ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

すっ富田林 5

2015年12月11日 21時43分10秒 | ウォーキング

この寺内町センターは
かなりしっかりと展示がなされています。

まずは、石上露子のことが、
4枚の紙に分けて
「生まれ」、「目覚め」、
「伝説」、「落葉」と記されてありました。

残念ながらdoironは
彼女の作品を読んだことがないので、
地元の図書館で調べてみたら
1冊だけあることが分かりました。

今度の休み明けには借りに行こうと思います。

ここには写真パネルで、
街並み典型や石などの





細かいデザインが分かれて描かれてありました。

まあ、doironもここは近年になく
じっくりとそしてうろうろと
してきたのですが、
見落としてるものが
たくさんあるような気がします。

ほかにも町家で使う様々な道具なんかも





展示されていました。

あ、そうそう、前のほうで書いたように
ここには、この地域の鬼瓦が
こんな風にまとめて紹介されていましたよ。









そんな展示をゆっくり眺めながら
センターを出ると、
おばあさんが一人で、
大勢の猫を連れて歩いておりました。



あ~あ、どうせならもっときれいで
いいのになあって思ってしまったぜよ~。



結局、「旧杉山家住宅」は有料なので、
外から見える所だけ見ておきました、へへ。

さあ、あともう少しです。

こんな石に導かれて
ずるっと確認しておきましょう。



ここが、旧東高野街道の道です。
きつい坂をぐにぐにーっとおりて歩いていきます。



最初はあとでこの道をおりて
歩いていくつもりだったのですが、
思いのほかこの寺内町をゆっくり回ったので、
仕方なく滝谷不動には
車で回ることにしました。

なので、このすぐそばにある場所が、
寺内町を歩くときの最後の見どころとして、



「左 ふじいでら」とかいた面の横に
「町中くわえきせるひなわ火無用」
の記載がある看板を見ておきました。



まあ、これで、だいたい寺内町は無事見終わりました。

帰りは、東西をうろうろしてきた道を
一気に突っ切って、
南北の道1本で駅に向かったdoironなのでした。

あ、この看板は何に向かってとか言って



取っているときに一つ気づいたのが
とゆについているこんな魚でした。
ああ~、こんなのもあるんですねえ。



とゆに魚を浮かべることで
水回りのないことをお祈りしているんですね。
これも初めて知りました。

今回7個の通りを歩いて、約7キロ。



ふーむ、まあここはいろんなことを
勉強したのでこんなものでいいかな。

早速車に乗って滝谷不動尊に回ることにしました。

この滝畑不動に行きたかったことの一つは、
この神社には「目の保養」をする
という神様がおられることがあったからです。

駅から外環に出て、
車を一路南へ。

309号を超えたところで、
旧道を河内長野方面へと曲がってゆく。

ほとんど込みのない道を上がって、
山中腹のお寺の駐車場についた。

と、ここで大変なことに気が付いた。
寺内町を歩いていた時に
動かしていたネットを止めていなかったのだ。

でもねえもう今となっては遅い。
残念、今回はナビのデータを
使うことができないような
変なデータになっておりました。

車をしっかり止めてから、
国道の北側にある寺へ



ノコノコと歩いていき、
「眼病よ近寄るなあ」とお祈りしておきました。

まあ、これで今日の目的はすべて達しましたね。

あ、そうそうこのお寺にも
百度参りをする人はいるんですねえ。
しっかりと百度参りをしている人がいましたぜ。



さあて、これですべて終わったと、
駐車場に向かっていくと、
あれ?この神社北側にも
大きな社殿とかあるんですねえ。
気が付きませんでした。
でももう気持ちは終わっています。

