ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

石切り詣で

2016年02月09日 20時55分10秒 | 最近の出来事

最近、自分も含めて
周りの人に体調を崩されている人が多い。

これくらいの年齢になったら、
そういうことは多くなるから
仕方ないのかもしれないけど、
やはりみんな元気で楽しく過ごしていたい。

ということで、久しぶりに
「石切りさん」へお参りに行くことにした。

車を使えば1時間もかからないうちに到着する。

今回は神社の公式駐車場に車を止め、
山門から入っていった。
これが神社の山門。



これを超えて進んでいくと、
本殿前の鳥居に出てくる。



本殿の前では大勢の人がお百度を踏んでいる。
doironもさっそく取り掛かることにした。
ナムナム・・テクテク・・・
ナムナム・・・テクテク。

ああ~、これをやるとやっている本人が
元気になるような気がするねえ。

百度参りを終えたら、
社務所でこんな「なでまもり」を買ってみた。



doironの場合は、
これを脳や心臓に充てて
お参りするといいんやね。

ついでに膨らんできたお腹にも、
ちょっと痛む腰にも・・・
ああ~キリがありません。
もう全身にこすりつけておきましょう。

そっから商店街をこんな石なども見ながら





いつものように歩き、



こんなお土産も買いました。



こんどご近所麻雀に行くときに
持っていきましょう。

ちょうど昼ころになりましたので、
石切り名物のヨモギうどんを
いただき半日の石切りもうでを終えました。

さあ、これでもう皆さんには
元気になっていただきましょうねえ。


南河内雨中歩行 4

2016年02月08日 21時07分46秒 | ウォーキング

道明寺天満宮を出て歩いて、
次に中津姫皇后陵を目指そう
と思ったが、どうも地図と
実際の現地との整合が付きにくい。

人間て知らない間に
太陽の位置なんかも
見てるんやろなあ。

雨のこの日は途中で道を間違ってしまうと、
自分が向いている方向も
わからなくなってくる。

常に駅からこんな風に
歩いてきたよなあとか思い出しながら、
何か地図と合わせられるものがないか
検討しながら歩いていく。

途中でこんな表示のある場所を通った。



「東高野街道」

と書かれてある。

ああ、これはどうやら南北に走る
道だなとか思いながら周りを見てみると、

あれ?

