妻の四十九日、本来ならば今週末なのだが、丁度彼岸に入るために、一週間早めて、一昨日に新潟で行った。用意していた墓地は用地が確保してあっただけで、墓石等がない状態から、墓石を作るところから始める必要があり、かなり急ピッチに進める必要が迫られた。長男が新潟にいたので、お寺さんとの交渉や墓石の注文、四十九日の法要の準備等を長男に任せたので、長男はさぞかし大変だったろうと思う。文句言わずに、かつ、私の好みや次男の希望等を考慮しながら、準備を進めてくれていた。
また、連休の初日に当たるために、交通の混雑が心配される中、新潟までお骨や位牌を持っていく必要があり、法要に遅れるわけには行かず、余裕を持って到着しなければならない。次男が車を出してくれ、次男の車で、行くことにしていた。次男の出発予定を半ば強引に30分早めさせ、出発した。途中、車の流れは順調で、全く渋滞なく、早めに到着することができた。昼食を食べ、それから長男に家を訪ね、そこで着替えを行い、長男と一緒に、お寺さんへ向かい、予定時刻にはまだ少し余裕がある状態で、お寺に到着、長男は生花や供物等を調達に出かけた。
ここまではまさしく順調そのものだったのだが、供物の果物の盛り籠がなく、それを作ってもらうために、長男の到着がギリギリになってしまった。お坊さんが四十九日の法要をする前に、お墓を使えるようにするために、拝んでおきたいというのだが、長男がなかなか到着できずに、長男抜きで、拝んでもらうことにすることになった。このお経は結構長くかかるもので、法要の先立って行いたいというお坊さんが言うのも尤もだと初めて気付いた次第だ。
お墓から戻ると、長男も到着し、また、参列者も到着して、法要が開始され、後は、お坊さんの段取りで、事は進み、その後、会食の会場へと移動、会食も無事に終わらせることができた。
その後、次男夫婦と私は、温泉旅館に泊まり、温泉に入って、一息ついた。妻の介護を行うようになって、温泉と遠ざかっていたので、およそ6年ぶりの温泉だった。四十九日の法要を済ませることができ、安堵する気持ちと、久しぶりの温泉につかって、心も体もリラックスすることができた。
そして、翌日(昨日)、次男の車で帰途に付いた。新潟から高崎までは全く順調に進んでいたのだが、高崎を過ぎて、埼玉県に入る手前で、事故渋滞にはまってしまい、車は遅々として進まない状態に陥った。これだから、車での移動は難しいものだ。いったん事故が発生すると、こうして渋滞にはまってしまう。車での移動にはつきもので、避けようがない。
ただ、スマホを使って、先の道路の様子を調べながら進行しているので、渋滞にはまる直前にパーキングに立ち寄り、トイレを済ませ、その後は、次男は妻に運転を代わってもらい、助手席に移動している。私らの時代は、私が運転し、妻は助手席にのが当たり前、当然のことと思っていたのだが、今は、その役割分担にも大きな変化が起こっているようだ。
結局、1時間半遅れくらいで済み、私は、自宅に到着し、長い道中が終わった。次男夫婦は、さらに1時間掛けて、埼玉まで戻らなくてはならない。本当にありがたいことだ。