竹藪というのは、
ゆっくりと歩いたことのある人なら
よくわかると思うけど、
意外に賑やかなんです。
それは、ざわざわと風の音が
するんではなくて、
カラカラと竹同士がぶつかる音が
ときには山じゅうに響き渡ります。
人里を離れて時に竹の山々は
こんな音楽を奏でていたり
するのですなあ。
林昌寺裏の竹林の中、
整備された道をそんな音楽に
包まれて歩いていきます。
もうちょっとしたら、
この竹林の地面に
たけのこがにょきにょきっと
出現するんやろなあ、
イカとたけのこの木の芽和えは
うまいよなあ
などとそんなしょうもないことを
考えながら笑っておりました。
そうそう実はここの竹林にも
四国八十八箇所のおまいり場が
あるそうです。
こんなおまいり場は
あちこちにありましたねえ。
御坊、甲山、仁和寺なんかも
紹介しましたねえ。
もちろん、本当の四国も
すべて紹介しましたねえ。
そうそうあの四国八十八箇所で
描いた絵の展示について
ずっと考えていたのですが、
ようやく最近になって
展示の方法を決めましたので、
近々必ず展示会をやりますからね~。
ここは19番立江寺のお堂がありました。
地蔵菩薩を本尊とする寺。
この寺の「立江地蔵尊」は
高野街道の堺、東大阪、神戸にも
ありましたね。
う~んこうして探ると
このブログもありがたいですねえ。
何もご利益はありませんが・・・。
ここは25番津照寺のお堂です。
う~んあの階段はながかったなあ。
竹林を抜け、ミカン畑の中に
出てきたころに町の景色が見えてきます。
大きな宗教施設を回りこむように、
散歩道を下っていきますと
こんな支援学校の所に出てきます。
その横を通り抜けていきますと、
こんな砂川の町の中に入っていきます。
なんかこの辺りは家は
古い家が建っていたり、
あちこち新しい宅地が開発されていたり、
あるいはこんな古い通りを
抜けていくとロータリーの
交差点に出たりと、
なんか古いんだか新しいんだか
よくわからないまちなみでしたね。
その先から高台へと上がっていきますと、
景色がきれいですねえ。
遠くに関空の橋も見えてきます。
あっ、泉南の循環バスですねえ。
車体に泉南熊寺郎も描かれていますねえ。
おおきなため池も過ぎて、
進んでいきますと
JRの踏切に出てきます。
和泉砂川の駅の近くに出てきましたねえ。
コースはここから次の見どころである
長慶寺へと進んでいきます。
線路に沿って北向いて歩き、
小高い山を一つ越えると
遠くにそのお寺が見えています。
もともと根来寺の
北の玄関口として栄えたのですが、
信長・秀吉の攻めで焼失後、
のちに再開され当時の年号の
慶長を逆にしてこの寺の名前に
したそうです。
なので、1600年頃になるわけですねえ。
お寺が近づいてきますと、
あれ?なんか旗が立っていますよ。
相撲の大阪場所の部屋があるんですね。
「千賀ノ浦部屋」。
え~、相撲はよくジムで自転車こぎながら
TV観戦するのですが、
この部屋の名前はあまり聞きませんねえ。
調べてみたら、所属力士の最高位が
十両だったので、
出てこなかったんですねえ。
早くもっと番付を上げてほしいですねえ。
でもこうして旗があるのですから
どこかに練習場でもあるのでしょう
と思いつつ境内に入っていきました。
ああ~この二重の塔が練習場ですか。
建物の前に相撲取りの人形が・・・
むむ堪忍袋をもった布袋さんでした。
だったら、こんな三重?
の塔がそうですかあ。
やはり違います。
う~ん、わかりませんねえ。
もしかしたら境内が土俵代わりに
なっているのですか?
だったら女人禁制ですかあ。
いやあ、とにかく大阪場所開催中ですから
どこかに土俵とかあるんやろなあ
なんて考えつつ、本殿にお参りしておきました。
続く
あと他のこんな石碑や
「二面石」も眺めて本殿にお参りして、
さあ、熊野古道に戻っていきましょう。
こんな虫籠窓のある古い家なんかも
眺めながら歩きます。
そしてようやくたどり着いたのが
「大鳥居」という名の交差点です。
この交差点の名前は何て読むと思いますか。
「おおとりい」
いやあそのまんまじゃなくて、
なんと「おんどり」と読むそうです。
ん?でもその名前の根拠となる
大鳥居はどこにあったっけ?
