ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

消えたMD

2013年09月10日 21時17分54秒 | 音楽

音楽は流行りものをよく聞きます。

最近はメイジェイなんかいいですね。
あの伸びのある歌声には
吸い込まれそうになります。

音楽はほとんどを、
iPodに収録して聞いています。
持ち運びもできるし、
車にもつなぐことができるので便利です。

全部で500曲ほど収録してあるので、
曲単位でシャッフルすると、
車に乗りながらだと
1週間くらいは別の曲が流れることになります。

そしてたまには昔の曲も聴こうと、
100本近くも録りためたMDを
チョイスして聴くこともたまにあります。

ところが最近このMDプレイヤーの調子が悪いんです。

再生できるディスクと
そうでないディスクがあったり、
録音がうまくいかなかったり。

ヘッドクリーニングをしても改善しないので、
これはいよいよ修理か買い替えかなと思って、
電気屋さんやネットでいろいろ調べてみようと思って、
気が付いたんです。

MDのプレイヤーがないのです。
電気屋さんはもちろん
ネットでも売られていないんです。

え~、もう作ってないの?

録りためたMDはどうなるの?と思いつつ、
あせって何軒も電気屋さんを回ってみたのですが、
ディスクそのものはワゴンなんかで安く売られているのに、
再生機が一台も置いていないんです。

MDが出た時には、手軽に録音できるし、
持ち運びも便利だし、
夢のメディアやな、なんて思っていたのに、
もうその時代が早くも終わってしまったんですね。

ワープロ専用機器が作られなくなって
ためた文章を再生できなくなったときを
思い出しました。
そのうち、大量に保管してある
ネガフィルムやポジフィルムも
現像できなくなるんでしょうねえ。

どんどん時代は流れ
技術は進歩し、移り変わっていきますね。

ところが、なんと
カセットの機器はまだ売られているんですよ。
カセットテープが主要メディアだった時代が
長かったからでしょうかね。
最近は、高齢者がカラオケを録音して
持ち歩いていることが多いというのも
生き残っている要因かもしれません。

だから電気屋さんでも
カセット、CD、そして今はiPodなどの
MP3プレイヤーをセットする機械が完全主流です。

録りためたMDをどうしてくれるんだ。
と声を大にして叫びたい気分です。

もう一度カセットに録音しなおすしかないのですかね~。


但東町担当 後編

2013年09月09日 21時47分19秒 | 仕事

さすがに山旅中心に
企画実行している集団のメンバーだけあって、
イケメン君のザックからは何でも出てきます。

中でも感心したのは、
お湯を沸かすときの道具で、
熱効率を追求したフィンを備え、
持つところには断熱効果とやけど防止に
不燃布を張った道具が秀逸でした。

あっという間にお湯を沸かして、
持参したカップヌードルを作ります。
それと後はおにぎり一個が
この日の昼食でした。

あ~あ、仕事じゃなかったら
ビールを持参していって飲んだのになあ。
って、前編に続いてまた言ってる。
よほど飲みたかった気持ちが
伝わったでしょうか。

健康的に山頂で40分ほど過ごした後は
元来た道を下ります。

これも、速い速い。

近頃バイクで太ももを鍛えていたはずなのに、
膝が笑いそうになりました。

下りに要したのは、約40分。
下山間際で、地元のガイドさんと合流しました。

御年74歳で里山整備等を中心に
精力的に地域の活性化に取り組んでおられるすごい人でした。

下山後はその人の案内で、
まずはドウダンツツジの紅葉で有名な
安国寺に行きました。



ツアーの頃は、多分紅葉真っ盛りなんでしょうが、
この時はまだ青々としていました。
堂内に座り、おもむろに障子を引くと、
全面が真っ赤な紅葉に彩られる景色が現れる仕掛けで、
それはそれは見事だそうです。
洛北のまほろば、
圓通寺からみた比叡の姿の見事だったのが思い出されました。



そのドウダンツツジの写真も撮ったのですが、
紅葉前の姿なので、
掲載は遠慮しておきます。
安国寺 ドウダンツツジ でポチッと検索してみてください。

そこから次に行ったのが、

“美肌の湯”

