最近、新聞等を賑わしている
動物の話題をふたつ。
ひとつは、13日から開かれる
ワシントン条約締結国会議で
国際取引が禁止される恐れがでてきた
クロマグロ
特に、地中海産や
大西洋のそれが
激減しているからだと。
ただでさえ、マグロの
脂の載った部分である、いわゆる
「トロ」
は、これまででも高嶺の花だったのに
ますます、お目にかかることもなくなるだろう。
数年前、ルネの仁○さんが
手配してくれたのが
doironの生涯で
最後に食べた大トロになるんだろうな。
そんなわけで本日のエイでは
マグロづくしを頼んだ。
大きな声で、
「もうすぐ高級メニューになるかもしれない
まぐろの山かけ」と頼んだら
他の客に受けたこと。
出てきたのはこれ。
とはいうものの
新聞によると
規制にむけては一年間程度の
猶予期間があることと
水産会社にも
かなりのストックがあるとのことだ。
たちまち、マグロが
口に入らなくなることはなさそうだが
いずれそんな時代が来るんだろうな。
和歌山白浜で
クロマグロを養殖している
近大のクロマグロを
食べに行く豪華ツアーなんてのが
お目見えするかもね。
マグロが大好きな友達も
さぞや悲しんでいるだろうな。
もうひとつの動物の話題が
昨日トキを襲った犯人が
テンだったってこと。
以前、長野のよく行った宿で
何度か雪の中で見かけたテンは
愛くるしくて可愛い小動物だった。
あんなに、可愛い動物が
日本の宝
いや、世界の宝である
トキを襲うなんて・・・
JAYWALKのボーカルが
覚せい剤をやってたくらいに
ショックだったな。
テンはやわらかな雪に残る足跡が
特徴的だった。
テンの仲間の特徴である
二つずつ残る足跡の間に、
お腹の毛が一筋だけ
高くなっているので
一本の筋が残るのだ。
トキの事件では
きっと、雪があっても
ざら雪だったのだろう
そんな筋は残ってないようだったから
犯人探しに少し手間取ったようだ。。
昔、機関紙をやってたころに
信州の旅のコラムを書いた。
その時doironはその足跡を見て
こんなことを書いている。
「テンの足跡には特徴がある。
腹の毛が一筋高くなっているので
足跡の間に一本の筋が残る。
いつも%を考えている
計算高い奴だ。」とね。
トキのケージに
忍び込んだテンに罪はない。
それを防ぐために
人間が、ちゃんと見張っていなければ
ならなかったはずだ。
でないと
莫大な税金を投じて
保護している意味がないのじゃないか。
え~、最後は少し辛口になりましたが
最近話題の動物の話でした。
日本のイルカ漁をテーマにして
アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を
受賞した映画「コーヴ」のことや
日本の鯨漁の船に
無茶な攻撃を仕掛ける
シーシェパードの理不尽さなども
書きたかったけど
エイのお酒が回って
眠くなったので
今日はこの辺で。
映画「アース」や「オーシャンズ」みたいな
夢を見たいな
後ずさりするような寒い日が続いている。
二十四節季のうち、
動物に関する事項を含んでいるのは
この“啓蟄”のみというのが興味深い。
啓蟄について少し調べてみると、
この“啓”という字には
いろいろ背景があるらしい。
日本以外の漢字圏では“驚”が使われ
“驚蟄”としているとのこと。
そもそも二十四節季は
中国に由来するのだが、
ときの漢の皇帝の呼称に
ゆかりのあった“啓”を
庶民が使うことが禁止されていた時代があるとのことだ。
後に唐の時代になって、
”啓”に字を避ける必要もなくなり、
“啓蟄”に戻ったのだが、
暦が整備されるようになって再び
“驚蟄”になったのだと書かれてあった。
実は自分の名前の中にも、
この“啓”の字がある。
啓蟄という言葉においては、
そんな風な経緯のある字なのだが、
啓にはもともと
「ものごとを広める」
といった意味がある。
いわゆる、啓発、啓蒙の啓だ。
doironの名前のもうひとつの字と組み合わせると、
どうやら
「ものごとを明らかにして広める」
という意味の名前となる。
奇しくも今の仕事が
広報という
まさにそんな仕事なのだ。
しわくちゃで、
泣くしか能のなかった赤ちゃんのわしに、
そんな名前をつけた親父。
まさか、その50年後を
予言していたのではあるまいか。
一度親父に聞いてみようと思うのだが、
50年以上も持ち続けて
今さらそんなこと聞けないしな。
ま、何かの機会を見つけて
話をしてみようと思っている。
そんな啓の字を持ち、
動物に関連した唯一の節気である