と探してみましたが
これはわかりませんねえ。
調べてみると、この交差点は
熊野古道と根来街道の交差点で、
かつては信達神社の一の鳥居が
根来街道をまたいで立っていたそうですが、
今は車の通行の邪魔になってきたので、
線路の向こうに移されたそうです。
だから交差点名は
そのころからの名残ですねえ。
その交差点の右奥には大きな池があります。
堤防に登っていってみましょう。
大きなため池ですねえ。
鳥がいっぱいいます。
池の周りには遊歩道がついているので
歩いて行ってみましょう。
まあ、これもまたため池でしょうねえ。
この辺り、ていうか堺から
泉南の方にかけて
ため池はとても多い。
意外に今の現代のわれわれも、
昔の人たちの技術や作業に
守られて生活しているんですよ。
遠くで鳥が鳴き、水音が
パシャパシャ音を立てている風景は、
今も昔も変わらずそこにあるんです。
ため池をくるくるって回っていくと、
道はフェンスで突き当り、
田んぼの中を抜けていく
あぜ道を見つけて歩き、
元の熊野古道へと戻っていきましょう。
しばらく歩くとそこに
「熊野街道緑の一里塚」
という広場がありました。
入り口のところに
「伝 信達一ノ瀬王子跡」
と書かれています。
そうですね。
以前はここを「後鳥羽院御幸記」や
「大阪府全志」にも記載のある
「信達王子跡」と書いていましたが、
今はこんな風に書かれているんですねえ。
「伝」がついてますから、
諸説があるんでしょう。
おっと、ここに祀られている
馬頭観音もおがんでいかないとねえ。
これからG1の季節、
「競馬会の陰謀に打ち勝てますように」っと。
さて、この王子跡のところで
熊野街道へ向かう道から
左に道をそれていきます。
熊野さん失礼します~といって、
道標に沿って山方向へと
向かう道に入っていくのです。
すぐにため池に出ますね。
ここは蓮池というそうで、
確かに季節が来たら蓮の花が咲く雰囲気です。
道はどんどんと山の中の方へ
入っていき、やがてJRの踏切に
やってきます。
おお~この踏切の名前がもう
次に目指してゆく「林昌寺」
という名前になっています。
それにしても阪和線で、
こんな山の中みたいな踏切を
砂川のそばで超えていたのかなあ。
これからは少し注目ですねえ。
のどかな山里に入ってくると、
もう林昌寺は近くです。
この坂道を上がっていくと、
見えてきました。
この寺の見どころはねえ、
なんといってもこの見事な
ツツジ・サツキの庭園です。
山の斜面を利用した見事な庭園ですねえ。
ツツジ・サツキがまるで
迷路のように植えられています。
今回行ったときはこんな様子でしたが、
花が咲くとこんな感じになるそうです。
きれいですねえ。
狸次郎が散歩するのには
ちょうどよさそうです。
平安時代後期、堀河天皇が行幸のおり、
山躑躅(つつじ)が見事であったことから、
この寺の山号を「躑躅山」と
改めたという歴史があります。
重森三玲(しげもりみれい)氏作庭の
モダンな寺庭では、毎年5月、
ツツジに続いて美しく
刈り込まれたサツキが見頃を迎えるそうで、
これは見に行けたらいいなあ。
振り向くと町方面の
眺めの良いこの寺で、
本殿にお参りをして、
さあコースはこのあと
この寺の裏の山の方に入っていきます。
続く
それにしても、
この泉南のマンホール蓋は新しいぞ、
と思っていたら昨年の春から
配布しているデザインなんだそうです。
泉南には何回か訪れているのですが、
まだ見かけたことのない
デザインでした。
マンホールカードに合わせて
開発したんでしょうかねえ。
じゃ、そのマンふたはどこにあるの?
と聞いたら、用意がいいことに
ちゃんと地図が出てきましたよ。
今はまだこんだけなんです
といって示された数ポイントのひとつは、
先ほど26号線の曲がり角にあった
「焼鳥屋さん」の前にあるとのことです。
じゃあ、そんなことですから
さっそくそこに向かうことにしましょう。
こうしてマンホールに注目してもらって、
大事にしてもらえるのならいいですよねえ。
ファンの皆さんも、注目してあげてください。
ただし、マンふたを持って帰る
なんてことはしてはいけませんよ。
なかったら大事故になりますからねえ。
でも、この取り組み面白いよねえ。
これから出かけるときには
そこでマンホールカードを
配布していないかどうかを
調べてから行くことにしましょう。
「じゃ、行ってきます」
といって観光案内所を出ていきますと、
そこから係の人が追いかけてきて、
熊寺郎のマグネットを
こっそりいただきましたよ。
まあ、いろいろと歩いている
ことなんかを話したので、
宣伝してくださいよ~
ということなんでしょう。
はい、ではそのマンホールに
向かって狸次郎は
歩いていきましょう。
途中にあったこれが、
旧のマンふたですねえ。
泉南市の市の花である梅が
これでもかと並べられています。