また「道明寺」の掲示があるじゃないか。

一周回ったのかな
と思ったがどうもそうではなく、
ここに普通に「道明寺」があった。

また道明寺かあと思ったら、
そうなんやあ。
道明寺には「天満宮」という神社と
道明寺というお寺の
二つがあるんですねえ。

調べたら、神仏分離令により、
寺と神社に分割されたそうです。

これがお寺のほうの山門です。



道明とは菅原「道真」の号であり、
彼が作った本尊の11面観音は
国宝に指定されているそうだ。

さあ、ではここから
「中津姫皇后陵」を目指しましょう。

それらしき方角に検討をつけて歩いていくと、



おお~まさにその方向へと
道標がついていました。

これ。



この交差点を右にということですね。
でもねえ、そのあたりから
皇后陵を見ると、意外に遠い。



これから歩いていこうとする
方向からは若干ずれているようだ。

ここはまあ、雨でも降っていることだし、
時間的なことも考えて
そこに向かう歩行を中断。

こんなところだと、
ネットに乗っていた写真を
紹介しておきましょう。



みちはそのまま西名阪自動車道をくぐって、
大きな仁徳に次ぐ大きさを誇る
「応神天皇陵」に到着だ。

これはその陵の前にある
「大鳥塚古墳」だ。



中に入れるようなので、
ちょっとじっくり見学してきた。

山に登っていくと、
この古墳が「前方後円墳」
であることがよくわかったなあ。



そこから応神天皇を巻くように
「大水川」の河川敷の横を
歩いていきます。



え~っとこの川は水量が多いですねえ。



さすがに「大水川」。
雨だからでしょうか。



さあ、この辺を出ると
もうかなり道がわかってきました。



もう少し歩けば、羽曳野警察



そして羽曳野市役所に到着です。



おお~羽曳野市役所には
「ダルビッシュ有投手」の
応援横断幕がかかっていますよ~。

たしか、1勝するごとに
いくらか寄付が入るように
なっていたとか。

大リーグに行ってからは
どうなっているんでしょうねえ。

とまあそうしているうちに、
薄暗い中ようやく目的地の
「古市」駅が見えてきました。



ここまでのコースはこんな感じ。



だいたい藤井寺と合わせて、
雨の中合計約10キロを歩きました。
まあ、雨が降ったらこの辺
注意しなきゃとか、
いろんなことをつかみましたね。

古市から約1キロを歩いて、
友達のマンションへ。



まあまあちょうどいい時間につきました。

おっさんばっかり6人で宴会です。
一人が「毛ガニ」を買って持ってきました。



おお~、
でもどうして料理するの?
とおっさんが言い合いして、
結局ネットで調理の仕方を発見。

こんな感じになりました。



それからその友達は、
「ナマコ」も持ってきました。



ああ、これはdoironも
裁き経験がありますからOKです。

その友達の家には
「サーバー」もあり、
そのあとは生ビールと焼酎と
ワインと日本酒、
羽曳野名物の特別梅酒が出てもう大騒ぎ、
10時過ぎには
doironの電車もあるので解散。

結局酔っぱらった体で、
湿った服でも何の心配もなく
着て帰ることができました。

雨の中を歩く時の注意を確認したり
いろんな楽しい話もしながら、
充実した一日を十分楽しめた
一日でしたあ。


南河内雨中歩行 3

2016年02月07日 20時50分59秒 | ウォーキング

藤井寺駅から、道明寺までは二駅、
土師ノ里を過ぎたら、次が道明寺である。



この道明寺はいつも年末に
テレビなどに登場する。

というのも、毎年新年の干支をテーマに
大きな絵馬を掲げるからだ。

そんな道明寺をまずゆっくりと
みてから歩いていこうと考えた。

さっきの藤井寺市内はこんな距離を歩いた。



距離でいうと3.5キロだな。
まあ、ここからだと
どれだけ歩けるかわからないが、
とりあえずナビをセットしよう。

古市の駅前を降りると、
一番最初に目についたのがこれ。

「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」だ。



NHKの大河ドラマで
「真田丸」が始まることに
引っ掛けてのことなんでしょうか。
今年はちょっと盛り上がるだろうね。
何かとこういう関連地は
いろいろと忙しいんだろうて。

碑の横には、この時の
夏の陣のことが書かれているのでしょうか?

中身はよくわかりませんが、
後藤又兵衛が死んだこと、
そのあとを受けた真田が
伊達政宗隊を引き留めたものの、
八尾の戦い敗戦をもとに
大阪城方面に呼び戻されたこと
などが書かれてあるんでしょうなあ。