今日はここまでとしておきましょう。

さあ、あとは駐車場横の食堂で
食べる昼ごはんである。

今日食べたのはこれ。



むむ~、こぶうどんにおにぎり。
う~ん、このメニューはもう
豪華お昼の登録メニューだ。
アカデミー賞doiron今年の昼飯ノミネートに登録です。

ここでビールが飲めたら
フォースの覚醒何ですがねえ。
車だからそういうわけにも参りません。
ましてや、車のお払いの
神社もある滝谷不動の帰りですしね。

さて、これで結局今回は
寺内町と滝谷不動を歩きました。

いかがだっただったでしょうか。
富田林の寺内町、
なかなかいいところでしたね。

すっ富田林の一日でした。

さあて、次はどこを歩こうかなあ。


すっ富田林 4

2015年12月10日 21時40分00秒 | ウォーキング

ここにあったお寺は薬師堂です。



ここに安置されている
乾漆座像の薬師如来像は
信者の若い男女の恋文を
漆で貼り重ねて作られたと伝えられています。

それはすごいですねえ。

恋文を固めて作ったとはまたすごい仏像です。

一心寺は収めたお骨を固めて仏像を作るそうですが、
恋文でお像を作るというのは初めて聞きました。
よくあることなんでしょうか。

お堂の前には、大きな石臼のようなものが
2台並べて置かれています。
まあ、これも他ではあまり見ない飾りですねえ。

熊野古道なんかを歩きつつ、
いろんなお寺のものを見てきましたが、
ある時ふとまったく別のところに行くと、
見慣れないものに出会いますねえ。

ここはきっちりふたがされていて、
中をのぞくことはできませんでした。

お、この近くの家には
鍾馗さんを刻んだような鬼瓦が
ありました。



ここからさらに西向いて進んでいったところが、
石造りの役の行者さんがおられる浄谷寺です。



この辺りを歩いていると、
ちょっとした空き地に
何件か住宅を建てている工務店がいて、
「わかりますか~」といって
親切そうに声をかけてきました。

「え~っと、なんでこの辺は大峰山講が多いんですか」
なんて聞いたら答えてくれるかなあ。

さてはあ、不審なおっさんかどうか
見抜くために声をかけたのか。



喫茶店や整骨院を見ながら進んでいくと、





おお~ここが古い「杉田家住宅」です。



その昔は「油屋」を営んでいたのですが、
今はなんとお医者様です。



ああ~古い煙出しのある診察室で
燻製してもらいたい。
いやいや、今はそんな治療ももうないし。

でも、頭に手拭いでほっかむりした
若手の着物の看護師さんがいたら、
注射いっぱいさせてあげるのになあ。

さあ、ここは興正寺もある
寺内町の真ん中地域です。



道には「日本の道100選顕彰碑」
も建てられています。

ここはしっかりと眺めて帰ることにしましょう。



・・・・・

そしてこんなお家を見ながら、
通りの突き当りを見ますと、
そこに「じないまち展望広場」の
建物が見えています。



ああ、そういえばぼちぼち
トイレにもいかないといけない時間ですし、
先ほど買ったパンも食べないといけません。
頑張って歩いていきましょう。

そうしてついたのが、ここ。



ふむふむ、なかなかよさそうな
ところじゃないですか。
入ってすぐのところに休憩所もあるしねえ。

ちょっとゆっくりしていきましょう。

内部にある立派なトイレで用事を済まし、
まずは奥の展望広場から南側を見学です。
こんなコースが見えるそうです。



どれどれ。





おお~、確かに石川越しに
二上さんから金剛山が見事に見えます。

これはなかなかの景色じゃないですか。
ダイトレトレイル全山が
見渡せるこの景色だけでも
値打ちがありそうな感じですねえ。

さあ、では食事とまではいきませんが、
パンでも食べますか。

あ、あったかいお茶は持参です。

休憩して、こんな展示物とか



眺めつつ座っていると、
どうやらノルディックウォークで
歩き回ってるおばさん大集団が入ってきました。

ウヒャー、うるさーい。

これはもうじっくり休憩している場合ではありません。

すぐに出発です。

この展望所のすぐ北側にあるという
戎さんに向かいましたが、
現場はこの通り。



むむ~、これは修繕中なんでしょうか、
それともいつもこんな格好なんでしょうか。
よくわかりませんでした。

仕方ないので、
戎さんの隣の立小便小僧を取っておきました。



かつて、呉服商をやっていた
中井家などを通り抜けつつ西を向いて進んでいきますと、







この先にある「寺内町センター」へと入っていきます。

入ってすぐのところに
「寺内町」のかるたが作られて飾ってあります。



うん、これはなかなかいいですね。
確かそういう意味で、
新聞でも結構大きく
取り上げられていたのを思い出しつつ、
あと1話続きます。


すっ富田林 3

2015年12月09日 21時25分56秒 | ウォーキング

この店のそばにあった石には

「衝破徐」と書かれてありました。



こういう石は南河内によくあるといわれています。
道の突き当りや三叉路のところには
よくない霊が宿るといわれ、
それを取り除くのが
この石の役目のようです。

そう、もう思い出しますね。
沖縄の「石敢當」と同じ発想ですね。

沖縄、鹿児島でよく見かけますが、
「石敢當」は長い間歩いておりますと、
和歌山の熊野古道沿いでも見かけたことがあります。

この衝破徐は、これまでの研究で
どうも明治時代ころのものが多いようです。

でもねえ、ホンとは、
こういう魔よけの石は
「チンリンサン」と言われて
昔からあったそうなんです。



地蔵さんやお寺の境内に
転がっている丸い石が
ほんとは昔からそういう石
だったのかもしれません。

いやあ、それにしても初めて
「衝破徐」見かけました。

そして、ここの寺内町のもう一つの特徴が、
「あてまげ」と言われる制度です。



最初、これを見たときは
道が何か川なんかのせいで
整備しなおしたときに
おかしくなったのかなあ
と思っていたのですが、
そうではなくて、
なんとこうなっているのは、
最初から遠くを見渡せないように
わざとこんな造りにしたそうなんです。