啓蟄は先の3月6日でした。
ここ数日の間に、
わいわいと地中から這い出てきた虫たちが、
一旦起きたけど
再びすごすごと地面にもぐりこむような気候となっている。
今日なんか、
見事な霰がばらばらと降ったしね。
doironも故障がよくなったと
喜んでここで無理をしたら、
再びすごすごと
低迷の日々に逆戻りとなるかもしれない。
ここは慎重に這い出るタイミングを見極め、
故障がないよう
トレーニングの日々に
目覚めていかねばならないと、
考えている今日この頃なのだ。
確定申告に行った。
われわれサラリーマンにとって
通常はあまりしない手続きだ。
doironも記憶のある限りでは
昭和58年に
家を建てて、
住宅取得控除のために
申告して以来だ。
やろうと思えば、doironの
心臓手術や
ばあちゃんの入院なんかでも
医療費控除の申請が出来たんだが
なんとなく敷居が高かったのと
面倒くさかったため
していなかったのだ。
今回の確定申告の原因となったのが
ふるさと納税
自分の住んでいる市ではなくて
職場のある市にお世話になっているということで
控除限度額内での
寄付をしたということだ。
この寄付は、目的となる市に
住民税を納めるようなもので、
納めた金額マイナス5000円が
所得税及び市・府民税から控除される。
例えば、
10万円を寄付すれば
それが限度額以内であれば
翌年の所得税及び市・府民税が
9万5000円安くなるって寸法だ。
さて、その確定申告なのだが
ふるさと納税をした担当部署から
申請用紙をいただいて
ここ2、3日の間、書き方を
勉強していた。


書くために絶対必要なのが
源泉徴収票だ。
これまで何気なくもらい
何気なく引き出しにしまっていたが
申告のためには
絶対欠かせないものだ。
申告書を埋める数値は
ほとんどそこに書かれてある。
源泉徴収票をこんなにじっくり眺めたのは
これまであまり記憶がない。

書きかたの説明とにらめっこし
巻末についている
下書き用紙に
鉛筆ナメナメしながら書いてみて
職場の税担当に確認してもらい
準備を整えていた。

我が住居地の市の確定申告は
スポーツジム近くの大きな会場を
税務署が借り上げて行っている。
なので、スポーツジムと
同じ駐車場に車をとめて行こうと思い
車で出かけた。
案の定、会場の駐車場は
満車で順番待ちの車が
路上にあふれている。
やはりな、

ジムの駐車場でもある
地下Pへ。
ところが、そこも車の行列が・・・

一瞬に判断をして
その先の100円Pへ。
通り過ぎざまに見れば
そのPも入るまで10分待ちであったぞよ。
これはただ事ではないぞ。
申告会場に何かが起こっているに違いない。
すこし遠いPから雨の中
を歩いて申告会場に行くと
そこには恐ろしい光景が
広がっていた。
まるで、USJの
バックトゥーザヒューチャー並みの
行列が目に入った。
え?行ったことないくせにって
ところが、最近、内緒で奥さんと
行ったんだなこれが。
そのことはまた書くとして
とにかく、ジュラパー並みの
行列が・・・もういいか。
しかも並んでいるのは
ほとんどが高齢者。
あれは、今思えば
医療費控除の申告者が
大半なんでしょうねえ。
ど、どうしようと思って
申告書を握り締めながら
途方にくれていると
すたすたと近づいてきた
係りの人が
「もう書いてあるんなら
こちらに出していただくだけで
いけますよ」という。
見ると、2、3人しか並んでいない。
申請書はほぼ完璧に出来ているはずだ。
あとは会場で確認だけすればいいと
思っていたのだが、
その係りの人が
「もし足りないところや不備なところがあったら
後日電話で聞きますから」といってくれたので
その部分は
申告の数値と関係ない部分だし
きっとこう書くのだろうと思っていたので
その列に並びながら書き足すことにした。
チョチョイと書き込んだところで
順番が回ってきた。
係りの人は電卓を叩いて確認するどころか
申請用紙の数値を
見ようともしない。
どうも確認したのは
ハンコと添付書類の有無だけのようだった。
あれよあれよという間に
あっけなく申告は終わった。
意外に簡単でしたな。

こんなに簡単なんだったら
来年こそは
医療費控除の
申告をしようと思ったぜ。
紙オムツ、デイサービス利用などの
スーちゃんの分や
オヤジの診察代も馬鹿にならんしな。
きっちり領収書を貯めておこうと
心に誓ったdoironなのであった。
ところでグーちゃんの医療費は
控除の対象にはならないのかな?
