エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

同期が70歳まで頑張った理由・・

2023年11月13日 | 日記
同期が70歳まで頑張った理由
★ 3年ぶりに再会した前職の面々・・・
【11月10日 (金) 】
この日、札幌で前職時代の同期 (年上)H氏が退職し、送別会が開催された。彼は元々岩見沢市の
職場で約9年間勤めた後会社の都合で札幌に転勤となりこの日まで約36年間併せて45年間に
渡り勤め上げた言わばレジェント社員である。雇用延長が切れる70歳まで頑張って来た彼はど
んな思いだったのか?・・・63歳で退職した私にはその理由が興味津々だった。

送別会には、現職の同期が5名頑張っていてその中のS氏が今回の幹事役。私に連絡をくれたの
もS氏だった。職場の後輩や同期、OB22名を含め計43名が出席する大きな昼宴会となり会
場探しに苦労したと言う。

出席した顔ぶれすべてが3年ぶりの再会だったが、40代前半からOBの70代半ばまで幅広い
面々はH氏の人柄が成す集まった人数だったように伺える。



送別会会場にて H氏が私の横に来て挨拶してくれたので聞いて見た・・・

★ 「働くしかなかった・・」は本音か・・・
人数が多過ぎて「宴席回り」をするスペースも無く、再会の酒を酌み交わす事は出来なかった。
しかし、主賓のH氏は退職のあいさつの後一人一人の席に回りお礼の挨拶をする様は、現役時代
でも見た彼の明るさなのだろうか。私が退職した時はコロナ禍でもあったが、自分が主役となる
「宴」は苦手だったので仮にこうした送別会を企画されても多分お断りしていただろう・・。
たとえ会が開かれたとしてもH氏のように席を回ってお礼できるタイプでも無い私だ。

とにかく会社は早く辞めたかったし、年金が満額となる勤続44年・528カ月の厚生年金を収
める事が待ち遠しく、即44年で辞めさせて頂いた。

「年金を支給されたら、もう働かなくても良い」と単純に思っていたし、悠々自適な山三昧の生
活が出来ると思っていた。しかし、結果は大誤算・・・。支給額が全部生活費になる訳でなく、
そこから色々な税金が引かれ、残った手取り額で夫婦二人が生活をしなくてはならなかった。

それでも、趣味が無ければギリギリの生活は出来たかも知れない・・。
しかし、私たち夫婦のライフワークが登山であり、高き目標に向かって完登を目指しているので
その経費は安くは無い・・。だから、退職してすぐに仕事を探し現在もその収入が山と飲み会に
注がれている。

ひとそれぞれなのは承知しているが、H氏の話は「働くしかなかった」とすぐに返って来た。
それは、自分には趣味も無く途中採用で65歳で辞めても年金は満額では無かった事も打ち明
けてくれた。仮に辞めても他に仕事を探すなら現職のままでいる方が楽だとも言っていた。
「そうだよねー」と70歳まで頑張って来たことは納得したが、「これからの事はまたゆっく
り考えるよ・・」と話は綴じた。


★ 大差ない我らサラリーマン時代・・・
私もH氏と同じ高卒で途中採用組。札幌に転勤となる前は旧静内町で11年間勤めていた。
その街で知り合った女性 (現在の妻) と結婚し、子供もその街で生まれた。しかし、会社の都合
で札幌へと言う流れはH氏と同じである。

他の同期も色々な事情はあれど、大差ない理由で札幌に移動となり一緒に働いて来た面々。
すでに退職している10数名の同期も働いている者、何もしていない者とに分かれ、それぞれ
の人生を過ごしているようだった。

久しぶりの再会もまた良し。
懐かしさは戻って来たが、彼らとまたお付き合いする機会は無いかも知れないと率直に思った
送別会だった・・・。

みんなガンバレ・・・。


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