これを「あてまげ」といい、
特に城之門筋と富筋が東西の町筋と重なるところは
こうなっているそうです。

今もその痕跡は、
あちこちで見かけることができます。



道のあちこちに立つ、
こんな古い木も



もしかしたら昔からの樹木なのかもしれませんね。

この家の二階には鍾馗さんが2期ありました。



でもねえ、これはまあ鍾馗さんでしょうけど、



これは果たして鍾馗さんなんでしょうか。



鍾馗さんと一緒に掲げられているのは
鬼だったりすることはあるようなんですが、
鬼にも見えませんしねえ。

ちょっとこれはわかりませんでした。

この鍾馗さんの後ろにある窓が
「虫籠窓」ですね。



屋根裏部屋の風通しと
明り取りのためにつけられた窓なんですが、
これもまたいろんな種類がありました。



こういう形はどうも江戸時代の
ものなんだそうです。

これもまた、この寺町界隈を歩く時の
楽しみの一つなんでしょう。

コーヒー豆やさんの隣にあったのが、



佐藤家住宅です。



屋根にいっぱい乗ってる鬼瓦も
なかなかのものでしょ。



どうもここには鬼瓦のついている家が多いなあ
と思っていたら、
あとのほうにあった寺内町センター内に、
たくさんの鬼瓦が並べて置かれてありました。

きっと昔のそんな鬼瓦が珍しく、
並べておいてあるのでしょう。

こんな石が置かれてあったのが、
もともと平井村(現美原町)から来た
という越井家です。



で、その先をふと見上げると、
道の向こうが大きく広がっています。



そうかあ、もともとお濠で囲まれた寺内町は、
周りに比べてこんなに高いところに
あったんですねえ。
先を見に行くと、大きな会談で
ドヨーンと下がっておりました。

野生ランの鉢植えや、



大峰講の名前の付いた町なんかが



この一角にはありました。

さあ、また反対向いて西へと向かっていきましょう。

おっと、ここに富田林市の汚水蓋が
3枚重なっておりました。



どんなのかと言いますと、



葛城山と金剛山が重なった山の景色の前に、
この寺内町の古い建物が描かれ、
市の木である楠と市の花であるつつじが
飾っているというものです。

相変わらずの古い竹物を見ながら歩いていきますと、
おお~ここには三階建ての
古い建物がありました。



前「葛原家」の建物です。



前にあるのが本家の「葛原家」。



もともと十津川の元郷士で
酒屋を営んでいたそうだ。

その分家ということで、
前葛原家は味噌、醤油などを譲造して
商売をしていたようだ。

そこからしばらく進んでいくと、
お堂の前にちょっと変わった
土蔵の台が置いてあるところが見えてきた。



ちょろっと近づきつつ、次回に続く。


すっ富田林 2

2015年12月08日 20時47分08秒 | ウォーキング

この本町公園には、
織田作之助が一時
富田林市に住んでいたことも書かれてあります。



また、ちょっと飾りのメイプルが
邪魔っぽい水車なんかもありましたが、



地面にところどころに植えられている
植物碑が、町っぽくておかしかったな。





公園を出て、こんな防火水槽を見ながら歩くと、



ちょうど道が突き当りになっているところに、



こんな石が立っていました。



そう、ここからが寺内町の始まりです。

まずは旧田中家の住宅へと向かいましょう。



途中こんな鳥居がありました。



中に入ってみますと、
大きな石があり、こんな風に書かれています。



「毛栄組 創立100年記念碑」

この辺り、大峰山へのお参りが
結構発展しており、
こういう「講」がよくあるそうです。

ちなみにdoiron家辺りにも
講がありますよ。

立派な石造りの役の行者さんの像もありました。



ちなみに、あとで訪れる
「浄谷寺」にも立派な役の行者がおられるそうです。

その「毛栄組」のすぐ近くに
「旧田中家住宅」があります。



市に申し出て寄付されたとかで、
きれいに整備されて立っています。



「自由にお入りください」
とのことなので、覗いてみましょう。



建物の中は、昔の近所の家と似ています。

また、中に入っていくと
紀の川市にあった旧名手宿本陣の村屋敷に似ていました。
井戸があったり、



倉庫があったり



となかなか古い建物ですねえ。

なるほど、この寺内町には
こういう家が続いているんでしょうねえ。

もと来た道を東向いて戻り、
さらに東を向いて歩いていきます。

これが「北向き地蔵尊」で、
この寺内町の北の入り口にあたります。



横には道標も立っていて、





「左ふじい寺 右まきのお寺」

と書かれてあります。

ふむふむ。



この辺りから、地図を見ながら、
東西南北あっちこっち向いて
写真を撮っていきますので、
どっち向いて撮ってるのか
わからなくなってきました。

地図に現れるとおりに
写真を説明していきましょう。

この寺内町はお寺を核として
栄えてきたからでしょう、