で名高い

「但東シルク温泉」



支配人と営業の人に会い、
バスの駐車場のことやらを相談させていただきました。

ついでに、お風呂に入って、
汗を流すだけじゃなく、
美肌にもなって帰ろうと思ったのですが、
あいにくその日はメンテナンスのため全館休業でした。
がっくし。

その温泉の横にあるのが、
田んぼに植物で絵を描く「田んぼアート」。



これはたしか今年もテレビで見たような気がします。

コウノトリで有名な豊岡市が近くにあるので、
ここにはコウノトリを描いてあったそうです。

汗臭い体のまま、次に向かったのが、
「たまごかけごはん」の専門店、

「但熊(たんくま)」



というお店です。

ここでは、ご飯とみそ汁と漬物だけの
シンプルなお膳になんと卵がかけ放題で
350円という「玉子かけごはん定食」が
大人気だそうで、お昼時には大行列ができるそうです。





ここについたのが2時半くらいだったので、
行列はなかったのですが、
何とご飯がすべて売り切れて
炊いているところなので、
待ち時間が20分とのことでした。

せっかくなので待つことにし、
近辺をうろついてみました。

ここの卵の生みの親達は、
店と道を挟んだ田んぼの中にある鳥小屋にいます。



遠くに見える白くて細長いのが鶏舎です。
ここでとれた、産地直送の新鮮卵の
たまごかけごはん。
さぞやおいしかろう~
う~、待ちきれない。
ここがある意味ツアーのメインのような気がしてきました。

それにしても「但熊」って変わった名前だなと思っていたら、
熊も遊べるほど自然豊かな但東町であってほしい
という店主の思いが込められているそうです。

この熊が目印です。



熊そのものは「女子トイレ」でしたけど・・・。



ようやく20分が経ち、
持っていた番号札の番号が呼ばれました。
スピーカーで呼んでくれます。



これがそのスピーカーで、
案内の時以外はなぜか
勇ましい音楽が流れ続けていました。

よく見ると、スピーカーの上に
ツバメの巣があるではないですか。

さぞや賑やかな子育てになったでしょうね。

たまごがかけ放題ということなので、



貧乏性のdoironは3つもかけて、
しゃぶしゃぶ状態になってしまいました。



味がわからん状態でしたな。げげ~

こうして、ツアーで行く山、寺、お店の下見が終わりました。

ここんと、この地方には
大雨にもほどがあるというほどの
大量の雨が降ったそうです。

ようやく訪れた北丹波の里は、
静かなたたずまいに戻っていて
栗の実が落ち、柿も色づき始めて、
すっかり秋めいていました。

気持ちのいい若者と過ごした一日は、
いい下見になったと同時に、
秋になったら絶対あちこち
山に登ろうと固く心に誓ったdoironでした。


三時間走最終打ち合わせ

2013年09月08日 18時39分53秒 | マラソン

未明に2020年の東京オリンピック開催が決まりました。
オリンピックが来たら、
スポーツのさらなる振興や
経済活性化、人々の士気も上がると
言い続けてきた関係者の
努力が、福島などの心配材料を払しょくして
見事に開催決定を射止めました。

マイナスがいかに小さいかという
変な争いになった決定劇でしたが
素直に日本人として喜びたいと思います。

そんな未明の出来事を見ていたので
眠い目をこすって表題の会議に参加してきました。

友達にも協力いただいて
なんとか作成し終えたしおりを持って、
この22日に開催される
3時間走の最終打ち合わせでした。

この日はdoiron含めて
11人での打ち合わせとなりました。



場所はいつもと同じファミレス。

各自の役割分担、用意する物品や
仕事の最終確認でした。
doironはオジチャリで更衣用テントを持参し、
当日は準備と周回チェック及び片付けを担当します。

会議は淡々と進んで行きましたが
会議の中盤で
驚くべき資料が登場しました。

それが会場設営のためのミニチュアセット。



段ボールに走路と川を色分けして描き、
そこに厚紙で作ったテント、机、エイド、パラソル等を
並べていくという力作に、
皆さん感動されていましたね。
こちらはオリンピックではなく
作成のために寝不足だったそうです。