そして26号線にまで
たどり着いたところで、
案内所の地図通りに置かれていた
これが「熊寺郎」の新型マンふたです。
熊寺郎の周りには
暮らしが平穏に続いてほしい
という思いで海を描き、
周りに市の花である梅を
あしらってあるという感じです。
まあまあ、無難なデザインですね。
で、ここで驚いたのが
doironはなんともう一つ
素晴らしいマンふた風を見つけたのです。
歩道の真ん中に木の切り株があり、
その木の中身が何とハート型
という素晴らしさ。
ああ、これも宣伝材料に
使ってほしいなあ、
なんて思いました。
周りはこんな車が
ビュンビュン走るところなんですよ。
飛び上がるほど喜んだのは
doironだけなのかなあ。
とりあえずナニコレ珍百景に
投稿しておきました。
こうしてマンふた追及という、
突然のテーマをやっつけて、
さあでは本来の歩きコースに
もどっていきましょう。
熊野古道の信達牧野の
交差点に戻ったら、
それを南下してゆきます。
砂川のこの辺りは街道ぽくて
いいですねえ。
歩きとランで二回通ったことがあります。
いや、トライアスロンバイクで
一度走ったこともあったなあ。
ここが往生院です。
入り口に大きな石の掲示板がありますねえ。
ふむふむ、と呼んでいたら
首が痛くなりますなあ。
おおむねは、淡路島で
お参りした淳仁天皇の
祖父である天武天皇の勅命で、
doironによく似た名前の
道昭が創立したお寺
と書かれてあります。
ああ、淡路とここもこうして
つながるんですねえ。
中に入っていきますと
こんな石碑があります。
生臭いものや酒は持ち込んでは
いけないという意味だそうです。
え~毎日風呂に入っていますから
生臭いことはないと思うけどなあ。
アルコールももちろん飲んでいません。
もうすぐ孫も生まれて、
じじ臭いというのはありますが、
まあこれは許していただきましょう。
いやあ、狸臭がするんでしょうかあ。
そうそう、最近は友達にも
「doironさん、孫ができたら
ふにゃふにゃになるんでしょうねえ」
といわれています。
そうかもしれません。
夏が楽しみですねえ。
続く
さあて、頃はまだ3月中頃、
この時期は桜には早くて
なかなかインパクトのある
歩きもむつかしい。
せっかく行っても
桜の時期なら最高なのになあ
と思ってしまうのも悔しいしね。
でも、これから世間は
春になってくるんだよー
という予感を感じさせるような
歩きができたらいいのになあ、
なんて考えを切り替えてみよう。
時期的には間もなく
冬が終わって気持ちよく
歩ける時期だしね。
淡路にも行ってきたし、
ここらで近辺を歩いてみよう
と考え、前から少し気になっていた
「和泉砂川」をプラプラ
歩いてみるかと考え、
車でバビューンと
出かけてみようと考えたのだ。
駐車場の位置はわかっているよ。
以前、そうほぼ5年前に
この砂川の熊野古道を
歩いているときに
駅前には行ったことがあるので、
すでにチェック済なのだ。
そこに車を止めて、
今回は以前歩いた熊野古道の
一本山側の道を中心に
歩きに行ってみましょう。
国道26号線を南下し、
焼鳥屋のある交差点
「泉南市役所南」を左折すると
JRの駅の方へと向かって行きます。
駅の少し手前の銀行の裏に、
広大な駐車場があるのです。
一日最大料金も定められていますが、
一時間100円なので
手軽に止めることができます。
さあ、では車を止めて衣装も整え、
ナビも入れて出発しましょう。
まずは、とりあえず駅を
眺めに行きましょう。
何か資料もあるかもしれませんしね。
ここが駅です。
建屋は古いですが、
中身は改良されているようですねえ。
昔、高校の頃にこの砂川に
友達がいました。
なかなかユニークな友達で、
プロレスの技が好きなようで、
「技を一度かけさせてくれや~」
なんて良く言われましたが、
「いやや~」と断ったりしてました。
詳しくはいいませんが、
アルバイトしているときに
家に帰ってしまって
大騒動も引き起こした
友達でしたなあ。
今はどうしてるのかなあ。
もし偶然会って久しぶり~
と言ったときにプロレスの技を
かけさしてくれ~なんていわれたら
びっくりするやろなあ。
この砂川の駅にはあまり
パンフレット等はなかったので、
そこからまたもとの道に戻ります。
駐車場を過ぎて少し歩くと、
観光案内所があるので寄ってみましょう。
中にはちょっと高齢の
男性が二人おります。
ああ、同様に歩いたりする客も
来ているのかなあと思いつつ、
外でポスター等を眺めていたら
その二人とも仲から呼び込みしてきはります。
「こんにちは」と入っていきますと、
「どこからきはったん?」と
聞いてきはりました。
まあ泉南地方の人のおっちゃんて感じです。
思わず「東京からね」なんて
言ってみようと思ったのですが、
本籍地を明かしてしまいました。
「へえ~そしたら今日は電車で?」