屋根の上に4体鍾馗さんを見かけました。



最初の一帯がこれです。

周りにお寺がないのに
これはと思いましたが、
どうも鍾馗さんは
近所のお宅の鬼瓦に対しても
向けていたりするようです。

家の過度にはこんな富田林市の地名表が・・・



わかりにくいのですが、郵便番号が3桁でした。

町のあちこちにいろんなお店がある中を
歩いていきますと、
ここが「奥谷家住宅」。



河内長野の岩瀬からこの地に
移住してきた材木商と言われている。

だいたい、こういう古い家の
中身を描いた案内を読むと、
いろんな場所から移転してきた人のことが
書かれてある。

それもそのはず、
ここの寺内町というのは
永禄のころ興正寺の門跡が取得し、
近くの4か所の庄屋各2人、
計8人にお寺の混入と町割り、
畑屋敷の建設を要請したのが
始まりと言われています。

だから、この自治都市の運営は
その8人が行ってきたとのことです。

その興正寺別院というのが、
もう少し南の方なんですが、
こんなかんじで残っています。



奥谷家は「煙り出し」や



「水鉢」のある古い建物でした。



その先には、寺内町交流館もあったのですが、



外で中の話を聞いてると
なかでめちゃめちゃ盛り上がっており、
ちょっと入るのも怖いくらいであったので、
ここは遠慮です。

こんな蕎麦屋も通り過ぎると、



こんなパン屋が見えてきました。



店のカウンターの奥で
機械を使って焼いているのが
そのまま見える面白そうなお店です。

ちょっとおなかがすいたので、
パンを一個買うことにしました。

選んだのは・・・クルミ・ブドウパンです。

よしよし、じゃあこの寺内町の中にある
休憩所でいただきましょう。

ん?変な石がその近くの家の前に立っています。

これは何でしょう・・・と続く。


すっ富田林 1

2015年12月07日 20時30分10秒 | ウォーキング

さあて、今回の街歩きは「富田林」です。

以前からこの市には「寺町」という場所があって、
一度は行ってみたいと思っていた場所です。



そう、こんな塔のある場所ですね

なんでも、以前の職場の知り合いが
熱心に街づくりをされていたようです。
え~っとその人の名前は・・・ん?
あれは誰だったかなあ?
といろいろと考えてみるのですが、
名前がやはり思い浮かびません。
加えてまあ、脳こうそくの頭には
その記憶の復元はやはり無理ぽいので、
もういろいろと思い出そうとすることは
やめておきます。へへ

で、そこへ行こうと前から考えていたのですが、
どうも距離的にもそんな大したことは
ないのではないかと思っていました。

なので今回は、
たまたま地図を見ているときに
ふと思いついたように、
富田林市寺内町から
滝谷不動までの道があることを知り、
それを歩いてみようと行くことにしたのです。

まずは、出発地である近鉄の富田林駅まで
車でビューンです。



この駅には、現役で仕事をしていたころには
よく行きました。

金剛山や葛城山に行くバスなども
この駅から出ています。

駅前のコスパの横にある駐車場に車を止めて、
さあナビをセットして歩き始めましょう。

まずは、駅の北側で昔の町長が作った
モニュメントを眺めつつ、



屋外にあったトイレにもよって出発です。

この駅の南側に移るために、
こうして作られてある踏切を渡ります。



まあ、そもそも田舎の駅ですから、
行内にたくさんの人が
いてるわけでもありません。

線路を超えて、駅の南側に出ました。



やはりこの駅はこの南側が見どころですね。

たくさんのバスや、
タクシーの姿が早くからあります。

もう金剛山は雪が積もっているのかなあ。
今日みたいな天気の良い日だと、
結構大勢の人が山に向かっているのでしょう。

でもdoironは今日は山ではなく街歩きです。

駅前の観光案内図を
見て回りますと、ありました。
これが寺内町の案内看板です。



そう、そして駅前広場の地面にも
こんな表示がありました。



駅前の国道を渡ると、
すぐのところにこんな案内所があります。



おお~、寄ってみようと思ったら、
まだ早すぎて開いておりませんでした。
仕方ありません。
その施設の前を通るこの道を進んでいきながら、
寺内町へと向かっていきましょう。

で、その寺内町なんですが、
なぜそんな名前なんでしょう。

そう、こういわれる地域というのは
寺院を核として発達した町で、
施設の周りを濠や土塁で囲み、
外敵の侵入をふさいだ自治都市であることから
つけられたのです。

ここ富田林の寺内町が形成されたのは、
もういまから400年も前のころで、
どんどん発達した江戸時代には
商業も発展したという町です。

町内は、南北6筋、東西7町の道路で
整然と区画されています。

現地でいただいた地図には、
それらの道をくねくねと回る道が書かれており、
いまでも街のあちこちに
昔の風情が残っているからと、
歩く人々は一度はやってくる
という場所になっています。