いやあ、その出来はというと
まるで、夏休みの工作作品・・・

いや、すべての準備資料を凌駕する
完璧なジオラマでした。

これで、一気に実行委員会らしくなったと
皆さん感動?しておられましたよ。

来年はきっと、
大津川大橋、南海電車も入った
超力作となっているでしょう。
きっと、川の部分には鯉も描かれているのに違いありません。

I原さん、お疲れ様でした。

こちらもしおり作成にあたって
紙への印刷、
サイズを決めてカット、
ラミネートして穴をあけて
リボンをつけてと、
それを100枚分繰り返しの作業でした。

友達の協力もあって、
そんなしおりの納品も
なんとか無事に終えることができました。



協力いただいたみなさんに
この場を借りてお礼を言っておきます。

ありがとうございました。

最終チェックも済んで、
開催まであと2週間。

いよいよ近づいてきましたね。
後は当日いい天気であることを祈るばかりです。


但東町担当 前編

2013年09月07日 21時28分18秒 | 仕事

読者から参加者を募って、
11月に晩秋の北丹波路に
登山とお寺見学と温泉をセットにしたツアーの
添乗員をすることになりました。

まあ、いわゆる旅ライターとしての仕事
ともいうべきものですね。

先日その下見に行ってきました。

一緒に行ったのはツアーを企画してくれている
神戸方面の会社の従業員さんです。

この従業員さんが、
33歳と若くしかもイケメン、
ただし2歳の子持ちというお兄さんでした。

大阪駅に迎えに来てもらい、
そこから目的地である但東町の山まで車で行きました。

大阪駅まではもちろん電車で行ったのですが、
平日だったため時間的に仕事に向かう通勤の人たちで
ギュウギュウの電車内では、
リュックを背負って半パンに登山チョッキと帽子は
かなり浮く格好でしたな。

そういう人達の白い目には
いやいやわしも仕事なんだと心の中で叫びつつ
通勤ラッシュを乗り切ったdoironなのでした。

但東町というのは、
毎年勤労感謝の日に大規模のマラソンが開催されることでおなじみ、
また最近は痛ましい花火事故があったことでも
記憶に新しい福知山の北の方にある自然豊かな町です。

この町の北の方の兵庫と京都の県境にそびえ、
山頂から日本海や丹後半島が見渡せる名山が

“高竜寺ヶ岳”です。

何でも京都のふるさと名山(名前は少し違うかも)の
50選にも名を連ねているそうです。

標高は約700mで、あまり人が入っていないけれども、
登山道や山頂施設がよく整備された山です。

その登山道入り口までの道中、
車の中ではイケメン君と
山登りスポーツの話で盛り上がりましたが、
さすがに彼はよく知ってましたね。あれが○×ヶ岳、
これが□☆山と、目に入ってくる小さな里山でさえ、
すらすらと名前が出てきて解説してくれます。

多分、これまでdoironが会った誰よりも、
山の名前と登山情報をよく知っている人でした。

また、doironがかつて登ったことのある山は
全て登っている感じでもありました。

そりゃ、プロやから当たり前ですかね。

約3時間かけて

”たんたんトンネル”



という変わった名前のトンネルを抜けたところに
登山口があります。



そこにようやく到着して広場に車を停め、
携帯のGPSアプリを起動して、
登り始めたのが午前10時30分でした。

さあ、ここからツアーでは一時間半をかけての
登行が始まります。
しかし、車の中での話から
イケると判断したんでしょう、
彼はかなりのスピードで歩き始めました。

小さな木橋を超えると



いきなり少しの区間の急登が始まるのですが、
もうそこですでに顎から汗がしたたり落ちる始末。

里山だからと舐めていたわけではありませんが、
まさかこんなペースで登るとは思っていなかったので、
リュックからタオルを出していなかったことを後悔しました。

そしてようやくこの“休み石”に到着して、



一瞬リュックを降ろしたので、
慌ててタオルを出して顔を拭いました。
帽子のつばも汗でぼとぼとでしたわ。

春ならイワカガミが咲くという山道を、
40分ほど歩いたでしょうか、
初めて北の方が開けて
日本海が目に飛び込んできました。



写真では見えていませんが
肉眼では海が見えてました。

天気が良ければ天橋立も見えるそうですが、
残念ながら小雨模様で曇っていたので、
かろうじて久美浜湾の小天橋が見えていましたね。

そんな素晴らしい景色も
山頂では一段と良く見えるということなので、
ここでもあまり休憩はとらず、
先を急ぎました。

しばらく行くと、こんな表示がありました。



おお~あと30分かあと思いつつ、
5、6歩歩くと数秒でまたこんな表示が・・・。



「ワープしたんか!」

まあ、看板はそれぞれ別の人が建てたのでしょうが、
それはないよなあって感じでしたね。

ちょっと看板への信頼に陰りを持ちましたね。

まあ、道はしっかりしており、
コースも間違いようがないんですけどね。





こんな看板にもがっくりしてはいけません。
ここからおよそ5分が正解でした。

最後の急登を登りきると、
山頂にポンと出ます。



さすがに地元では

“熊野富士”