「いやいや車で来て、
駅前のPに入れてますよ」
「そうですかあ。そしたらこれどうぞ」
といってくれたのが、
一枚のカードでした。
なんとそこにはマンホールの絵が
書いてあるではないですか。
「へえ~こんなの作っているんですねえ」
「そうなんですよ。
うちは第5弾でやってるんですけどね」
「はあ、僕も実はあちこち歩いて
マンホールの写真を撮ったりも
してるんですよ。
でも第5弾て何のことですかあ」
と聞いたら、このマンホールカードの
ことを教えてくれはりました。
2016年の4月から
全国の自治体の希望者が集まって、
こんなカードを作って
配布するようにしているらしいのです。
その取り組みも二年ですごい評判となり、
現在は300に近い自治体の
参加があるようです。
大阪では21市2町が
参加してはります。
へ~こんなことをしてたとは
知りませんでしたね。
このカード、郵送では手に入らず、
現地の指定された場所に
行かないと手に入らないそうで、
廃版となったカードなんかは
プレミアがついているそうですよ。
調べたら和泉市もやっているようですから、
府中の駅前にもらいに
行ってみますかねえ。
マンホールカードの
ホームページを見ながら
自分にゆかりのある都市の
マンホールカードなんか眺めたら
いいですよ。
旅心が刺激されますね。
そうそう、ここにかかれてある
泉南のキャラクター「泉南熊寺郎」は
市の“福”市長なんだそうです。
そんなことを考えつつ、
熊寺郎というにはちょっと小柄な
狸次郎doironの散歩は続きます。
最近、お腹がレスリング会よりも厳しい、
パワ腹になっている。
久しぶりに友達に会うと、
「丸っこくなったなあ」
といわれたりするのだ。
食べる量を減らしているのになあ、
なんか一向に小さくなってこない。
家での食事以外に
麻雀に行ったときに近所の者と飲むビールや
週に一度行く首Dさんとの
エイが原因なのかもしれないが、
まあそんな友達との付き合いは
大切なのでなくすわけには
いかないしなあ。
となるともうこれは
さらに家で摂取する栄養分を減らすか、
ジムでの運動量を一段上げるか
というのが次の手段と
なってくるのであろう。
でもなあ、最近本当に
家での摂取カロリーは、
ミセスも注意して減らして
くれているはずなんだがなあ。
も、もしかして時間差で
体重減るときにはある時から
グググ~ィンと減ってくるのだろうか。
いやいやそんな安易な考えは
通用しないよなあ。
これまでワンプレートダイエットとか
低カロリー食事&アルコールビールへの
転換とか色々やってきたのだが
どうも今イチだ。
じゃ、さらに最近はというと、
まずは野菜関係を先に摂取。
お米は夜は全く無し
という風に考えているのだが、
どうだろうか。
摂取カロリーが少ないのに、
効果があまりないのは、
最近どうも静穏時の体の
動きが活発ではないような気がする。
かつては、じっとしていても
体中から熱が放出されている
ような感じだったし、
朝なんか布団の中も暖かだったもんなあ。
基礎代謝の減少も引き金に
なっているんだろうなあ。
そして次に運動だ。
こんな運動ではない。
今は昔のように体を
すり減らすほどの運動も全くできない。
最近一番体重が減ったのは、
あの元気な頃に北海道の
トライアスロンに向けバイク、
スイム、ランを死ぬほど
やった時やもんなあ。
あのころに比べたら10キロは
増えているだろう。
そんな激しい運動をやっても
あの時は死ななかったけど・・・
今ならまあ99%は死ぬだろうって。
なので運動を増やすためには
低カロリーな運動を、
より長くするように
努めねばならないだろう。
まずは一日の運動量を
30分増やすことにした。
ジムに行くまえにでも、
散歩をしっかり取り入れた
運動をしておく。
そしてジムでの消費カロリーを
150キロカロリーほど多く
使うように努めておくのだ。
それをできるだけ周5回ほどね。
以前はこうしていい気になって
運動量をどんどん増やしていこう
と考えたばかりに、
脳梗塞になってしまったので、
まあその辺の加減はしっかりと
しておかないといけないだろう。
これから夏に向けて薄着になっていく。
こうなったら目立つんだよね。
よーし、世の中からパワハラではなく
パワ腹で訴えられる前に
また更にダイエットに頑張るぞと、
ポテトを食べながら誓っている
doironなのでした。
ああ、今回最大の危機を
生み出した巨木棲息の陰謀も、
doironのトイレ発見のおかげで
やっつけることができました。
ジダンも爆発寸前だったようです。
それにdoironもやや黄信号だったので
用事を済ませることができて
もう大団円です。
よかったなあ。
さすがにセイゾーや千里ちゃんは
若いから平気でしたなあ。
さあでは、クライマックスの
薫蓋楠を拝みましょう。
もう先ほどから頭上に
