チェンソーと刈払機と新しい風景
前回の投稿(5/16)記事「趣味が高じて林業まがい」の後半に少しだけ触れたチェンソーと刈払機
の話。今日はこれをメインにお話したいと思った。
でも、その前に最近「山紀行」の記事が全く無いね。と気づいた方も少なからずいると思う。
求める夫婦登山の目標、北海道の1000m超峰全山踏破はまだ「志し半ば」であるが、その志
を失った訳では無い。ただ、今は退職前に覚え始めた「チェンソーと刈払機」の使用頻度が増え
る事に山と同様な達成感と充実感を感じ、同時に新たな出会いや新しい風景に触れる度どんどん
引き込まれる自分に私自身が驚いているところだ。
そして、本来なら自遊人。いつでも山三昧が理想なのに現実はスムーズに行かないものだった。
アルバイト(シルバー人材センター)を始めた事も理由のひとつだが、有り余った時間を年金だけ
で山三昧する事にも慣れていないせいか、滞在型登山もまだ出来ていないし、残雪期限定の未踏
峰にも挑戦しないまま時期を逸してしまった感じだ。
それなのに悔しいとか勿体ないとか後悔する気持ちは無く、誰かの役に立てるボランティア活動
にもう一つの生きがいを感じつつ、体を使った忙しい毎日が心地良い疲れで酒が旨いのだ。
それが、チェンソーと刈払機を使うボランティアとアルバイトだから尚更だ。
★ 薪の利用術・・・
私の家に薪ストーブは無い。
でも薪棚が二つあり、びっしり薪が積まさっている。これが、とても癒される風景だ。
アウトドアも趣味の一つ。焚火台で焚火をする事も大好きだからその時の薪にはもう不自由しない。
自分が動けば欲しい薪が手に入るようになった。今冬にはシイタケのホダギとなるコナラの原木も
確保出来る見通しだし、NPOが持っている山小屋のある林は正にアウトドアに最適な場所だった。
テントを張るのも無料のキャンプ地、その貸切の雑木林は意外に近い場所にあった。
密集した林を再生するための間伐は、林自体のためにも生かされ太陽の光が地面まで届く林は見違
えるように美しくなる。何千本もある木を一人で管理し、育林するためには毎日林に入っても成せ
る作業では無いかも知れない。しかし、それを想像するだけでも楽しいし、関わっている自分が誇
らしく生きがいを感じつつある。
そうした中で出来上がる「薪材」は、私だけが使う必要も無くそれを必要としている方に届ける事
も利活用の一つだと思っている。
苫小牧の知人裏山にある伐採され放置されたナラやクリの木を分けて貰った。
★ 山菜の女王・・・
一昨日、NPO活動の合間で近隣の林に出向き、山菜の女王と呼ばれている「コシアブラ(漉油)」
を採りに出掛けた。もちろん見る事も採る事も始めてだったが、会の仲間に教えてもらいながら、
もう見慣れた林に入って行く。
樹高は7m~10mに達するものもあり手を伸ばして採れる事は少ない。
枝や樹皮は灰白色で葉は掌状復葉で5~6枚の小葉からなる。その小葉が採取するコシアブラで
一見すると山菜には思えないが、香りは良く味はタラの芽に似たほろ苦さがあり、自然を感じ
る産物を実感出来ると言う。
北海道ではまだ知名度が低く、高木でもあるので近くを通っても気が付かないかも知れない。
知る人ぞ知る高級な山菜が身近な林の中に自生していたとは驚きだった。
ちょっとピンボケも上下の2枚がコシアブラ。
教えて頂いた「おひたし」にして頂いた。美味しかった。翌日には酢味噌も。
★ 必要とされる育林・・・
人生の初登山は34歳の時、職場の先輩たちに連れられて支笏湖の紋別岳に家族も一緒に登った。
舗装されたNTTらせん状の道路でも登山道として違和感なく登っていたし、なにより天気が良く
頂上からの景色に感動した事と山頂ご飯が美味しかった事が印象に強く残っている。