などと呼ばれるだけあって、
山頂の出現は急でしたね。



但東町から見た高竜寺ヶ岳はなだらかなんですけどね

山頂広場にはあずまやもあり
芝も植わっていて好感度は抜群。





写真で二つくっついている石の
左側が標高696.7mの三角点です。



山頂の雰囲気は、春に上ったお菊山と似てましたね。



遠くには重く垂れこめた雲の下に、
日本海もくっきり見えていました。
ここまでに要した時間は1時間強。
ツアーでかける時間の3分の2で登ったことになります。

道理で背中も汗ボトの筈です。

なにはともあれ、
仕事なのでビールはありませんが
スポーツドリンクで乾杯し、
最高の眺めを見ながら、
あずまやで昼食を始めた二人なのでした。

次回に続く。


たまたま生國魂 最終

2013年09月06日 21時30分50秒 | ウォーキング

浪速文学ゆかりの文学碑や
生國魂神社を訪れた後は、
天王寺七坂にも足を延ばしてみました。

上町台地の西側にかかる坂群は、
平地のイメージのある大阪の中でも
様々な小説の舞台になったり、
ドラマで使われたりと、
ちょっと異質な光景の中にも
風情たっぷりのたたずまいを残しています。

今回は、北端の生國魂神社周辺の坂を二つ訪ねてみました。
まず最初に行ったのが、

「真言坂」

神社の北側に6坊のお寺があり、
それらがすべて真言宗のお寺であったことから
そう名付けられたそうです。

西北の鳥居をくぐって坂道を登っていきますと、
神社に続く階段の下に北に向かって下っていく
長さ50m位の坂道がありました。
それが真言坂です。

坂の上部から見下ろした姿がこれ。



そしてこれは千日前通から見上げた姿です。



上町台地に登っていく坂がいくつかある中で
特別に名前がつけられているだけあって
その雰囲気はなかなかのもので、
地面には以前熊野街道歩きで見かけた
「導き石」も埋められておりました。

坂のてっぺんには道標もありました。



「右 京道」。
裏側には「左 御堂等さんぐう道」と書かれてあるようでした。



神社で押したスタンプには
「淀姫ゆかりの女性の守り神がまつられている」
と書かれてありました。

生國魂神社境内社のこの「鴫野(しぎの)神社」のことですね。



そしてそこから下寺町筋をしばらく南下していくと現れるのが、

「源聖寺(げんしょうじ)坂」

下からしか見ておりませんが、
石畳の道が上へ上へと延びていった先で
石段になっています。



この坂の名前は上り口にあるお寺の名前から付けられていますが、
金台寺、銀山寺、齢延寺にもゆかりがあり、
特に坂の途中にある銀山寺には
近松の作品「心中宵庚申」に出てくる
「お千代、半兵衛」の比翼塚があるそうです。

天気もこのあたりではよくなかったので、
今回は下から見上げただけで帰ってきたのですが、
また日をあらためて行きたいと思っています。

源聖寺で押したスタンプには、
なぜかこんにゃくを食べる
狸の姿が描かれていました。

その謎も探ってみたいと思います。

この後、七坂は有名な口縄坂へと続いていきますが、
飲み会の時間も迫ってきましたので、
この日はここまでとし、
難波に向かって西へと歩いていくことにしました。

途中、日本橋3丁目の交差点では、
多くの人が行き交っていたのですが、
そんな中、電柱の陰にひっそりと建つ道標を発見しました。
石にはとても敏感になっておりますものでね。







石には4面とも地名が刻まれており、
「難波新地」などの名前があって
比較的新しい道標のようでした。
誰が何のために置いたのでしょうねえ。

南面の「住吉社、さかい、高野山」が
一番遠くて古い地名の道標でした。
電気店が立ち並ぶこの界隈には
ちと不似合いな道標ですね。

このあと、道具屋筋を抜け
なんばグランド花月の前で、



芸能人(「やすとも」とか言ってた)に遭遇し
難波に戻ったところで馴染みのお店に入り
早々に飲み会は始まりました。

楽しい話は延々と続き
浪速の夜は更けていったのでありました。

そして終わってからは、
ほろ酔いで駅から家までヨタヨタ歩き、

たまたま生國魂神社シリーズ歩き旅は、めでたく終了です。


泉州マラソンにエントリー!?