また、この場所は東高野街道、
富田林街道などが交わる交通の要衝でもあり、
おおくの商売が発達していったようです。

この日もそこへ向かって歩いていると、
まず本町公園という場所に差しかかります。



まあ、この公園は駅からの来るときの公園として、
いろんな整備がされています。

これが、富田林市が建てた看板。



もちろん寺内町の案内看板もあります。



ここでまず目を引いたのが、
この寺内町に生まれ、
いろいろと文芸作品を残した
「石上露子」のことが書かれてありました。



まあ、家庭的にはいろんな問題があり、
なかなかたくさんの作品を
残したわけではなかったのですが、
それでもまあ一つの文才として、
今も親しまれてはいる人です。

どれどれと進んでいきましょう。


最近言った美術館

2015年12月06日 21時13分37秒 | お絵かき

この頃、忘年会等で大阪市内に出ることが多い。
そんな時にせっかくだから
いろいろと探検してみることも
一緒にやってみようと、
先日は大阪歴史博物館に行ってみた。

そのとき、そこでやっていた特別展はこれ。



江戸時代に書かれた

「大阪発、奇想ワールド!」

という世界だ。

たまたま、こんな招待券をいただいていたので



せっかくでしょ。
場所は、大阪城に近いこんなところ。
NHKなんかと一緒にくっついている。



写真の右側です。
この辺りは前の職場の出張で
しょっちゅううろうろしたところだし、
大阪マラソンの時も
この前くらいで応援をしたから
十分地の利はある。

谷町線の駅で電車を降り、
阪神高速13号東大阪線に沿って



てくてくと歩いていく。

出口の法円坂入口あたりまで来ると、
その建物がしっかりと見え始める。

この入口あたりも楽しいよ。
こういう気象観測装置が
置かれたところもあったり、



竹内街道1400年を記念して
建てられた石碑があったりしてね。





この辺りは、前回大阪城を歩いたときに
ちょっと紹介もしたっけね。

それらを見てから、建物のほうに入っていくと・・・
どうも入口あたりにたくさんの人がいるのだが、
よーく見てみるとどうも
どの人々も外国の人たちのようだ。



アナウンサーも大変やろねえ。

そういう知識のある人も雇てるんかなあ。

doironは手持ちの招待券を見せつつ、
横からエレベーターに侵入した。
場所は6階である。

エレベーターを降り、
入口で招待券を見せ、
展示室のほうへと入っていった。

入ってすぐに、
いろんな掛け軸たちに目が留まった。

まあ、絵に対する目のよさなんてのは
あまりないのだが、
以前からミセスに掛け軸描いたらどう?
なんていわれていたから、

「そうか描くんなら、こんな風に遠近感を出すのか」
なんて思いながら眺めるような絵が続いていたな。

山、池、川、谷、花、そして人々と
そんな光景が絵の中に描かれてあった。

墨一色の絵は、
墨の濃淡で距離を表したりもするんやねえ。

そして面白いのは、
絵に例えば「雪中探勝図」とか
「青緑山水図」といったような
名前が付けられていること。
これを、絵だけ見てまた想像したりするのも
おもしろかったりする。

その辺から時代はどんどん進んでいって、

「上方絵師百花繚乱」

のころになると、
さらに絵のほうがおもしろくなってきた。

素材が、カエルだったり鸚鵡だったり
像だったりとなかなか面白い。

そうかあ、もし僕が掛け軸を描くんなら
こんな風に、自分で書きやすいものを
選んで描けばいいんだよなあ、
なんて思いながら見させていただいた。

今日はあとで帰り道に画材やさんによって、
書きやすそうで、しっかりしているような
書初め用紙を買って帰ろうと思ったね。

まあ、こうしていろんな人の絵を
読んだりするのはなかなか楽しいものなのだが、
最近よく思うのは、
絵を見ながら、
その画家の人生を振り返ったりできたら
もっと楽しいだろうなと思うのだ。