確定申告を終え、
納税者の義務を果たした満足感と
高い敷居を乗り越えて
またひとつ大人になったワイと
気をよくして帰路についた
doironなのであった。
元気がない。
いつも帰ってきたら
ちぎれるくらい尻尾を振って
出迎えてくるのに
今日は、オヤジの布団に
入ったままだった。
グーも今年で9歳。
人間で言えば
そこそこいい年である。
息子が帰ってきていた日々は
よほどうれしかったんだろう。
元気にはしゃぎまわり
抑えないといけないくらいだったのに
今日はしょぼんとしていて
「ただ今」といっても
オヤジの布団の中から
目線を送るだけだった。
オヤジが少し風邪気味だったので
それがうつったのだろうか
あるいは、息子の旅立ちを
本能的に悟ったのだろうか。
見ても鼻が乾いている様子もないし
息遣いも荒いということもない
しばし、寂しさを実感しているのに違いない。
犬も老犬となると
周りの雰囲気を
敏感に察して
楽しいときには楽しそうに振る舞い
寂しいときには
同じように沈むんやね。
飼い犬と人間の心の絆。
思ったよりも強いんだな。
オヤジは言葉ではなく、
その姿を見せることで育ててきたんだ。
PTAの役員、
だんじりの責任者、
盆踊りや子供会の催しでは
いつも司会を一生懸命やってる姿などを見せてきた。
もちろん、トレーニングを
頑張っている姿も見せてきた。
マラソン大会の応援にはたびたび来てくれて、
親父の必死の姿を見てたはずだ。
初めて宮古のトライアスロンに出たときには
学校を休ませて
南の島まで連れて行った。
もちろんゴールは、
家族3人でのゴールだった。
doironのトライアスロン人生の
原点が、そのゴールだったな。
そして子育てをする上で
一番大切にしたのが、
彼が友達と過ごす時間だ。
子どもは外で育つもんだとよく言ってたことを思い出す。
だから家の都合よりも、
友達との都合を優先してやった。
大学を決めて一人暮らしをすると言い始めた時も、
やっぱり我が子やと思ったね。
自分もそうだったから
反対など全くせずに送り出してやった。
そんなオヤジの意図通りに
その頃にはもうすっかりまっすぐ育っていたし、
わしが言うのも何だが、
オヤジよりも優しく、
人にちゃんと気遣いの出来る人間になっていたな。
もし人を傷つけたら、
彼は多分その傷ついた人の何倍も自ら傷つくだろう。
いや傷つけることより、
きっと彼は自分が傷つくことの方を選ぶはずだ。
好き勝手な放任オヤジの下で、
よくぞここまで育ってくれたものだ。
そんな彼が、
社会人になる前の最後の休みに帰ってきていて、
ここ数日濃密な親子の時間を過ごした。
そして今日、
彼は冷たい雨の中、
ほっこり暖かさを残して旅立っていった。
車のバックミラー越しに、
見えなくなるまで手を振り続けて。
彼の姿が見えなくなった瞬間、
社会人を一人輩出し、
これで、もうオヤジの役割は終わったと思った。
息子よ、達者で暮らせ!
今日は息子と
鳳のアリ○に行った。
目的はそこにあるL○FT。
もうすぐ来る
ホワイトデーに備えて
義理とはいえいただいた
バレンタインのお返しを
買いに行ったのだ。
息子も、3人に
返さないといけないらしい。
「面倒やな~」と言いながら
満更でもない様子。
で、その3人とは?