2013年09月05日 21時17分45秒 | マラソン

平成25年9月8日、午後8時。
泉州マラソンの申し込みが始まった。
このマラソンには、いくつか申し込み方法があって、
ネットでは先着順。
振り込みでは申し込み手数料を500円払って
抽選となるそうだ。

ネット申し込みには、
泉州国際市民マラソンのホームページと
ランネットでの申し込みの2種類があり、
今回は泉州マラソンのホームページがお得なので、
申し込みの始まる午後8時の少し前に、
友達の家でパソコンとiPad2台を並べてその時を待った。

最初はジムのロビーでやるつもりだったのですが、
パソコンのある他の友達が協力してくれることになったので、
2台を駆使しての接続は心強いと、
お願いしたものだ。

そして時間丁度に2台を接続。

読み込みを開始したものの、
まだ2台とも画面には

「8時にエントリー画面を貼り付けます」
というようなメッセージが出たまま。

むむむ、どこにつなげばいいのだ。

「応募登録」というボタンをポチッと押しても、
サーバーが混雑していてつながらない。

あ~あ、これはもうだめかと思いつつ、
何度も何度もチャレンジすること30分。

だいたい、これくらいの時間が経過すると
もう締め切りとなる時間やな。

ということで、抽選に回ると決めて
やむなく解散をした。

それでもあきらめきれずに、
自宅に帰ってからパソコンをつないで
ブログをしようとした時に、
試しにつないでみると、
サクサクつながるではないか。

しかもエントリー画面がすぐに出現。

時間はもう9時半である。

最後に「締め切られました」と出るのかなと
半信半疑で入力していくと、
受付番号が5×××6と表示されました。

やったー、エントリーできたやん。
これで泉州マラソンが走れる。

と書くと、ん?ランナーdoiron復活かって思ったかな。

違う違う、残念ながら友達のエントリーなのだ。

昨夜は皆さんもかなり苦労をされたようやね。
お疲れ様でした。

その夜、そんなことをゴニョゴニョしてたからか、
おかげでマラソンを走る夢を見た。

タイムを気にしないようになって5年。
そして大会にエントリーしなくなって3年になる。

その間、走る夢は何度も見た。
トライアスロンをしている夢も見た。
しかし、悲しいかな、
大丈夫か大丈夫かと自分に言い聞かせながら走っている夢だった。

今回少し違ったのは、
友達を引っ張って走る夢だった。

10kmを過ぎても脚は軽く、
どこまでも走れそうなほど快調だった。

20kmも気持ちよく迎えた。

そう往年の大会と同じような感覚だった。

ところが・・・ハーフ地点が近づいてくると、
天気は大荒れで走るどころではなくなってきた。

このあたりは、昨日各地で発生した竜巻の情報も混ざっている。

一緒に走っていた友達も、
どこにいるのかわからなくなり、
どうしようと思っているところで目が覚めた。

さすがにハーフマラソンのゴールで倒れただけのことはある。

結局21.0975kmより先は・・・走れませんでした。

マラソンの申し込みに苦労し、
やっと果たせたエントリー
なんてことが、かつての闘争心を呼び起こしたのでしょうね。

それにしても、夢でもいいからゴールしたかったな。


たまたま生國魂2

2013年09月04日 21時47分23秒 | ウォーキング

国立文楽劇場前の横断歩道を南に渡り、
歩道を東に向いて歩いていきますと、
下寺町筋と千日前通の交差点に出ます。

その交差点に面してあるのが、
生國魂神社参道の西の鳥居です。



もうこの神社の名前は読めますよね。
そう、「いくたま神社」です。

もともと大阪は淀川、大和川によって
運ばれてできた砂州から形成されていきました。
だから、今も「福島」や「堂島」など
島の付く名前の地名が多く残っています。

この生國魂神社もそうしてできた
夕陽が丘の北端にあるため、
そこからだと神社には坂道を登って行かなくてはなりません。

生島大神、足島大神、大物主大神を祭神とするこの神社は、
昔から上町台地の「いくしまさん」と呼ばれて
人々に親しまれてきました。
大阪最古の神社だそうです。

えっちらおっちら坂道を登っていきますと、
境内に数々ある境内社を巡る