そんな道明寺駅前から、
雨の中を道明寺に向かいました。



途中流れていた河川にも
たくさんの水が流れているよ。



雨はまだまだ強くなる一方だ。

マンふたは藤井寺の市の木
「梅」がえがかれています。



そうしてたどり着いたのが、
道明寺天満宮の駐車場入り口だ。



ぼちぼちと上がっていきますと、
参道の横に出てきます。

筆塚を見ながら



鳥居をくぐりますと、



そこにあったのが「撫で牛」です。



むかしはねえ、
こんな撫で牛があったりしたら、
足が強くなるようにと
足を撫でたものですが、
最近は心臓と脳をいじってしまいますわい。

これがさざれ石。



小さな岩が、固まって
大きな岩になったものと言われる。

このさざれ石は、
河内長野の滝畑から
持ってこられたものだそうだ。

そうそう、さざれ石は、たしか奈良三山を歩いた時に、
橿原神宮にもあったなあ。

ちなみに、国家のさざれ石の
もととなるものは
岐阜県揖斐川町春日の
伊吹山登山口にある
さざれ石なんだそうだ。

これが道明寺天満宮本殿。



おお~、さっき言ってた
doironの干支である
申の大きな絵馬も飾ってあります。



ん?ここの唐獅子は豪華ですねえ。



尻尾の毛も割れているし、
頭の毛もふさふさです。

これは髪を触っておかなくては
なりませんか。



おお、しかも「阿吽」の「吽」の獅子には
頭の上に、塔のようなものが立っています。

これはもう「撫で獅子」
と名付けることにしてください。

とりあえず本殿でお祈りをしておきました。

え~っと、これがこの神社の
「百度石」です。



大型ですねえ。
doironより大きい石でした。

え~っとこれが、小林一茶が
33歳の時に詠んだ句です。



「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」

その句を石に刻んでいます。

その石に書いたのがだれかというと、
あの有名な「榊莫山」だそうです。

むむ~名筆なんでしょうねえ。
doironにはよくわかりませんが・・・へへ。

これが道明寺の注連柱。



こちらのほうに行くと、
山門正面のほうに回ります。

これが、山門のところにある
「土師窯跡」です。



この道明寺は、かつて古墳の埴輪を
焼くなどの作業をしていた
「土師氏」の氏神として
成立していたといわれます。

その古墳を焼くなどの窯は
「土師窯」と呼ばれ、
それらが作られていた、
これら道明寺の地が
我が国の陶業発祥の地と言われています。

その山門をおりたあたりで、



服ももうぼとぼとなんですが、
アウトドア用のコートて
うまくできていますねえ。
さほど冷たさも伝わらず
快適そうだったので、
時間もあるし
もう駅に向かうのではなく、
これくらいだったら行けそうやな
という感じで、
街のほうに歩きだした
doironなのでした。続く。


南河内雨中歩行 2

2016年02月06日 20時59分38秒 | ウォーキング

市街地をしばらく進んでいきますと、
こんな公園に出ます。



その名も「ブクンダ公園」。



ちょっとエキゾチックな名前ですが、
かつてここにあった溜池である
「仏供田池」にちなんだ名前です。

いやあ、周りには雨を避けるように
いぞがしく歩き回るひとがいっぱいいる中、
傘を差しながら公園の施設を
じとっと眺める変なおじさんがいます、
などと通報されないでしょうか
と若干気になりますねえ。

その公園から、
さらにごにょごにょと歩いていきますと、



「辛国神社」へと入っていきます。



え~っと、名前から
カレーの神さんをまつっている
神社の一つ・・・ではありません。

しっかりした神社です。

物部氏が、この辺りを治めていた時に
物部氏の祖である饒速日命を
祀ったのが始まりと伝えられています。

その物部氏と同じく
饒速日命の末裔である
韓国連(辛国連)が物部氏の没落後に
その祭祀を司ったことから、
辛国神社と称したと言われておるのです。

え~、祭神が饒速日命というのは、
doiron家近くの曽根神社と同じですなあ。

この神社の参道には
結構たくさんの木が植えられていて、
なんとこの緑は、

「大阪みどりの百選」

に選ばれているそうです。
泉大津のみどりの百選は
泉穴師神社のみどりだそうですから、
ちょっと似ていますねえ。

で、こんな碑はありましたが、



みどりの百選のあの例の石碑は
見逃してしまったようです。

そして次はここからさらに南を目指して歩き、
「仲哀天皇陵」を目指しました。

そうですね、
この辺りは百舌鳥・古市古墳群として
世界文化遺産登録入りを
目指しているんですね。
藤井寺・羽曳野の古市古墳群には
123基もの古墳があるそうです。

こんな狭い道を抜けていきますと、



やがてその御陵の山が見えてきました。



え~っと、ぐるっと回ってと思いましたが、
この辺で自分の服を見ますと、
もうコートの袖が雨に濡れてぼとぼとです。

あちゃーこのままだと
着替えを持っていない上の服だけでも、
あとで着るのは気持ち悪いかもしれません。

やっぱり雨で風が強い時となると
こうなるんですねえ。

もう古墳をぐるっと回るのも
面倒になりました。

本当はこんな古墳があるそうなんですが、



裏から御陵の山の写真だけ撮って、
もう駅のほうに向かうことにしましょう。

歩いていきますと、あれ?

なんか建物の上のほうに、
にょきっと木が立っているところに出ました。



地図を見ますと、
どうもこれが「アイセルシュラホール」
という藤井寺市の生涯学習センターのようです。

変わったデザインに見えるのは、
藤井寺市で見つかった
古墳時代の巨石運搬用そり「修羅」と
「舟形はにわ」をイメージして
デザインしたものと言われています。



これはちょっと変わった建物ですねえ。

まあ、中には入らず、
ここでは外見の写真だけでも撮っておきました。

さらに駅に向かって進んでいきますと、
ここが西国札所の「葛井寺」です。



ここは以前、友達と西高野街道を歩いた後、
藤井寺で一杯飲みの前に寄ったところです。

こんかいは外からぱちりと
写真を撮っておきました。



で、そうしてやっと駅に戻ったのですが、



夜の宴会までだいぶ時間もあります。
このまま向かっては早すぎます。

で、服装を見てみたのですが、
ぼとぼとになったコートの袖も
さほど寒くもありません。

発汗シャツが効いているのかもしれません。

まあ、これくらいだったらいけるかな
と再度考え直し、
せっかく駅まで戻ったので
ここから電車で道明寺の駅まで移動し、
再度そこから雨に濡れないように
注意しながら友達の家(古市)まで
歩いてみようと、
考え直したのでありました。