あれから30年、次第にハマって行く性格は奥深き登山の各ジャンルにも広がり、冬山、縦走、ア
イスクライミング、沢登り、岩登り、藪漕ぎへと続きそれがライフワークとなって切り離せない、
途切れる事が無い習慣になって行った登山生活だった。「登れ、登れ、登れ」とばかりに脇目も振
らずに早く登る事、早く下りる事しか考えていない程、色んな山に登る事が楽しく、満たせれてい
た登山青春時代を今は懐かしいと思う。
更に、山に咲く花も山から見下ろす景色も登山道の在る無しも倒木も自然保護も当初は何も考える
事無く、「登山とは何ぞや・・」なんて、山議論を熱く語っている事に意義を感じていた事も思い
出した。
子供が成長し親の手から離れた頃、増々登山は生活の一部だった。変わって行ったのは加齢と体力
低下と見えなかった景色と足元の花々が気になり始めた。癒される登山、登れる事の幸福感と感謝
する登山、何気に歩いて来た登山道は誰が?森、林、草、動物、水、岩、空気、自然そのもの、そ
して保護、保全、育林へと意識の変化に繋がって行った。
★ 目標も自己満足の世界・・・
誰のためでもない、自分の趣味として楽しみ目標を持ち励む事への努力が「登山」であった。
目標を達成しそれが偉業と呼ばれる快挙でも、言ってしまえば「自己満足」で終わる事も不思議で
はない。何百の山に登っても何千回山に登っても大事なのはその回数ではない。
どう登ったのか、誰と登ったのか、何を感じたのか、そして自分がどう変わって行ったのか・・・
もちろん人それぞれ、登る回数に拘る事も何も感じず登っている事もこうでなければ登山じゃない
なんて講釈を語るつもりも無いが、この30年間続けて来た登山から得て溜めたエネルギーを今は
少しずつ役に立てたいが今の自己満足なのかも知れない。
いま、新しい風景が楽しい・・・。
前回の投稿(5/16)記事「趣味が高じて林業まがい」の後半に少しだけ触れたチェンソーと刈払機
の話。今日はこれをメインにお話したいと思った。
でも、その前に最近「山紀行」の記事が全く無いね。と気づいた方も少なからずいると思う。
求める夫婦登山の目標、北海道の1000m超峰全山踏破はまだ「志し半ば」であるが、その志
を失った訳では無い。ただ、今は退職前に覚え始めた「チェンソーと刈払機」の使用頻度が増え
る事に山と同様な達成感と充実感を感じ、同時に新たな出会いや新しい風景に触れる度どんどん
引き込まれる自分に私自身が驚いているところだ。
そして、本来なら自遊人。いつでも山三昧が理想なのに現実はスムーズに行かないものだった。
アルバイト(シルバー人材センター)を始めた事も理由のひとつだが、有り余った時間を年金だけ
で山三昧する事にも慣れていないせいか、滞在型登山もまだ出来ていないし、残雪期限定の未踏
峰にも挑戦しないまま時期を逸してしまった感じだ。
それなのに悔しいとか勿体ないとか後悔する気持ちは無く、誰かの役に立てるボランティア活動
にもう一つの生きがいを感じつつ、体を使った忙しい毎日が心地良い疲れで酒が旨いのだ。
それが、チェンソーと刈払機を使うボランティアとアルバイトだから尚更だ。
★ 薪の利用術・・・
私の家に薪ストーブは無い。
でも薪棚が二つあり、びっしり薪が積まさっている。これが、とても癒される風景だ。
アウトドアも趣味の一つ。焚火台で焚火をする事も大好きだからその時の薪にはもう不自由しない。
自分が動けば欲しい薪が手に入るようになった。今冬にはシイタケのホダギとなるコナラの原木も
確保出来る見通しだし、NPOが持っている山小屋のある林は正にアウトドアに最適な場所だった。
テントを張るのも無料のキャンプ地、その貸切の雑木林は意外に近い場所にあった。