参拝道の途中に北側から合流する入り口にたどり着きます。

入るとまず目に入るのが、
「井原西鶴」の座像です。



言わずと知れた1600年代の
寛永から元禄にかけて
「世間胸算用」や「好色一代男」などの
浮世草子を発表した
浮世草子・人形浄瑠璃作者です。

実は彼は、あまり知られていないけど
俳諧師としても非凡な才能を持っていて、
この生國魂神社の境内で
一昼夜で何句詠めるかという
「矢数俳諧」を行った際に、
4000句を詠みあげたそうです。

実に20秒に1句の速さです。

この座像はその偉業をたたえて造られたもので、
今にも俳句を詠みあげそうな雰囲気でした。

ちなみにこの矢数俳諧の最高記録は、
1昼夜で23500句だそうで、
これだと一句を4秒以内に作って
詠みあげたことになります。

本当にそんなことができたんでしょうかね。

この神社のことを紹介するのに、
もう一人欠かせない人がいます。

それが米澤彦八です。

1600年代に露の五郎兵衛によって
京都ではじめられた上方落語を、
この神社の境内を舞台にして
広く庶民に広めた人物です。

当時、人気役者の身振りや声色をまねて
演じていたのがえらく評判だったそうで、
「上方落語の祖」とも言われ、
毎年九月の第一土・日に
上方落語協会の人気落語家が勢ぞろいして
「彦八まつり」が催されるようです。

といえばもう次の週末なんですが
残念ながら、今年はそこは祭りの用事やら何やらで
駆けつけることができませんわ。

そんな「彦八」の記念碑がこれです。



またこの神社には、
様々な境内社があります。
様々な祈りにこたえて、
それぞれの神様がおわせられます。

これは西鶴、彦八とともに
近松門左衛門ゆかりの地として、
芸能上達、お稽古事などの上達をつかさどる
神様が宿る「浄瑠璃神社」。



珍しい金物・カマドの神がやどる

「鞴(ふいご)神社」。



土木建築の神が宿る

「家造祖神社(やづくりみおや)」。



とバラエティに富んだ神社が並びます。

そしてこれは、この神社の御神木です。



巳さんが宿るといわれています。

そうしてぐるっとひとめぐりし、
最後に本殿にお参りしてきました。

本殿脇には、神社の略誌や
御由緒書きも置かれてあったので、
いただいてまいりました。

ここのところ、神社仏閣には
足しげく訪っていますので、
こういった資料もかなり溜まってきております。

そんな本殿横の資料の中に興味深い資料を見つけました。

「天王寺七坂」スタンプラリーの台紙です。





そうですね、この生國魂神社は
夕陽丘の北端にあり、
ここから南に数多くの寺院群があります。

そんな寺院群を縫って、
7つの有名な坂があるんですね。

以前、「浪速ともあれ、熊野街道」シリーズで訪れた
口縄坂もここから南に3つ目の坂で、
ここに来る前に法善寺で訪れた
織田作之助の作品にも登場しています。

詳しくは今年5月11日に書いた過去ブログを参照してください。

有料のスタンプラリー台紙はもちろん
今度回ってみようと購入しておきました。

今回は北門から入ったので、
続いてその後正面に回ってみました。

さすがに人々に親しまれているだけあって、
厳かな中にも親しみのあるお姿を拝することができます。

そうそう、帰ってきてから思い出したのですが、
ここには「浪速ともあれ・・」で訪れた
八軒家浜にレプリカのあった
「常夜灯」の本物があったはずです。

写真を調べてみたら、
頭の部分と足の部分が
わずかに写っていました。
あ~あ、ちゃんと撮影できてたらよかったのに残念です。



赤丸部分がその常夜灯です。

こうして、生國魂を満喫したあとは、
小雨の中さらに足を延ばして
近くの七坂を訪れたdoiron。

その話は次回に続きます。


たまたま生國魂1

2013年09月03日 21時41分04秒 | ウォーキング

先日大阪市内で、
昔から親しくしている人達での飲み会がありましたので、
尿酸値も下がったので、
安心して出かけて行ったdoironなのでした。

その日は、午前中は仕事で
次の取材の打ち合わせがあった以降は、
親父もデイに出かけたので、
こちらも昼早々に家を出て、
難波に向かうことにしました。
天気の様子を見ながら、
歩けそうならほっつき歩こうと
計画しての外出です。

