このところ、連日のように中学生の自殺について、連日のように何度も何度も報道され、担任教師との交換日記がやり玉に挙げられている。しかし、どの放送局も、担任教師の対応の甘さを指摘するだけで、その背景にある大きな問題については全く目が向いていない。これは、いつも、どんな報道でも同じことだ。何かあるたびに、ありのように報道記者が群がり、根堀葉堀取り上げて、喰い散らかして、食い尽くす。よそで他の事件が起こると、そちらにどっと流れて行く。そして、根っ子の一番問題にすべきところは手付かずのままで、忘れ去られていく。こんなことをいつまで続けるのだろうか?
当の担任教師の対応は確かにお粗末と言わざるを得ない。しかし、担当教師に対して、「交換日記を行うに当たって注意すべき点は何か?」「どんなことに注目するべきか?」「どんな内容があったら、気をつける必要があるか?」、「気付いたときに誰に相談したら良いのか?」等々、基本的な指導がなされていたのだろうか。また、教師間でそのような事柄について、日常的に話し合いがなされていたのだろうか。はなはだ疑問である。
スクールカウンセラーが全国に小中学校に配置されるようになって、もうどれだけの年月が流れたのだろうか?事あるごとに、心のケアーと叫ばれる。しかし、そのスクールカウンセラーの実体を知る人は少ないのではないだろうか?臨床心理士とかスクールカウンセラーと言ったら、今、脚光を浴び、就きたい仕事の上位にランクされている。しかし、その実体は、週何回、何時間という非常勤職員で、時給いくらで働かせられているというお粗末な待遇なのだ。せいぜい数例の事例をもたされ、それをこなしていくだけがせいぜいで、もっと重要な仕事に取り組むことはほとんどできないと言っても過言ではない。もっとも、これは私が重要と思っているだけで、当のスクールカウンセラーがどれ程の問題意識を持って仕事をしているか怪しいものなのだが・・・・。恐らく、当のスクールカウンセラーはアルバイト感覚で、持ち時間を消化しているだけ、それ以上でもそれ以下でもない。それは、学校という組織が本当に問題意識を持ち、自らを変えようとして、スクールカウンセラーを導入し、スクールカウンセラーに何を期待し、任せるかというコンセプトがないためである。本来、スクール化うんセラーの仕事は、少年たちに向き合うだけではなく、問題を抱えた少年たちの親と対峙し、きちんと対応していく必要があるし、また、少年たちだけでなく、教師の抱える問題、教師の相談に乗り、教師に少年たちの心の変化に対応する感性を身に付けさせるという大事な仕事があるのだと思う。ところが、悲しいかな、現実は、形だけの対応に終わり、問題の根っ子には全く手付かずの状態で、長年放置されてきたようだ。
もっとも先進的であるべき学校、教師集団の実態は、もっとも保守的で、進歩がなく、創造力の乏しいものなのだ。問いに対する答えは1つ。他の答えは無視し、それが正しいのかどうなのかということを考えもしない。それが教師という職業の陥りやすい落とし穴なのだと思う。教育とは「教え」「育てる」というもののはずが、実際は、「教える」ことのみで、知っていることを伝えるだけ、少年たちの考えたことを「一緒に考え」、それを発展させていくいわゆる「育てる」という観点が欠落していることに他ならない。まあ、教師という職業集団が想像力が乏しいのは、一種の職業病みたいなものなのかも知れない。(偏見に満ちた文になってしまった。別の視点に立つと、全く違った見方ができるのかも知れない。コメントがあれば、よろしく!」