密集した林を再生するための間伐は、林自体のためにも生かされ太陽の光が地面まで届く林は見違
えるように美しくなる。何千本もある木を一人で管理し、育林するためには毎日林に入っても成せ
る作業では無いかも知れない。しかし、それを想像するだけでも楽しいし、関わっている自分が誇
らしく生きがいを感じつつある。
そうした中で出来上がる「薪材」は、私だけが使う必要も無くそれを必要としている方に届ける事
も利活用の一つだと思っている。
苫小牧の知人裏山にある伐採され放置されたナラやクリの木を分けて貰った。
★ 山菜の女王・・・
一昨日、NPO活動の合間で近隣の林に出向き、山菜の女王と呼ばれている「コシアブラ(漉油)」
を採りに出掛けた。もちろん見る事も採る事も始めてだったが、会の仲間に教えてもらいながら、
もう見慣れた林に入って行く。
樹高は7m~10mに達するものもあり手を伸ばして採れる事は少ない。
枝や樹皮は灰白色で葉は掌状復葉で5~6枚の小葉からなる。その小葉が採取するコシアブラで
一見すると山菜には思えないが、香りは良く味はタラの芽に似たほろ苦さがあり、自然を感じ
る産物を実感出来ると言う。
北海道ではまだ知名度が低く、高木でもあるので近くを通っても気が付かないかも知れない。
知る人ぞ知る高級な山菜が身近な林の中に自生していたとは驚きだった。
ちょっとピンボケも上下の2枚がコシアブラ。
教えて頂いた「おひたし」にして頂いた。美味しかった。翌日には酢味噌も。
★ 必要とされる育林・・・
人生の初登山は34歳の時、職場の先輩たちに連れられて支笏湖の紋別岳に家族も一緒に登った。
舗装されたNTTらせん状の道路でも登山道として違和感なく登っていたし、なにより天気が良く
頂上からの景色に感動した事と山頂ご飯が美味しかった事が印象に強く残っている。
あれから30年、次第にハマって行く性格は奥深き登山の各ジャンルにも広がり、冬山、縦走、ア
イスクライミング、沢登り、岩登り、藪漕ぎへと続きそれがライフワークとなって切り離せない、
途切れる事が無い習慣になって行った登山生活だった。「登れ、登れ、登れ」とばかりに脇目も振
らずに早く登る事、早く下りる事しか考えていない程、色んな山に登る事が楽しく、満たせれてい
た登山青春時代を今は懐かしいと思う。
更に、山に咲く花も山から見下ろす景色も登山道の在る無しも倒木も自然保護も当初は何も考える
事無く、「登山とは何ぞや・・」なんて、山議論を熱く語っている事に意義を感じていた事も思い
出した。
子供が成長し親の手から離れた頃、増々登山は生活の一部だった。変わって行ったのは加齢と体力
低下と見えなかった景色と足元の花々が気になり始めた。癒される登山、登れる事の幸福感と感謝
する登山、何気に歩いて来た登山道は誰が?森、林、草、動物、水、岩、空気、自然そのもの、そ
して保護、保全、育林へと意識の変化に繋がって行った。
★ 目標も自己満足の世界・・・
誰のためでもない、自分の趣味として楽しみ目標を持ち励む事への努力が「登山」であった。
目標を達成しそれが偉業と呼ばれる快挙でも、言ってしまえば「自己満足」で終わる事も不思議で
はない。何百の山に登っても何千回山に登っても大事なのはその回数ではない。
どう登ったのか、誰と登ったのか、何を感じたのか、そして自分がどう変わって行ったのか・・・
もちろん人それぞれ、登る回数に拘る事も何も感じず登っている事もこうでなければ登山じゃない
なんて講釈を語るつもりも無いが、この30年間続けて来た登山から得て溜めたエネルギーを今は
少しずつ役に立てたいが今の自己満足なのかも知れない。
いま、新しい風景が楽しい・・・。