ごとごとと南海電車に揺られ
難波についたら、
小雨模様だったので、
よしよしとばかりに歩き始めました。

まず、出かけたのがこれまで何度も行きましたが
、あらためていろんなお願い事をするために、
法善寺の「水かけ不動さん」にお詣りに行きました。

都会の中にあって、
このあたり一帯はどことなく風情のある場所ですね。

賑やかな商店街を右に折れ
「こいさん通り」と名付けられた
小道を行くとすぐにたどり着きます。



周りのどの方角から眺めても、
不動さん周辺は異空間的雰囲気でしたね。

これは西側。







おや、石碑の横に変な動作をしている猫が・・・




このあとこの猫ちゃん
木の上にするすると登って行きました。
奇妙な行動にしばし見とれてしまいました。

ふと、後ろを見ると
こちらにも猫が・・・



そしてこれは東側からの参道ともいうべき路地の入口です。



当の不動さん本人はというと、
年中水をかけられているので、
体中が苔だらけですね。



頭を見ると、頭髪部分に
鮮やかな緑が茂っていました。

うらやまし~と思いながら眺めていると、
次々にお詣りに来る人がおり、
耳を澄ましていると外国の方々が多かったようです。

今や、日本の文化遺産には、
当の日本人より
外国人の方が興味を抱いているようです。

何度も何度も水をかけて、
先日書いた友達のこともお願いしつつ、
不動さんを後にしました。

そして次は織田作之助の
文学碑の探索です。

この10月に生誕100年を迎える、
大阪をこよなく愛した作家の文学碑です。

今年は生誕100年目ということで、
代表作「夫婦善哉」なんかも
あらためてドラマ化されているようですね。

地図では、不動さんの北側の路地に
その文学碑があるとのことなので、
外国人をかき分けかき分け探して、
やっと見つけました。



「包丁一本、さらしにまいて~」という、
大阪人なら一度は口ずさんだことがある歌が刻まれてました。

今、doironが歌うとしたら、
「おむつを一枚、股間にあてて~」
となるかもしれません。

写真を撮っていたら、
道行く人たちが「何、なに?」みたいな顔をしていましたね。

とまあ、そんな具合に
小雨の法善寺横丁をうろついて、
次に向かったのが、
文学碑つながりということで
もう少し東側にある

「谷崎潤一郎文学碑」

実はこの明治末期から昭和中期にかけて活躍した
近代日本文学を代表する作家の作品
「細雪」に登場する四姉妹のモデルとなった人達は、
doironと遠い親戚にあたるそうなんです。

それだけに、ぜひとも見ておきたかった碑のひとつです。

法善寺横丁を出て、
怪しげなホテル街を抜け、
東に進んでいくと国立文楽劇場があります。

その少し手前、千日前の大きな道路沿いの
歩道の植え込みにひっそりとたたずんでいました。

最初は見過ごしたようで、
ウロウロしていると、こんなのも見つけました。
「二ツ井戸舊跡」と書かれてありました。



おっと、またこの「舊」の字の登場です。
先日のオジチャリで勉強しましたね
「旧」の字の旧字ですね。

「今なら貞子人形を置いとけば
受けるのになあ」と思いつつ、
文楽劇場のガードマンに谷崎潤一郎文学碑のありかを
「知ってるかな~」と思いながらおそるおそる聞いてみたら、
よく聞かれるんでしょうかね、実に的確に教えてくれました。

そうして見つけたのが、これ。



谷崎潤一郎文学碑などという言葉はどこにもなく、
ただ彼の作品
「蓼喰う蟲」の一節が刻まれてあるだけでした。

無事に見つけて写真撮影をした後、
おいしそうなたこ焼き屋さんを見つけました。
しかも、テーブルも少しあって
ビールも飲めそうなので、魅かれましたが、

たまたまこの近くにあるという生國魂神社に
もっと魅かれたので、



タコ焼きとビールという極上のおやつを我慢し、
さらに東へと足を延ばし、神社参拝に向かったdoironなのでした。

次回に続く。


薬ってすごいな

2013年09月02日 21時14分50秒 | 最近の出来事

先日の検診で、
尿酸値が下がって大喜びという話を書きましたが、
他にも改善されている点がいくつかありました。

まず、腎機能の数値も改善されました。

一日も欠かさずブログを書いているおかげで・・・
ではなく、
一日も欠かさず薬を飲み続けているおかげで、
腎機能がかなりくたびれてきていたのですが、
ここへきて改善しました。

なんでだろう~?

