子社」としてありました。



若一王子という名前は各地に
存在しますねえ。
藤代王子や出立王子も
そう呼ばれてました。

どこが本殿なのかわかりませんが、
こういう名前で社が
分祀されていたんでしょうねえ。

それが山頂に移されたときに
「大潟神社」という名前にされたそうです。



続く