なので、道明寺からの話へと続く。


節分の夜に

2016年02月05日 20時49分15秒 | 生活

新たに迎える年の数だけ
豆を食うという節分が一昨日でした。

今年の豆はとても少なかったなあ。
買ってそろえたのは
doironとミセスの分の一袋だけで、
ばあちゃんの分も犬の分もなかった。

一袋買って余った分を、
遠くで暮らす息子の分に
数えたくらいかな。

そしていつもなら、
「福は内」といって
家の中に巻いた豆は、
去年までは犬がしっかり食べてくれたけど、
今年はそれもないから寂しいもんだ。

でもねえ、
寿司はしっかりと作ったよ。
今年は、ちょっと変わったところで
炊き込みご飯に少し具を入れて巻いてみた。

だっていろんなものを入れて巻くと、
中の具がちょっと面倒な感じになるから、
そういう工夫もいいんじゃないか
と試してみたのだ。

できたのはこんな感じ。



この寿司も節分に自分で巻き始めて
4年くらいたつかなあ。

最初は両親の分も入れて
大量に作ったのにな。
もう今年は大人二人分だけになった。

節分を迎えるごとに、
ここ数年毎年いろんなことがあって、
生活形態がどんどん変わっていったな。

もういったいいくつ
節を迎えたんだろう
という感じの節分が、
毎年続いているのだ。

それにしてもまあ、
しょげていても仕方ない。

まあ、今年こそはいい節を迎えることを願って、
頑張って作った寿司を
南南東向いてほおばった
doironなのでありました。


南河内雨中歩行 1

2016年02月04日 21時18分57秒 | ウォーキング

doironがトライアスロンを始めたころ、
まだ日本にはそれほど多くの大会はなかった。
なので、どんな小さな田舎の大会でも、
いざ出ようと思って申し込んでも、
なかなか出場権を得られなかった。

それは、大会側が
あまりに過酷な協議であるために、
出場選手の質を選んでいた
ということもあるのだろう。

スイムでおぼれないだろうか、
バイクでこけないだろうか、
ランまで体力持つだろうか
ともちろん大会側は心配する。

なので、出場するためには、
まずはすでに完走経験のある
どこかのチームに所属していることが
必要みたいなそんな空気が
流れていたこともあったに違いない。

まあ、それほどこの競技の出場枠は狭かった。

しかし幸い、
doironの職場近くには
過去に実績を持っている
選手のいるチームがあったので、
そこに喜んで入れてもらうことにした。

それが、今日まで入っているチームなのである。

しかし、そのチームも過去の一流選手が
高齢のため引退し、
結局doironが出場しなくなってからは
今はもうトラに出ている選手は
たった一人になってしまった
といっても過言ではない。

その最後の選手は
海外のアイアンマンでも
活躍している選手なのだから、
日本人の60歳代トライアスリートとして
とても活躍をしているそうだ。

その選手が定年退職してから
マンションを買い、
今は一人で住むことになっている。

まあ、そんなこともあって
そこでおっさんばかりで
パーティーをすることになり、
このたびお呼びを受けたのだった。

その飲み会当日は
朝からその南河内辺りを歩き回ってから
参加しようとその日付を楽しみに待っていたのだが、
当日は残念ながら朝から
雨の一日となってしまったのだ。

でもねえ、そんな頑張っている
友達に会いに行くのに、
自分としても頑張らなきゃなあ
と思う気持ちから、
久しぶりの雨中歩行を楽しんでみよう
と決断し、雨の中出かけることにしたのだった。