聞けば、なかなかやるじゃないか。
本命はどれなのか
明かしはしなかったが
どうやらその中に
いることは確かなようだ。
この時期
ホワイトデーのコーナーは
あちこっちにある。
いろいろ物色をしたが
なかなかこれといったものが
見つからず
ぶらぶらしていたら、
面白いものを見つけた。
それは一体何なのか。
あげた人にだけ
わかることにしておきましょう。
久しぶりに、息子と
街をブラブラ歩いて楽しい時間を
過ごしました。
午後からは息子も忙しく
出たり入ったりと
慌しくしていたが
夕方からは
焼肉に一緒にいった。
たいていこんなときは
泉州マラソンの打ち上げでいった
ワンカ○ビなのだが、
今日は息子のリクエストで
ここに行った。
ここは、ディスプレイも派手で
座布団もこんな感じ。
メニューをみながら
注文をするときも
「カルビリンコ1つ」とかいって
頼まないといけないのだ。
注文しているだけで
陽気に楽しくなってくるような
名前がメニューに並んでいる。
しかも店員が
お客さんが来るたびに
「いらっしゃいりんこ~」と叫んでいる。
では、帰りはきっと
「おかえりんこ~」と言うぞ
といってたけど
聞き逃した
明日帰郷する息子は
運転者なので
ウーロン茶。
しかしそれも超特大のこれ。
う~ん、社会人となる前の息子との
最後の宴にしては
少々落ち着きのない店ではあったが、
いい思い出になりました。
息子よ。
達者で暮らせよ。
親父は仕事も介護も
色々忙しいけど
人生を楽しんでいるぜ。
お前も、家のことなど気にせず
めいっぱい人生を満喫しろよ。
家のことなど忘れるくらい
充実した日々を過ごせよ。
そして、またふと思い出したりしたときには
ぶらっと帰ってきたらいい。
今度は
ラーメン「○倉優子」に行こうぜ
もうこの申し込みは18回目だ。
最初申し込み始めた4年間は
まったく相手にしてもらえずに、
宮古を完走した翌年に
初めて選考していただいたという経過がある。
当時は大会数も少なく、
どこの大会に出るのにも
選考のための書類審査があった。
今はなくなったが、
三重県五ヶ所湾で開催されていた
総距離51.5kmの
「三重サンベルトトライアスロン」
でさえ、選考されるのに2年かかった。
今から20年くらい前の話だ。
小さな超ローカル大会から
実績を重ね、
珠洲のトライアスロンをそこそこの成績で完走し、
その結果宮古に選考され、
皆生へと続いたというのが
doiron皆生ストーリーである。
その間、琵琶湖で開催されていた
アイアンマンジャパンにも
申し込みを続けていたが
何年も選考されなかった。
さすがにこの大会は
ハワイで行われる世界選手権の
選考レースとあって、
かなりの好成績の実績がないと
出場できなかったのだ。
これも今はないが、
北海道で開催された
「オロロンライントライアスロン」
という日本最長のトライアスロンで
ようやくふた桁の順位で完走し、
これでいよいよアイアンマンデビューだと
喜んだ矢先に琵琶湖大会がなくなった。
そんな風に、以前はどんな大会に出るのも大変だったもんだ。
皆生大会も、
一度つかんだ出場資格をフイにしないためにも、
実績をとぎれさせないようにと続けてきて、
今年選考されれば13回目の出場となる。
昨年、豪雨のために
途中中止となりゴールできなかったので、
そんな人たちはほぼ選考されるだろうと踏んでいるのだが、
果たしてどうなりますことやら。
さて、あさっては篠山マラソンが開催される。
エントリーしていたのだが、
参加は中止する。
遠方に就職を決めたので、
これから先ほとんど会うこともないであろう息子との
時間を優先しようと思う。
天気も悪そうだしね。
それにトライアスロンと違って、
マラソンには先着順はあっても選考はない。
今年ドタキャンしたからと言って、
来年出場を断られるってことはないだろう。
いよいよ、夏に向けてじっくり取り組もう。
テレビを見ながら
あーだこーだ言いつつ
息子と家庭内宴を催している。
「ほなら、こんど長野へ
旅立つときは
ばあちゃん連れて行ってもいいよ」
「あかんし」
なんて会話をかわしながら
さりげなく彼の生活を
探っているのだ。
あ~あ、毎晩こんなことしてたら
週末の篠山、黄信号ですわ。
長野県で就職先を決めてきた
doironの一人息子が
今日、帰ってきた。
今週いっぱいいるらしい。
もう彼がこんなに長い間
家に居ることも