大きなクスノキの枝が
見えてきています。
三島神社の中に入っていきますと、
おお~これが薫蓋楠です。
幹回り13.1m、
樹齢1000以上の大楠です。
歌に詠まれていて、その歌から
「薫蓋楠」
の名前をもらっています。
大阪緑の百選のナンバー1
にもなった巨木です。
もうこんな大きな幹で生えていること
そのものが陰謀ですねえ。
木全体からオーラが出ているようです。
オーラを感じましょう。
周りをまわっていきますと、
おお~回っていった千里ちゃんが
一段と若くなりましたよ~
こ、これはすごい陰謀だ。
と思っていたら、それは巨木を
見に来ていた学生さんのような女性でした。
もう3回もここにきているそうです。
いやあ、皆さんこれを見に来て
よかったと喜んでくれはりましたねえ。
しっかりと目に焼き付けて
いってもらいましょう。
この三島神社の先には
「二島小学校」があります。
でもねえ、住所は三ツ島なんですよ。
なのに二島とはねえ。
いろいろ調べたけれど
どうもはっきりしなかったです。
もしかしたら薫蓋楠の陰謀かもしれません。
この道沿いには「薫蓋楠」の
案内も二種類立っていましたなあ。
さあてこの後は、
別名もついている薭島楠です。
これも立派ですよ。
公民館のような施設の庭に
立っていました。
薫蓋楠の後で見ているから
小さく見えますが、
こういう施設で立っているのにしては、
巨大なクスの一つですねえ。
その薭島楠のそばにあるのが
「堤根神社」です。
あれ?この名前はさっきも
ありましたねえ。
実はさっきの堤根神社が
式内であることにあやかって
同じ名前にして保護されようとした
という説があるそうです。
その神社にも大きな
クスノキがありました。
さあ、これでコース途中の
巨木はすべて見終えました。
最後に中央環状線を超えて、
こんな巨木も見上げながら
鶴見緑地へと入っていきましょう。
公園内を進んでいくと
大きな風車のある公園です。
ここの売店でお風呂に入る前の
これを買いました。
リュックに残っていた
doiron持参のわらび餅で乾杯です~。
いやあ、今日はいいお天気の中、
よく歩きましたねえ。
乾杯~。
わらび餅もわけます。
ヒャー、ビールがうまいです。
もう公園内には入りきれないほど
トイレもありますからねえ。
わらび餅はちょっと固いですが、
インスタント食品なので
仕方ないですね。
で、食後ごみを始末しようとした
セイゾー君が
「あちゃー、最後に陰謀に
やられてしまいました」
と叫んでいます。
どうしたん?て聞くと
「今のわらび餅は、
絶対過熱して食べてくださいと
パッケージに書いてましたよ」とのこと。
ウヒャー、そうなんやあ。
巨木ばかり見てて
そんな細かい案内は
見損ねていました。
みなさん晩におなかが痛くなったら、
ごめんチャイです。
最後に鶴見の大楠を写真に撮って、
今回のドジ旅は終わりです。
そのあと、鶴見の風呂屋に行き、入浴。
気持ちいい風呂でしたあ。
そして入浴後にそこの食堂で
宴会しましたよ。
そこには千里ちゃんの旦那さんと
子どもさんも来てにぎわいました。
大阪の門真を中心に
歩いて生きた今回のドジ旅。
距離は15.6kmで、
コースはこんな感じでした。
もうこれであなたも
街を歩いていて
でかい木を見たら思わず
見上げてしまう癖がつきましたね。
セイゾー君、千里ちゃん、
お疲れさまでした。
さあ、次回のドジ旅は
ジダン演出でコースが組まれます。
10回記念大会ですなあ。
二人はどこに行くのか。
そして何が起こるのか。
また新しい相棒は増えるのか、
頻尿はましになっているのか。
お楽しみに~。
門真大橋からしばらく進んでいきますと、
立派な巨木が見えてきました。
このクスノキは枝ぶりが
なかなか見事な、男前な
クスノキですねえ。
どこかのお寺か神社にというわけではなく、
民家の庭先に生えていました。
まあ赤い鳥居が置かれて、
それなりに大切にされているようです。
そのくすのきの隣のマンションが
「楠ノ木」と名付けられていました。
ああ~巨木棲息の陰謀によって
つけられた名前ですねえ。
もしかしたらこのクスノキの奥の方に
お寺でもあるのかと
「ごめんなさいよ~」
と踏み込んで確認してみましたが、
普通の民家でしたね。
もし捕まったら
「巨大クスノキの陰謀だあ~」
と叫んでやろうと思っていました。
「本当に悪いのは、あのおっさんです」
といったら信じてもらえたやろなあ。
この古川ぞいには、
他にも旧跡があります。
それがこの先にある「元総理の旧跡」です。
それがここ。
第44代内閣総理大臣の
幣原喜重郎の屋敷跡です。
かつて女性の参政権を
認めた人だそうです。
ちなみに今の安倍内閣総理は
98代です、念のため。
この辺り町名が「一番町」になっています。
昔の河川の水運の名残なんかが
こんな名前の町を残しているんでしょうね。