以前、2年前くらいだろうか、
奈良の飲み会に呼ばれて、
雨の中を歩いて以来の雨中歩行かな。

あの時もそうだったけど、
結構な雨の中を長時間歩くので、
ぬれた体で家の中に入るのは申し訳ない。

なので今回も、かばんには
着替えを詰めて歩きに出たのだった。

まあ、シャツは最近のすぐれものだから、
雨でもほとんど影響はない。
靴下とズボンはさすがにいかんだろうと、
それを詰め込んでいった。

彼の家は羽曳野にあるので、
いろいろと考え、
その日は藤井寺から歩いていくことにした。

近鉄電車で、かつての職場の
松原も通り過ぎて藤井寺へ到着したのは、
午後2時ころ。

さあ、ではここから傘をさして
歩行開始である。

山用の脱水コートを着、
かさは大きめのものを用意して出た。

カメラは、雨の中での操作となるので、
できるだけ量を小さくするように、
ミラーレスカメラに一番小さなレンズを
はめ込んでいくことにした。

靴は、ずいぶん以前に買った
アウトドア用の長ぐつふうのやつである。

そしてかばんは、体にくっつけられるように
ショルダーバッグとした。

では、藤井寺の駅から傘をさして、



強風も吹く中いざ出発である。

あ、そうそう藤井寺といえば、
かつて近鉄の球場があったところである。
何回か友達に誘われていったこともある。
その球場は駅の南側にあり、
今回の歩行もまずはそっちを目指して
進んでいくことにした。

できるだけ傘でうまく体を覆いながらも、
大胆に歩いていく。

こんな中カメラを担いで歩くのも
ちょっと変なので、
幸い小さなレンズを取り付けた
カメラがうまくコートのポケットに
入るのでそこにうまく収納。

まあ、おっさん一人でこんな気候の中
歩くのにはいろいろと気を遣うのだ。

へこへこと続く。


イバラはないよ 4

2016年02月03日 21時04分07秒 | ウォーキング

消防署のこの辺りは、
「桜通り」と呼ばれています。



もちろん今は花の季節ではないのですが、
中には種類によって
こんな時期でも咲いている桜もあります。

これが、「ジュウガツザクラ」



という種目の花で、
もう咲いていました。



まあとはいえ、だいたいこの時期は
ほとんど咲いていません。

桜の季節頃になると、
この辺りも明るくにぎやかになるんでしょうねえ。

桜の季節には・・・と、
これまで歩いていて
気になるところはいっぱいありますねえ。

この消防署のところには、
またまた「茨木童子」が立っていました。



う~ん、何となく周りの景色と
キャラの性格と微妙な不一致を感じますなあ。

おお~、これも凸凹人間のオブジェです。
こ、これも微妙ですねえ。



おっと、このとき緑地の西側を
見てみますと大きな学校が見えています。

「茨木高校(むかしの「茨木中学」)」です。



これは写真を取らねばなりません。
親父の母校で、
親父がここで陸上をやっていたし、
先ほど訪ねてきた「川端康成」の
母校でもあったわけです。

それにしてもその当時の親父の走りを
見てみたいものですねえ。

ま、映像じゃなくても、
何かでそんな過去の記録とかを
見ることのできるものなんか
ないもんですかねえ。

また、何か機会があれば
調べてみようかな。

さて、この「新庄橋跡」まで来ると、



今日乗ってきた阪急線の
高架下をくぐります。



で、道はといいますと、
まだまだ緑地公園は続きます。



こういう都会の中にあって、
静かな道が続いているのは
あの伊丹の「伊丹緑地」に似ています。

で、そんなトイレもある
気持ちい緑地を歩いていますと、
こんな碑を見つけました。



ああ、ここはなんと
「大阪みどりの百選」の
ひとつだったんですね。

あれ?伊丹は違うかったっけ?
と思ったら「兵庫県」でした。

「あやめ橋跡」を超えたところで、
オリーブの木がいっぱいはえている
ところがあった。
ここが茨木と国内の姉妹都市
を結んでいる「内海町」から
寄贈されたものらしいです。