若いころは勢いに任せて描き、
慣れたころには独特の世界になっている。
そして晩年は、あらたな世界を目指して、
挑戦も始まっていく。

そんなテーマで選ばれた展覧会なんかも
あれば、ぜひとも行ってみたいなあ
と思うのでありました。


はあ~今日まで4連荘

2015年12月05日 22時26分43秒 | 最近の出来事

昔の職場の退職者のOB忘年宴が
今週大阪市内で繰り広げられた。

集まったメンバーは、
僕が知ってる限りの大酒飲みの
上から3人が集まっている。

これはもう面白いよ。

あ~あ、でもねえせっかく減量しなきゃ
と思っているのにねえ。
これはもうその楽しみから考えて、
おもいっくそ参加しに行かねばならないから
なかなか大変だ。

なにせ、その三人の飲み方はすごい。
一人は飲みすぎて、
玄関先で朝まで自転車を布団代わりにして寝る人、
もう一人は二時間ほど家の前で
ブロック塀にもたれて眠る人、
そしてもう一人は
学生のアメフトを競技場に見に行って、
屋外ストーブでつまみを作りながら
ビールを飲みまくる人と、
もう三人ともすごい連中なのだ。
集まって、飲んでるときにこんなことを言われた。

「なぜ、あの連中が無事にのんきに酒飲みまくってるのに、
元気にしてるdoironさんが病気になるんやねえ」とね。

ほんまにそうやなあ。
やっぱり日頃の行いが悪いのかなあ。

ワイワイと楽しい時が過ぎ
あの日、ふらふらになって帰った先輩に、
翌朝「昨夜は無事に帰りましたか?」
とメールできいたら
「おはようさん。無事に帰ってるよ。
なにせ僕の肝臓は脂肪にまみれて守ってもらてんねん」だと。

むむ~、つよいお人だ。

なにせ、東北大震災の時に、
現地の様子を一人で見に行って、
あまりのひどさにお酒を飲んで、
気が付いたら大阪の家で寝ていたんだそうだ。
その帰宅本能はものすごいものがある。

もう一人も、先日は近鉄の駅から
タクシ―に乗って帰ったそうだ。

こいつもすごいのは、
長崎でマラソンを走って
最後の帰る前に長崎空港で
もう一人の酒飲みと酒を飲み、
気が付いたら家に帰っていたというもの。

むむ~ある意味大丈夫な面もある。
もしたぶん彼らが年を取って、
頭の中がぼやけてきても、
自然と家には帰ってくるだろうってことだ。
侮れない帰宅本能は介護保険さえ
超えて存在していることだろうて。

もう一人は、宴会の途中で飲みつぶれて、
じゃ京橋行ってきますとかいって、
あっという間に消えてしまった。

もう、彼の頭の中は、
正常な人間でも中身を図れないだろう。

たぶん、脳こうそくで倒れたdoironには、
はるかに頭脳のかなたを
さまよっていることになる。

結局、3人のうち二人と二次会にも生き・・・
といってもdoironはお店で生いっぱいだけですよ・・・
もうそれでもヘロヘロになって帰ったのでありました。

そして翌日は、
昔からの友達とまたゆっくりと飲み、
またその翌日はジダンとの一杯飲み。
そしてその次は
地元での一杯飲み。

最後のはランニングクラブの
お誘いもあったのですが
予約はすでに埋まっておりました。

このようにして何とか
忘年会4連荘を過ごしたdoiron。

う~ん、これはいかんなあ。
体しっかりとメンテしなくちゃね~。


淀川完歩19 三川合流

2015年12月04日 20時54分04秒 | ウォーキング

さあ、では公園を出てと出口に向かうと、
そこに「唐人雁木旧址」の石が立っていた。



かつての朝鮮通信使ゆかりの
旧跡もしくは上陸の目印になったもので、
この近くの港で上陸し、
京都から朝鮮街道を通って
江戸へと朝鮮国王の国書を渡すものであったそうだ。