もしかして腎臓が強くなった?
あるいは特定の薬成分の分解に慣れてきた?
う~ん、多分後者なんでしょう。

いずれにしても、内在していた問題が
一つ解決したわけですな。

そしてもう一つは、
コレステロールの改善です。

こちらは、あれ以来昔のようなハゲしい運動を
控えるようになったので、
順調に増加傾向にあり、
前々回に限度値を超えてしまいました。

そして前回、
測ってみたらいささか改善はしたものの
依然としてコレステロールが高かったので、
薬を処方されてしまったのでした。

食生活で改善しようと思っていたのに、
出鼻をくじかれた感じでしたね。

でもまあ、処方されたのだから
飲んでやろうと、
いつもの薬群に1日1錠を付け加えて
飲み続け、満を持して今回の検査に臨んだのですが、
なんと今回は下限値以下にまで
下がってしまいました。

逆にこれは血管にもよくありません。
コレステロールも適度にないと、
血管が弱くなるそうなので・・・。

それに血管の性能が命の鍵を握っているdoiron病なんですから、
大切にしないといけないパーツなんです。
ましてやゴルフで内出血などしている場合ではございません
(うう、練習できていない)。

というわけで、今度は薬効の小さい薬に
変更になりました。
また三か月飲み続けて、
次回検証となります。

なんか実験をやってるみたいですな。

それにしても、
薬ってほんの小さな粒なのに、
体はきっちり反応するんですねえ。

ほんとに薬ってよくできたものだと、
いつもながらに感心をしてしまいます。

これもこれまで、大勢の人々が
力を注いだ薬学研究のたまものなんでしょうね。
AEDの普及といい
カテーテル手術の精度・技術・道具の発展といい
運のいい時代に生まれたなって
今さらながら思っています。

薬について、これからももっと日々研究を重ねて、
どんどん血管が再生される薬とか
頭が明晰になる薬、
ランニングが速くなる薬なんてのも
ぜひとも開発してほしいものですな。


祭の季節が始まった

2013年09月01日 21時07分40秒 | 生活

さてさて、昨日も予言したとおり
今日から9月になりました。

台風崩れの低気圧のおかげで
時折雨は降るものの
概ね涼しい気候の中
10月に行われるだんじり祭りのための
献灯台や提灯付けが今日行われました。

2台のリフトに乗って
上空で作業をするのは
主に、だんじりの屋根の上で
踊りながらかじ取りをする
”大工方”の仕事で
あとのオッサン連中は
提灯を運んだり、リフトを操作したりするほかは
あれやこれやと下から指図します。

その外野の多いこと。



「提灯がいがんでるで」
「もっとしっかりつけや」
「つける順番を間違えてるで~」
と、船頭役が多いため
なかなか進みません。

しかも、雨が強くなっては休憩し
やんでは出てくるの繰り返しのため
昼過ぎまでかかってしまいました。



一番一致団結するのは
お昼の食事時です。
この日は、吉〇屋の牛丼とビールです。



こうして、幼馴染連中が集まって
公民館でわいわいすると
いやでも祭り気分は盛り上がってくるもんですね。

今年は総括責任者なので
祭までには警察に行って
「道路使用の許可申請」と
「許可証の交付」を受けなければならないし
各町代表の集まりにも参加しないといけません。
また、許可が下りたら
村の公民館で、許可条件を
読み上げなくてはいけない。
というのが我が町の習わしなんです。
だんじり本体のコマ替えやツツミ巻き
ブレーキテスト、花寄せと
もう祭りまではいろんな行事や寄合が
目白押しですわ。

もちろん、本番中は
常にだんじりに乗ってるか
周りでチョロチョロしてるかで
何かがあれば真っ先に警察に
事情聴取されるそうです。

そんな祭まであとひと月あまり。
明日からは、毎夜鳴り物練習をしている
だんじり小屋に村の連中が集まります。