え~、「内海町」とは
いろんなところにありますが、
オリーブが送られてきているのだから
小豆島にあった町でしょう。

いまは小豆島町になっていますけどね。

これが桜通りモニュメント。



この先で道のわきに
水路が施されている場所に来たら、
緑道を離れて、
「南茨木」駅のほうに向かいましょう。

住宅地の中を歩いていたら、
前方に高架が見えてきました。
これが、モノレールの線路です。



初めてのところは車で来るのと
電車で来るのとでは
位置感覚がかなり異なります。

モノレールは車からは何度も見かけたのに、
まだ乗ったことがありません。
駅に差しかかったときに
やってきた車両をちらりと取ってみました。



う~ん、このモノレールを
利用した旅も経験していいかもしれません。

で、結局南茨城の駅に着きました。



本日は走行距離がこんな感じで
やく8キロ。



朝早く出たので、
ここでまだお昼です。

駅前のマツヤに入って



生姜焼き定食を食べ、
再び電車で帰宅したdoiron。

富士正晴記念館が休みだったのは
残念でしたが、
親父が学生時代を過ごした
茨木の中心部を
始めて歩いた気持ちのいい半日でした。

茨木にはまだ歩けるコースがほかにもあります。
山もあるようです。
近々、もう一カ所茨木コースを
歩いてみたいと思っています。

とまあ、そんな理由で、南茨城の駅前で、
大震災の復興を願って作成された
サン・チャイルド像を見ながら



とりあえず
イバラのなかった茨木歩行、

終わりです。


イバラはないよ 3

2016年02月02日 20時32分54秒 | ウォーキング

公園内にはジョギングコースも作られています。



豊中にいたトライアスロン友達なんかも
こんなところを走っていたのかなあ。

こういう公園内には、
さまざまな石碑も立っています。

こんな彫刻や





市制施行OO周年の記念碑やらです。



面白いのは、もともと川であったことから、
「橋」や「樋」の記念碑なんかも多くありました。

ここが、「佐介樋跡」です。



「樋」とは、せき止めた水の出口の戸で、
水の開け閉めの水門です。
もともと水は大切な資源で、
農地が多かったころは
「水争い」という地域同士の
戦いまであったくらいです。

