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能登半島地震発生は
マラソンの帰り道に知った。
また記憶に新しい中越沖地震発生を知ったのも、
皆生トライアスロンに
応援に行った帰りのことだった。
こんな風に大きな地震のことは
記憶にも鮮明に残っているが、
震度3程度の地震は
それこそ日常茶飯事的に、
日本国内のあちこちで発生している。
今日、北海道で発生したと思えば、
明日は小笠原、
次の日は和歌山の地震といった具合に
あちこちから
地震の報せが届いたりすると、
頭の中の日本地図が
その都度ブルブル震える。
まさに、地震大国日本といえるだろう。
13年前の今日、
我が家を襲った地震は
震度5強だったと記憶している。
本棚は倒れ
テレビは台から滑り落ち、
自慢のお風呂の褐色タイルに
横に一本くっきりと
ひびが入った。
そんな地震に襲われて
生まれて初めて大地に揺り起こされた朝、
僕は38歳だった。
当時の地震では
6434人の命がなくなったが、
あれから僕はしっかり生きてきただろうか。
そして今もしっかり生きているだろうか。
1月17日という地震の日が来るたびに、
あの日の自分と
それからの自分を比べてしまう。
僕にとっての阪神淡路大震災は、
追悼でも戒めでもなく、
ひとつの生きる基準点となっているような気がするな。