確かに安土や土山なんかに行った時も
「朝鮮街道」の文字はよく見かけたなあ。

そんな石を眺めながら外に出ようとすると、
ここには日本人の自転車置場の跡があった。



線路が効果を通ったことで、
ここにあった置場が閉鎖になったんやろねえ。

さてここから商店街の中を通って
何かお店でもないか調べてみよう。

しかしねえ、
なかなかこれといったお店が見つからない。

結局商店街の少し向こうのスーパーで
食料を買い出し、
せっかく持ってきた
ガスコンロで湯を沸かすことにした。



こういう施設を見ながら、



また公園も通り過ぎながら



再び河川敷に出て、
斜面のところで昼食にすることにした。

メニューはすごいよ。

まずはこのイカの刺身。



思わず買ってしまったよ。
それとイカのお好みと



この味噌ラーメン。



え~っと、味噌ラーメンの写真は
淀川をバッグに撮っておきましょう。

それにしても、こういう場での
食事はたいへんうまい。
車じゃなかったらビールで乾杯なのになあ、残念。

結局まあそんな楽しい昼飯をいただいて、
さあ、あと残りの御幸橋に向かって出発だ。



道をどんどん歩いていくと、
ん?川の斜面に何かあるぞ。



おお~、距離表でした。

距離の表示から見て、
河原までの距離に違いありません。

今の新しい距離表の前のものなんでしょうかねえ。

こんな狭い住宅が近づいてきます。



お、この家の植え込みは面白い。



中のガスメーターなんかが
見渡せるようになっているようです。

で、前に見えてくるのは
淀大橋となりました。



橋のたもとには、
たぶん京都競馬のガードマンでしょう。

こんなに離れたところにも、
人を配置しているのには驚きです。

淀大橋も上の渋滞を避けて
河原に降りてゆきます。



おお~上にあるのは新しい距離表
「39km」ですな。



上に上がって、先を眺めると、
おお~あの懐かしのドキュメント
「Gメン 75」のような画面が見えてきました。



ちかずいてみますと・・・
間違いなく「Gメン 75(年齢)」でしたな。

なあんてことを言ってると、
あと15年でこんなことになるんやからね。

と、そのとき画面の左下に
新しい植物を発見。



これは、マメダオシでしょうか。



アメリカネナシカズラに似ていますが、
花弁の形はマメダオシのように思えます。

むむ~、これは珍しい。

doironもこれまでに3回見ただけです。
川側でない斜面にも固まって生えていました。



とまあそんなことをやっているうちに、
どうも道が電車にさえぎられていて
降りなくてはなりません。



ここはもう引っ付き虫大警報付きですが
頑張って歩いたら、
へへ~引っ付き虫だらけになってしまいました。



あ~あ、途中あんなに注意したのになあ。



そうして、御幸橋にやってきますと、



おお~橋の表示が「淀川」になっています。



瀬田川、宇治川を越えたということですねえ。

ちょうどこの辺で中間点くらいになったでしょうか。

この辺りで、木津川、桂川も集まって



三川は一つに合流し、
大阪に向かって流れていきます。

ところどころ、
残っている河原の空き地は公園となり、
特にこの宇治川と木津川ののこりは
立派な公園になっているようです。



自転車野郎なんかも多く走っておりました。

さあこれで、
今回の走行距離は約13kmとなりました。



あと半分、
しっかりと歩いて行けたらなあ
と思いつつ、









楽しかったあと今日を振り返って終わりです。


淀川完歩18 競馬周辺

2015年12月03日 21時42分49秒 | ウォーキング

競馬場の中はある程度見えるのですが、
実際に決着部分は中のフェンスが邪魔で
外の道路からは見えません。



競馬をする人なら、中に入るべきでしょうね。



それにしても大切な勝負を預かる場所ですねえ、
道のあちこちにカメラマンが入るような
背の高い施設があったりしています。



競馬は夜やるものでもないのに
フェンスでさえしっかりとついてます。



天気悪くて遠くの見通しが
きかないようなときには
ライトをつけたりするんですかねえ。

まあ、競馬はほとんどやらないので
様子がよくわかりません。

競馬をよく知っている人なら、
ちょっとこうして周りを歩くだけで、
結構面白いのかもしれませんね。

競馬場の周りは結構きれいになっていましたよ。

こんなわけのわからん変な花を見つけました。



フェンスから餌でも漏れてきているんでしょうかねえ。

河原に立って、右にお馬やさんが
いてると思ったら、
川の向こうには親子のねこやさんが
いたりしています~。



とまあ、いろいろといってるうちに
距離表が40kmを迎えました。



競馬場のフェンスが途切れてきたので、
この辺りで町の中に入ってみましょう。

このあたりの駅前に
大きな神社や城跡があるらしいですから。

道の横のこんな狭い道を抜けていきます。



それにしても、この辺りには
フェンスがずっとあります。

僕が歩いたのは土曜日ですが、
もし午後中のにぎやかな時だったら、
この辺にも音楽なんかも
しっかり聞こえるんやないんでしょうかねえ。

ま、新しいうちでこの辺に移ってくるもんなら、
そんな音楽も気にならないものかも
しれませんがねえ。

道端には柿がなっていたり、



野菜売り場があったり、



学校があったりと



もう普通の町の中と同じなんですが、
普通の町とちょっとだけ違うところが
一つあります。

それが、警備員の数です。

車の鳥の多そうな交差点や、
ちょっと人が通りそうな交差点には
必ず人が立っています。