その旧跡から出たあたりから、
右手には運転免許試験場が
見えてきます。
ああ、16歳の頃、ここに
原付免許をもらいに行ったなあ。
もう半世紀近くたつんですねえ。
ここへ免許をもらいに行った時からは
想像できないような老後生活ですなあ。
さあてその頃よりトイレの
要望が増えてまいりました。
北島大橋のところにも
コンビニは見当たりません。
うう、もう巨木よりも
トイレだあという
ドジの心の叫びが聞こえてきそうです。
すると、古川の川沿いに
こんな立て看板が・・
ぎょぎょぎょ~
もう我々の気持ちを先読みされて
いますねえ。
もう少しやから我慢して行こうと
自分にうそをつきながら、
コースは堤根神社の御旅所に
さしかかりました。
一瞬この神社と公園にトイレがあるかなあ
と思っていたのですが、
ありませんねえ。
「え~ここの御旅所は
先ほどの堤根神社の御旅所です」
といおうと思っていたのに・・・
「で、ここの巨木はイチョウなんですが」
というのもあまりしゃべれません。
こりゃあ、まずいぞ。
せっかくトイレまで記載した地図を作ったのに、
役に立ってないじゃないか。
このままじゃ大変なことになってしまう。
歩いている途中に、河川の工事現場に
トイレがあって、千里ちゃんが
「トイレをかしてもらえませんか」
と聞いてくれたのですが、
ガードマンの答えは
「いや、それは無理です」とのこと。
「このままじゃ、工事中の河川が
偉いことになってしまうよ」と
横から言おうとしたのですが、
もうそんな余裕もなく
歩く速度は上がっていきます。
実はこの先、道は少しややこしいのです。
ひょっとして間違えてはいかんと思い、
膀胱とともに心の緊張も上がります。
狭い生活道路を血相変えて歩き
さっきまで横を流れていた古川から
分かれて小さな水路が
続く道へと入っていきます。
この川も水運に使われるんやねえ、
小さな船が浮かんだりしていますよ、
とかいいながらトイレはないかと
視線はさまよいますね。
むむ~ありませんなあ。
うう~、これこそが
今回最大の陰謀に巻き込まれています。
もうまるでゴジラが
火のオシッコを飛ばしそうです。
「きょ、巨木なんかかれてしまえ~」
そしてまもなく今回最大の見せ場である、
大阪一のクスノキ「薫蓋楠」に
さしかかるので、この辺りで
いろいろとうんちくを
説明してやろうと思っていたのですがねえ。
資料によってはこのクスノキが、
野間のケヤキも抜いて
大阪最大の樹木かもしれないのです。
いやあそれにしてもでかい木ですよ。
横に立ったらびっくりして
巨木棲息の陰謀でオシッコちびりそうです・・
なあんて絶対行ってはいけませんね。
さあてどうしようとおもいつつ、
コースの横にあった「安通寺」の
中を見たら、ウヒャー、
あの日本庭園の片隅に
トイレがあるではないですか。
もうまるでエイトマンに間違い電話です
チビ太におでんです。
って古いたとえですが
まあ、喜び勇んでお寺の中に
駆け込んでいく信心深い二人です。
ああ~そういえばもうその時は
般若心経を一心に
唱えていたかもしれません。
続く
ナビで示されたスーパーに行く前に、
この近辺のもう一つの
巨木を見ておきましょう。
ここが「島頭天満宮」のクスノキです。
え~っと下見の時に、
ここの神社のことは書きましたねえ。
この辺りの地名は、
萱島、上島、下島と「島」の付く
町名が多くあります。
きっと昔の川に関する
地名なんかがあったんでしょうねえ。
その「島」の頭ということで
「しまかしら」と名前を
付けたらしいです。
ここの巨木もやはりこんなクスノキです。
デーンと存在してて迫力ありますねえ。
そしてここには大きな
イチョウの木もありました。
いまは葉っぱもなく殺風景ですが、
これは秋の下見で撮影したものです。
銀杏はなるのかなあ。
さあ、では巨木の棲息の陰謀に
とらわれて続けていてはいけませんね。
さっさと写真を撮って
お参りしてスーパーのトイレへと
急ぎましょう。
こういう陰謀の犠牲は嫌ですからねえ。
そして昼飯も皆さんここで
買ってくださいよ~。
そしてスーパーからしばらく歩くと、
「伝 茨田堤」の跡地にでます。
あれ?でもなんかは迫力ないですねえ。
巨木がかなりダイナミックに
刈り取られていましたねえ。
冬に来た時にはこんな
感じだったんですがねえ。
結構な街中やからねえ、
巨木の陰謀に負けまいとして
地元の人たちにこんな目に
あわされたんでしょうねえ。
ちょっぴりかわいそうな感じでしたが、
街中で行きのこるには
こういう措置が必要なんでしょうねえ。
ではその横の公園で昼飯にしましょう。
シートを広げてこんな感じの
飯を食べます。
うう~、ジダンはもうビールを
味わっているぞ~。
ゲストのセイゾーも千里ちゃんも
「伝 酔っ払いおじいさん」
なんて呼ばないようにねえ。
さあ、飯も食ったので
続きを歩きましょう。
