凧と言えば、私も子供のころは相当の凧が好きで、良く凧揚げをしたものだ。私の揚げていた凧は、兄のお下がりで、何でも兄が足に大やけどを負って、病院に入院中に、付き添っていた父親が作ったものだと聞いている。だから、10年以上も前から、同じ凧を揚げていたことになる。大きさは障子の三分の一位の大きさ、小さい私には持て余す程の大きさで、強風の時は、タコ糸を持っているのが大変なくらいだったように記憶している。凧を揚げていてちょっと気を許した隙に、タコ糸が手を離れ、凧が飛んで行ってしまったことが何回かある。まあ、普通は持っていないと揚力を失い落ちてしまうものなのだが、タコ糸の末端に糸巻きがついていて、その糸巻きが刈り取られた稲の株に引っ掛かり、凧がまた舞い上がる。そして、凧の引っ張る力が強くなると、株から離れてまた飛んでいくことの連続で、どんどんと飛ばされていくのだ。運が悪く、飛んで行った先に電線があり、その電線に引っ掛かり、それでも凧は上がり続け、動力線3本を束ねてしまい、大事になってしまった。東電が来て、ショートしたのを直すなど、たいへんなことになってしまった。子供ながらに、大変なことをしてしまったと生きた心地がしなかったように記憶している。
そこでやめておけば良いものを、また、凧を揚げ、糸を放してしまい、送電線の鉄塔にどんどんと近づいていくということもあった。まあ、これは、途中で、凧を捕まえることができ、大事には至らなかったが・・・・。こんな失敗の連続だった。小さい凧、店で、奴っ子凧が売られていたが、父親は烏凧というものを作ったことがあった。これまた、揚がった時に、丁度鳥のように見えるという優れものだった。そのうち、孫に作ってやろうかと思う。