実際にちょっと歩く間にも
20人くらい警備員を見かけました。

実際に競馬があるときの
周りの安全のために
これだけの警備員を置いているのでしょうか。

いやあ、本当にすごいもんだと
感心させられました。

道端に置かれた無人野菜の安さに
驚いたりしながら、
駅前近くに差しかかっていくと、



交差点にこんな石が立っているのが
目に入りました。



「東南淀川渡場経」
と書かれてあったりします。

この近くに港があったのでしょうねえ。

そのすぐ近くに京阪の駅があって、

その駅の裏あたりが與杼(よど)公園になっています。







淀川の與杼(よど)と同じですねえ。
同じように水が薄く張っていたような
そういう地だからついていた名前なんですかねえ。

この神社に最近復活したといわれる
三社参りがあります。

三つの有名な神與渡御を
平成20年度より曳航しはじめ、
つい先日まで行っていたようです。

近所の各家の玄関には
こんなお札が張られています。



きっと三社の関係だと思うのですので、
そんな家の人に聞いてみよう
と思ったのですが、
聞くタイミングを逃してしまいました。

帰って調べてみようと思ったのですが、
これがまたネットにもあまり書かれてなくて、
また行く機会があれば聞いてみようと思っている。

この神社の隣には、
淀城の後を残した公園がある。



もちろん天守閣はないが、



大きな石垣や、簡単な説明書きが
あったので読んできた。

で、うろうろとその辺を歩いているときに、
公園の片隅にこんなものがあるのを見つけたよ。

「三等三角点 淀城」だって。



見てみると、三角点は完全に地面に埋まっていたが、



確かに三角点のようだ。

思わぬ収穫ににやりと笑って、
さあ、続きを歩こう。


淀川完歩17 京都競馬場

2015年12月02日 22時41分28秒 | ウォーキング

「三栖閘門」を出ますと、





道はすぐにもう誰も来ない道へと
変わっていきます。



こんな防災倉庫が立っています。



道は相変わらず、
アメリカセンダングサの大群落ですが



その辺は無視をして、
ちょっと離れたころに立っている
アザミでも見ておきましょう。



ん?ノアザミはこの時期ちょっとおかしいな。

ノアザミではなく、
なにか別の種のアザミでしょうか。

新種の「淀川アザミ」ということにしときましょう。

へへ、アザミはむつかしくてよくわかりません。
ていうか、最近は花の名前を思い出しても、
それを口にしてあっているのかどうか
ちょっとあやしいところがあります。



こうしてブログに書く時も、
図鑑で確認しながら書いている
ところもあったりします。



う~ん、この辺が今回の病気の
一番影響しているところかもしれません。

よこに京都大学の防災研究所を



見ながら歩いていると、



まず最初の橋である
阪神高速京都線の宇治川超の橋である。



先日、京都を訪ねた時に
この上を走っている。

この橋の下あたりが、
宇治川公園という名前になっている。
どんな公園かというと、こんな感じ。





ただ単にだだっ広くて、
芝生が一面に植わっている。

まあ、川が増水したときに、
水の中に埋まってしまうから物は一切ない。

でもねえ、ここだけこんなに広くてもねえ。

これこそ防災研究所の
拠点になるんじゃないか
と思ってしまいました。

川沿いの道はどんどん続いていきます。

この辺りは、周りの自然も厳しく、
川には鳥がいっぱいいます。



きっと、豊かな自然の中で
のびのびと暮らしているのでしょう。

空にはまるでつるのような雲が飛んでいました。



前に見えてきたのが、
「宇治川大橋」です。



この上を走っているのが国道1号です。

とはいえ、この辺を走る大きな高速道路や
バイパスなんかも全部1号ですので
どうも道の様子がよくわかりません。

ま、とりあえずこの橋は国道1号の橋なので、
渋滞を避け河原に降りてゆきます。



むむ~、この辺も引っ付き虫注意報はたいへんです。

上を見上げると、
この川の名前がプレートになって残っています。



ん?大阪湾から42.4キロですかあ。
ほぼフルマラソン。

サブスリーランナーなら
約3時間で大阪湾に飛び込めます。

大淀大橋を抜け、
上の立派な道に出たら
京阪電鉄との平行線です。



京阪で大阪に行く人は
注意してみといてくださいね。

さてこのあたり、
道には立派なフェンスがかかっています。



どうしてなんでしょう。
入らないようにだったら
もうとっくに立っていてもよさそうなのに、
これもよくわかりません。

まさか河原のこんな鳥たちを
保護してるってわけでもないでしょうしね。



むむ~、淀川はどうもよくわからんところが多いですねえ。

おお~距離表です。
伏見の手前で45kmの道標がありましたねえ。
ここでは42キロになっております。



オギやノギクが咲く道をさあ、
どんどん進んでいくと
アッというまに次の距離表に到着です。

で、そのあたりから、
京都競馬場が始まるのです。

競馬場の周りには
しっかりとフェンスが張られていますが、
どうもフェンスの外側にも
わけのわからん家もあって、
電気やガスも引かれているように見える。

あれはいったい何をしているんでしょうねえ。

ところどころ、フェンスの中が
こんな風に見えるのだが、



どうもゴールの周りには
大きなフェンスがあって、
ここからじゃレース結果は醜いだろう。

え~っと、でもラジオでも持ってきて
競馬を聞きながら、
ここでレースに沿って紙を流してたら、
中のお客さんに笑われたりしてね。



でもちょっとやってみたいなとか思いつつ、
進んでまいります。