偉業って目指すものなのか?
2022.3 春のオプタテに挑む・・・・(HYMLの山友トシさん撮影、私たちはいません😢)
私たち夫婦が目指している「北海道の1000m超峰全山を夫婦で登る」は、現在も進行形だが
正直行き詰まっている。・・・ほんと難しい。
自分なりにカウントした「442座」を夫婦で登ると言う目標は、知る限り「達成した」という
情報は未だ聞いていない。それだけに達成すればそれを「偉業達成」と呼ばれる部類に仲間入り
するのだろうが、北海道登山の歴史の中で未だその情報が無いと言う事は、それだけ難しいと言
う裏返しでもある。そもそもそんな目標を立てて目指す夫婦などいないと言ってしまえばそれま
でだが、少なくとも私たち夫婦の他にもいると言う噂は聞いている。
これまで1000m超峰全山を踏破した情報は何度か聞いているし、それは男女問わず10名前
後の名前が上がる。私がずっとお手本としている達成者は、八谷和彦氏と児玉保則氏のお二人そ
れとは別に山の師匠と呼んでいるKさんである。
八谷氏は現在67歳、1000m超峰全山 (当時は430座) を制覇したのは51歳の時で29年
間の歳月を要したと言う。その八谷氏も夫婦で山に登っていたが、奥さんと登った1000m超
峰はその6割ほどだったと聞く。あとは単独か仲間との複数山行で達成だったようだ。まだ現役
バリバリと言える51歳での制覇には勢いを感じるし、29年間という事は22歳から始めた挑
戦だからある意味納得するところはある。
達成後に出版した「新版ガイドブックにない北海道の山々」。それを手にした事が私たちの目標
に繋がっていると言っても過言では無い。
児玉保則氏は、八谷氏との山仲間でもあり私とはHYMLの仲間としてお付き合いがあった。
多くの1000m超峰を含め八谷氏と同行したメンバーである。その児玉氏の登山は更にエスカ
レートし、北海道の山全山が目標となりその数は1594座と桁違いだった。彼がそれを達成し
たのは、2016年8月由仁町の長官山 (254m) で多くの仲間と共に私も同行出来たメモリアル
山行だった。当時児玉氏は62歳での達成だったが、実はこの時すでに重い病に侵されていて翌
年の5月に逝去すると言う壮絶な人生だった。病床時から偉業達成の記録本を自費出版する準備
を進めていたが、編集途中で逝去となった事が残念だった。
しかし、遺志を引き継ぐ形で集まった仲間たちで編集を続け、約2年後に完成した本が2019
年5月に出版された。タイトルは「ついにやった!前人未到の1594山・北海道「KO玉の全
山登頂記」」だった。微力ながら私もそのメンバーに加えて頂き、何度も病床の児玉氏と会って
編集の打ち合わせをしたものだった。私が未踏峰に臨む時、児玉氏の記録を参考にする事は常だ
ったし、いつも彼を思い出しながら挑んでいる自分が居る。
だが、彼らが集中的に消化していった山登りを真似する事は容易では無いのだ。
児玉氏でさえ登山を始めたのは大学入学時からなので、偉業達成まで40年以上掛かっている。
達成するまでの年数を人と比べるものではないかも知れないが、「夫婦で・・」と言うところが
二人とは違う条件なのだ。私たちも登山を始めて31年目に入り大きな目標を掲げながらそれを
ライフワークと呼んで続けて来た。しかし、何度も挫折感を感じながら持ち直し継続しまた挑戦
して来た。
考えて見ると「偉業達成」を目標にしているのか「全山を夫婦で登る」が目標なのか、そもそも
それって必ず目指すものなのか・・と自暴自棄状態だ。
拙ブログで愚痴を吐き出し、なんとか明るい出口を導きたいと思っているが、このネタだけは訪
問者のお役にはならない今日この頃である。ホント申し訳ない・・・。
2022.3 春のオプタテに挑む・・・・(HYMLの山友トシさん撮影、私たちはいません😢)
私たち夫婦が目指している「北海道の1000m超峰全山を夫婦で登る」は、現在も進行形だが
正直行き詰まっている。・・・ほんと難しい。
自分なりにカウントした「442座」を夫婦で登ると言う目標は、知る限り「達成した」という
情報は未だ聞いていない。それだけに達成すればそれを「偉業達成」と呼ばれる部類に仲間入り
するのだろうが、北海道登山の歴史の中で未だその情報が無いと言う事は、それだけ難しいと言
う裏返しでもある。そもそもそんな目標を立てて目指す夫婦などいないと言ってしまえばそれま
でだが、少なくとも私たち夫婦の他にもいると言う噂は聞いている。
これまで1000m超峰全山を踏破した情報は何度か聞いているし、それは男女問わず10名前
後の名前が上がる。私がずっとお手本としている達成者は、八谷和彦氏と児玉保則氏のお二人そ
れとは別に山の師匠と呼んでいるKさんである。
八谷氏は現在67歳、1000m超峰全山 (当時は430座) を制覇したのは51歳の時で29年
間の歳月を要したと言う。その八谷氏も夫婦で山に登っていたが、奥さんと登った1000m超
峰はその6割ほどだったと聞く。あとは単独か仲間との複数山行で達成だったようだ。まだ現役
バリバリと言える51歳での制覇には勢いを感じるし、29年間という事は22歳から始めた挑
戦だからある意味納得するところはある。
達成後に出版した「新版ガイドブックにない北海道の山々」。それを手にした事が私たちの目標
に繋がっていると言っても過言では無い。
児玉保則氏は、八谷氏との山仲間でもあり私とはHYMLの仲間としてお付き合いがあった。
多くの1000m超峰を含め八谷氏と同行したメンバーである。その児玉氏の登山は更にエスカ
レートし、北海道の山全山が目標となりその数は1594座と桁違いだった。彼がそれを達成し
たのは、2016年8月由仁町の長官山 (254m) で多くの仲間と共に私も同行出来たメモリアル
山行だった。当時児玉氏は62歳での達成だったが、実はこの時すでに重い病に侵されていて翌
年の5月に逝去すると言う壮絶な人生だった。病床時から偉業達成の記録本を自費出版する準備
を進めていたが、編集途中で逝去となった事が残念だった。
しかし、遺志を引き継ぐ形で集まった仲間たちで編集を続け、約2年後に完成した本が2019
年5月に出版された。タイトルは「ついにやった!前人未到の1594山・北海道「KO玉の全
山登頂記」」だった。微力ながら私もそのメンバーに加えて頂き、何度も病床の児玉氏と会って
編集の打ち合わせをしたものだった。私が未踏峰に臨む時、児玉氏の記録を参考にする事は常だ
ったし、いつも彼を思い出しながら挑んでいる自分が居る。
だが、彼らが集中的に消化していった山登りを真似する事は容易では無いのだ。
児玉氏でさえ登山を始めたのは大学入学時からなので、偉業達成まで40年以上掛かっている。
達成するまでの年数を人と比べるものではないかも知れないが、「夫婦で・・」と言うところが
二人とは違う条件なのだ。私たちも登山を始めて31年目に入り大きな目標を掲げながらそれを
ライフワークと呼んで続けて来た。しかし、何度も挫折感を感じながら持ち直し継続しまた挑戦
して来た。
考えて見ると「偉業達成」を目標にしているのか「全山を夫婦で登る」が目標なのか、そもそも
それって必ず目指すものなのか・・と自暴自棄状態だ。
拙ブログで愚痴を吐き出し、なんとか明るい出口を導きたいと思っているが、このネタだけは訪
問者のお役にはならない今日この頃である。ホント申し訳ない・・・。
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