これから先ほとんどないだろう。
帰郷している間に
また、飲みにでも行こうと
考えているのだが
doironの仕事が忙しく
予定がたたない。
こんなに忙しい時期なのだが
息子には、絶対しんどい顔は
見せられない。
どれだけしんどくても
親父は楽しく仕事を
してるんだぜと
手本を見せてあげないといけないと
考えているのだ。
学生から社会人になるときの
ギャップは大きいだろう。
だからこそ、社会人として先輩の親父が
仕事でしんどいって顔してたら
いかんと思うのだ。
帰郷している間は、
精一杯明るく
人生を楽しんでるんだぜ、
だからお前も
どんなにしんどくても
それを楽しめる度量を持てよ
と示してやるのが
親父の務めってもんさね。
なんて書きながら
さっきまで話をしているのを
聞いてたら
親父よりもしっかりしているような・・・
ま、2、3日
じっくり観察してみよう。
月間「ランナーズ」を買った。
かつては定期購読していた雑誌だ。
これまで、定期購読を
したことのある雑誌は
小学生の頃は
「少年マガジン」と「子どもの科学」
中学生になって
「世界の野生動物」
高校生では
「ビッグコミック」や「蛍雪時代」
なんかを購読していた。
大学生になると
下宿暮らしだから貧しかったので
定期購読はなかったが
山友達と
「山と渓谷」なんかを
友達と合同で定期購読していた。
「山と渓谷」通称「山渓」は
卒業してからも読み続け、
味気ない社会生活の中で
オアシスのような雑誌だった。
そのうち、山登りのトレーニングが
高じて、走り始め
山渓をやめて読み出したのが
「月刊ランナーズ」で
それはやがて
「月刊トライアスロン」へと
移って行き、
そのトラーが廃刊になってからは
またネイチャー嗜好にもどり
「BE-PAL」読者になり
今の状態になっている。
趣味の月刊誌というのは
編集する側からみれば
非常に難しい側面を持っているだろう。
毎号、新しい読者がいるので
号を重ねているからといって
専門的になりすぎる訳にはいかない。
常に初心者を意識しつつも
毎号工夫を重ねてベテランの人にも
読んでもらわないといけない。
テーマも限られてくるだろうけど
決してマンネリ化することは
難しい。
今読んでいる「ターザン」は
最近は、やはり「ダイエット」を
テーマとした号が多い。
それだけ読者の需要が
多いのだろうけど
そろそろマンネリ気味である。
かくして、趣味の定期刊行の雑誌は
入門と専門の間で葛藤を強いられるのだ。
doironが編集している冊子も
そういう面で難しいんだよね。
編集秘話を少し紹介しよう。
まず、ここだけは手を抜けない
というのが、”表紙”である。
お、これは、と表紙を見て
手に取っていただくことで
目的の半分は達したと考えている。
だからこそ、置いていて目に付く表紙は
一番のキーページなのだ。
次に、テキスト量。
文字ばかりではまず読んでもらえない。
なので、一ページに最低2つは
イラストまたは写真を挿入するようにしている。
そして次が中味である。
やはりこれが一番悩ましいのだ。
今月号から見る初心者もいるから
出来るだけわかりやすく
丁寧な解説を入る必要もある。
しかしそれが、ベテランの読者には
まどろっこしいと感じるのである。
毎年同じ事業をやっていても
昨年のまま記事にすることは
なるたけ避けている。
毎年、少しでも進化させつつ
基本を押えるというのが
doiron編集長の
基本方針だ。
難しくなってはいけないが
一方で
高い要望にも応えていくには
どうしたらいいか。
定期刊行物の多くが
きっと共通に抱えている問題だろう。
これはテーマ雑誌の
永遠の命題では
ないのでしょうかね。
てことは、このブログも
そういうことは
やはり心得ておかねばならないのだ
ということなんですね。
同じテーマでも
切り口を変えたりすることで、
違った面が見えてくる。
どうやら、その辺が
ブログの醍醐味なのかもしれませんな

あ、そうそうkaisanのお店の記事のことでしたね。
1ページを使って
お店の雰囲気をがんばって伝えているって内容でしたね。
店の写真やスタッフの写真もよかったよ。
若干、kaisanが目立ちすぎとの
声もあったり、なかったり・・・
こういう新鮮な情報が
雑誌にとってはキモなんでしょうね。
我が社も頑張って、
迷いなく新鮮な情報を
前面に押し出して
冊子を作っていこうと
あらためて思ったdoironなのでした。