といってもくるりんと回って
この茨田堤の横にある
「堤根神社」に遠回りして
入っていきます。
ここは式内神社ということで
むかしから重要な神社でした。
門真最古の神社といわれています。
奥の方に先ほど見た
茨田堤のクスノキの巨木もありますが、
ここはこのひょうたんが
大事なチョ木です。
茨田の包みを作るときに
ひょうたんを沈めたら
人柱になってあげるが
沈まなかったら人柱にならない
といった人が、結局沈むことなく
助かったというのが
日本書紀に残っています。
ここからこの神社は
このひょうたんを育てて
「浮守」と名付けて
お守りにしているそうで、
これであなたも
「浮かび上がれるでしょう」
というお守りです。
うう、年金生活者でも
浮かび上がれるでしょうか。
まあ写真だけ掲載しておきましょう。
さて、ここを出たらしばらくは
京阪本線沿いに歩いていき、
目的地を左折して
南に向かって歩いていきます。
すると、そこにあったのが
ちょっと種類のわからない巨木です。
ケヤキかなあムクノキかなあ。
まあだいたい木の種類の
同定もできない人間が
巨木、巨木といいつつ歩いているのが
間違いなのかもしれません。
クスノキだけはわかるんですがねえ。
こんな巨大な根を這わせて、
木の根元にはこんな小さな
祠があります。
葉っぱでもあればわかりやすいのですが
といいつつも、秋には葉っぱも
少しついていたのになあ
やっぱりわかりませんでした。
こんな街中にあってこんなに
立派な枝を伸ばした
見事な巨木の姿がこれです。
しっかりおがんでおくことにしましょう。
この辺りから道は古川ぞいを
歩くことになります。
右に古川を見ながら進んでいきますと
車通りの多い橋にかかります。
そこが門真大橋です。
この辺はとても賑やかで、
お店なんかもいろいろ並んでいます。
う~ん、でもねえコンビニは
ちょっと遠いですねえ。
トイレはまだまだ我慢しておきましょう。
続く
巨木はなぜ我々を引き寄せるのでしょう。
我々よりもはるかに長い時間を
生き続けているという迫力感、
巨大な体を支え続けている
という生命力、
あるいはいつも同じように
そこに存在しているという存在感。
まあ、どれも人間のおよぶようなものではない。
巨大な幹周、見上げる樹高、
空を覆う枝々はもうまるで神の化身だ。
そんな巨木が抱く陰謀に
我々は勝てるはずがないのである。
もし陰謀があれば、
我々はその根元にひれ伏し、
許しを請わねばならないのである。
今回のドジ旅もこんな
強大な力との対面である。
いかに陰謀に巻き込まれないか、
いかに全霊を果たして
生き残れるようにするか、
これが我々にかせられた宿命なのである。
ここまで距離は約5キロ。
何とか我々は乗り切って、
さて次の巨木である
萱島神社へと向かって行こう。
道は猪鼻橋を右折し、
右岸や左岸をウロウロしながら
寝屋川沿いを進んでいきます。
昔、藤原実高の別荘が
高野へ行こうとする人たちに
宿を提供して「寝屋」と
呼ばれていたことにより、
寝屋を通る川ということで
寝屋川になったという川です。
あ、前に大きな道が見えてきましたよ。
doiron作成の地図によりますと、
第二京阪のようです。
その下のトンネルの中を通ります。
トンネルを抜けたら、
そこはもう桜の花びらが舞い散り、
春の女神がほほ笑む・・・
う~ん、「鉢かづき姫」という
キャラクターでした。
鉢をかぶって育てられ、
亡くなった母親のあとは
阻害され川に身を投げるのですが
助かり、えらいさんに
見初められて鉢をとったところ、
その中から金銀や着物などが
どんどん出てきて幸せに
くらしたという伝説の娘です。
どんなけ大きい鉢をかぶっていたのでしょう。
この子の名前は
千里ちゃんがよく知っていましたね~。
ジダンはここで
川にそんな娘は流れてこないかと
探索中であります。
さて、ここでこの姫が
紹介しているのは
「からくり樋」という施設です。
昔、水の流れに苦労して
作った傑作樋らしいですよ。
ここは下見でも通らなかったですねえ。
巨木、美人、水。
まあ世間には様々な陰謀との
闘いがあるものです。
ではまた寝屋川の方へと
戻っていきましょう。
この寝屋川もまた地元の人たちには
大切にされている川なんですねえ。
市街地内を流れる川ですから、
大切に気持ちいい川にしないとねえ。
いろんな張り紙もあります。
「犬のフンは持ち帰ってね」
と書かれていますが、
おじさんも置いて
帰らないようにしましょう。
しかし、このポスターはやはり
いつみても笑いますねえ。
実撮だったら、
ちょっぴり犬がかわいそうですが・・・。
とまあそうしているうちに、
前方にそびえる萱島の
クスノキが見えてきました。
駅と一体になってそびえています。
ああ、きっと地元や京阪電鉄のひとたちは
この巨木棲息の陰謀と
激しい戦いをしたんでしょうねえ。
見事な措置を講じています。