そんな深―い歴史を占めた「樋」の跡です。

こんな石一つでは
語り切れないような出来事があったんでしょうねえ。

ちなみに樋の跡のあるところで、
公園の外を見てみましたが、
あまり樋があったことを思わせるような
景色はなかったですねえ。

公園の中は、周りの都会と
隔絶されてなかなか快適です。



これは「六軒町橋跡」です。



この周りは、税務署などの
お役所が多く、
昔からこの橋も活躍したんでしょうねえ。

そうして「寺の上の樋跡」を通り過ぎると、
なにか橋の上に座っているところに出ました。

茨木市役所の前の橋です。



「茨木童子」と書かれています。

これは茨木市のゆるキャラでしょうか
と思ったらちょっと違っていて、
その昔、もともと茨木童子
という人がおりました。

生まれた時から歯が生えて、
母を見てニヤッと笑っただけで
母はなくなってしまい、
父もこのような形相の子は
育てられないといって
捨ててしまったそうです。

それを拾った髪結いさんが
育てたのですが、
客の血を吸いそれが癖になって
仕事を辞めさせられました。

結局、その後に酒呑童子の家来となって
京を目指したといういわゆる
「鬼」のひとりとなるのです。

むむ~ちょっとゆるキャラにしにくいな
と思っていたら、
地域の社団法人 青年会議所が
「いばらき童子」という名の
キャラを作りました。

まあこれは、もう少し見た目の
優しいキャラになっています。

その橋の市役所とは反対側に
「茨木神社」があります。



そんなに大きな神社でもないのですが、
ここには豊臣秀吉が茶の湯に使った

「黒井の清水」

という井戸があります。



昨年10月に「黒井の清水大茶会」が
開催されたそうです。



そんな公園からこんどは役所の方面の
公園に入っていきますと、
ここには「被爆石」が飾られていました。



広島市長から旧役場前の
被爆した石が送られてきたものです。

そういえば、これと同じような石が、
岸和田市の「中央公園」にあったのを
思い出しますねえ。

役所を眺める交差点のところには、
「道標」のような石がありました。

立派な道標です。



「右 茨木停車場 
左 大阪 高麗橋元標四里二四丁拾間」
と書かれてあります。



いやあ、かなり表示距離が細かいですねえ。

この距離を表示するのに
何か事情があったのか
というほど細かいですねえ。

さて、道路はまだここからも、
元茨木川緑地内の公園を進みます。

その次の交差点のところに
「子育て地蔵尊」がありました。



ここの地蔵さんたちも
きれいに色が塗られています。



ふ~ん、やっぱり草津のような風習が
ここにもあるようです。

ここの地蔵さんには
もうひとつ特典があります。

それが、床下のブロック塀に、
四国八十八カ所の霊場の名前が
印刷されていて、
八十八カ所霊場巡りが
できる用になっているのです。



こんなにTOBな地蔵さん、
あ、すみません、
「とっても、お得で、便利な」
仕組みを持った地蔵さんなわけですね。

さあ、八十八カ所を回ったら、
道はここから緑地の東側へと移動しつつ、
もう一話続きます。


イバラはないよ 2

2016年02月01日 20時31分54秒 | ウォーキング

旧茨木川公園と並行して走っている
「川端通り」を進んでいくと、
きれいな建物がありました。



これが、親父の茨木中の大先輩
の作品を飾った「川端康成文学館」です。

入場は無料です。

中に入っていきましょう。



入るとすぐに彼の生い立ち
などが始まります。

巻紙に描かれた手紙なども
展示されていました。



そういえば、あちこちの展示館なんかに行くと、
この時代の手紙やあるいは
江戸時代などのもっと古い手紙が
展示されていたりすることがよくあります。
戦国時代なんかだと、
ちょっと読み方を間違えただけで
方向が大きく変わったりするのですが、
そんな時にあんなわかりにくい
手紙でいいんでしょうか
といつも思ってしまうんだよね。

どうしてもっとわかりやすく
書かないのでしょうか。
でないとなんか読み違えてしまいそうな
気がするのですがどうなんですかねえ。

昔の人はこんな字でも
間違いなく読むことができたんですかねえ。
doironだったらとんでもない
読み間違いをしてしまいそうです。

生い立ちはその後、
茨木中を出て東京の1校に入り
ノーベル賞をもらうようになるまでを
詳しく紹介していました。

まあ、こうしてdoironは
川端康成さんと生涯を分かち合う
お友達となったわけですね。

彼の作品の記録を読んでいると、
古い作品で読んでみたくなるような
作品もいくつかチェックしておきました。

また図書館で在庫を探して
かりてみようと思います。

文学館を出ますと、
まだ川端通りは続いています。





やがてJRの下も潜ります。



あれ、JRのトンネルの下に、
こんな変な形のレンガ積みがありますよ。



向こう側を見ても
同様に変に積まれています。



壁で穴をあけなあかんような理由は、
周りの景色を見ても思いつきません。

どうも、この川端通りは
もともと茨木川であったために、
このトンネルは橋脚の穴で、
それを埋めるなどして改造し、
今は壁に使っているようですね。

そんな高価の変遷を想像しつつ
しばらく行きますと、
田中橋跡の交差点に出ます。



ま、これも茨木川の名残でしょう。

持ってる資料の地図には、
この交差点の近くに、
パナソニックの大きな工場が
あるはずなんですが
と思ってみて見ると、



まったく広―い空き地になっていて、
何か工事をしているようでした。

調べてみたら、
同メーカーのプラズマテレビの
撤退によるものだそうです。

町名も会社の名前から
「松下町」ていう名前になっていたのにねえ。
現在は大和グループが
物流拠点に変更予定だそうです。

いやあ、これで町名が
「黒猫町」になったら面白いのになあ。

その先の交差点を右に曲がると、
こんどは市立中央図書館の横に
「富士正晴記念館」がありますので
訪ねてみましょう。



あれっ、図書館には「休館中」



と書かれてありますし、
記念館の前も立ち入り禁止です。



掲示を見てみると
「空調機器の更新と設備改修」で
今月いっぱい休館とあります。

え~ん、これは知りませんでした。
残念ながら富士正晴さんとは
友達になれなかったようです。

仕方がないので、
またもと来た道を通って、
元茨木川緑地へと戻ります。

往路はこの公園の側道である
「川端通り」を歩いてきたのですが、
帰りはこの公園の中にずっと続いている
遊歩道を歩くことにしました。

もともと川の底にあたる部分なので、
側道も川端通りからは
一段下を歩くことになります。

ここがその入り口です。



あ、バス停にこんな張り紙があります。



そうです、万博記念公園にできた
複合商業施設のために、
バス経路が混雑し
遅れることがよくあるという案内です。

そうかあ、ららぽーとが
ここにもできたんやね。

公園散歩とかねて行って見なくてはと・・・
画策しつつ続く。