駅の下、つまり木の根元には
萱島神社があります。
こういう巨木はやはり
お寺や神社に多いですねえ。
人々にあがめられ、
長く放置されるからですねえ。
巨木のもつ神秘的な力が
人々を崇めさせるんでしょうねえ。
ここでは「大楠大明神」として
崇められていましたねえ。
やしろで囲われているので
タッチはできませんでした。
さあ、ではこの辺のコンビニで
昼食でも買いますかと、
トイレもかねてコンビニに行きましたが、
駅のコンビニに
トイレはありませんでしたね。
ほかにもないかと
駅周辺を歩きましたが、
う~ん近くにはないですねえ。
で、ここでセイゾーナビが登場です。
この先にスーパーがありますから
そこで用事を済ませましょう。
賛成~といいつつ
駅高架下の知ってる限りで
日本一短い回る寿司屋さんを
外から見学です。
回さなくても寿司屋が握って出す方が
値段を倍にできるのになあ
なんて考えてしまいましたねえ。
続く
ここからコースは
まず「深北緑地」を目指して、
四条畷の駅前の住宅街を抜けていきます。
しばらく進んでいきますと、
外環に出るので緑地へはこれを左折です。
かつて何度か外環を通って
京都から帰宅したことがあるので、
この辺は来たことがあるのですが、
まさかねえここを歩くようになるとは
当時は全く考えていなかったですねえ。
千里ちゃんは結構
この公園については詳しかったです。
家族で遊びに来たりするそうですねえ。
緑道に入っていきますと、
まあこれまで平日に下見に来ていたので
「がら透きの公園やなあ」と
思っていたのですが、
今日は大勢の人がいます。
我々がやってくることが
どこかからばれたのでしょうか。
え?
ちがう?
土曜日やから。
な、なるほど。
巨木棲息の陰謀との闘いを
見に来ているわけではないのですな。
カメラの前で「映像に入りますから」
とかいって排除していく必要は
ないのですねえ。
まあ、この公園にあまり
巨木はありませんでしたな。
え~っと、怪獣の生息についてを
調査してはるジダンのもう一つの遊びの関係で、
この公園にいる模型を
「怪獣だ~」と言ってたら、
「恐竜です」と指摘されてしまいましたわあ。
大水の時に、貯水池になるという
この公園をぐるりんと横切って、
千里ちゃんのこの公園での
遊びのことなんか聞きながら
われわれドジグループは
寝屋川の方へと回っていくのです。
さあ、次の巨木は神社の
鳥居のように生えている
「河北大神宮」のクスノキです。
これを見せようと向かって行ったのですが、
どうもセイゾー君の携帯ナビから見て
そこを通り過ぎているようです。
ああ、また戻って探すのも手間なので、
ここでは1回目の下見の時に
撮影した写真を紹介しておきましょう。
巨木は遠くからでも確認しやすいのですが、
ここの木はさほど巨木ではなかったし、
村中なので目立たないからねえ。
巨木棲息の陰謀で見逃してしまいました。
じゃあ次の鶯関神社は
間違えずに行きましょう。
え~doironは下見の上で地図を
作ってあったのですが、
道路、川くらいしか入れていないので、
ちょっと道を間違えると
わけがわからなくなります。
まあ、そもそも道を間違えたような
生き方しかしていませんが、
ここはまあセイゾー携帯ナビに従って
神社へと向かって行きましょう。
国道163号に出てUターンするように
たどっていきますと、おお向こうの
ビルの上にクスノキの葉っぱが
見えていますよ。
あそこだ、あそこだと
巨木は目立っていいですねえ。
「鶯関神社」
ちょっと変わった名前ですねえ。
千里ちゃんがそこにいた地元の人に
「なんて読むんですか」ときいたら
「おうかんじんじゃ」と教えてくれました。
古代の河内と大和を結ぶ街道には
生駒越えの街道が多くありました。
そんななかでも清滝越えの
守口街道というのが栄えていたそうです。
その交通の要所として
「鶯の関(うぐいすのせき)」が
平安時代まであったといわれ、
この神社を鶯関(おうかん)神社
と称したそうです。
その地元の人はそういう感じの話をしたうえに、
近所の大念寺はねえ・・・と話し始めました。
おお、これは聞くべき人を
間違えてなかったですねえ。
ここの巨木がこの人を連れてきたのでしょう。
わけのわからんまま、
はは~と巨木を見て通り過ぎるのはいかんぞ
という、巨木棲息の陰謀なのかもしれませんな。
で、その巨木なんですが、
神社の本殿の右側に、こんな風にそびえていました。
幹回り5.46mで樹齢は500年だそうです。
「鶯白竜大神」と名付けられていましたね。
この神社にはほかにも保存樹として
他のクスノキ、ムク、イチョウが
定められているそうです。
イチョウの写真をと思いましたが、
この時はとれていなかったです。
下見に来ていたので油断していました。
秋の下見時に撮影した
イチョウの写真を掲載しておきます。
続く