エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

忘れていた親父の命日・・・

2022年02月27日 | 日記
仏事は無いけれど・・・
忘れていた親父の命日


今朝、チーヤンが作っていたお供えするお団子・・・



今朝起きて何気に台所へ行くといつものように朝食の準備をしているチーヤンがいる。
流しの向かい側にある対面棚に「団子」があった。えっ?と思った瞬間に今日の日が頭に浮かぶ。
2月27日、団子?・・・「あっ!親父の命日か」とすぐに気が付いた。そう言えば、昨日見た花
は仏壇に供えるためにチーヤンが買って来たものか・・・と分かった。

命日の事など一言も言わず、ちゃんと覚えていた妻チーヤン。なのに息子の私はまったく忘れてい
て、仏壇への供え物すら考え付かないバカ息子である。

母親が要介護状態になってから、ほぼ毎日仏壇の供え物を替えている事は知っていたが、お参りし
たり、鈴を鳴らす事も無く感謝の意も忘れていたと猛省する。

母親に「今日は父さんの命日だね」と言っても、反応は鈍く分かったような分からないようなだっ
たが、ふと親父の遺影を見上げていたのでちょっと救われた気がした。

父親が亡くなってから16年かぁ~と時の流れる早さと自分たちも間もなく高齢者の仲間になるん
だなぁ~とつい現実に返ってしまう。

仏壇には、祖母と父の位牌がありそれぞれ一応に仏事は行って来た。しかし、元々宗教的な信仰心
はわが家に無く祖母が亡くなった時に、父親がはじめてお墓を建てて地元のお寺の檀家となり供養
する事になった話なのだ。

本来であれば、毎日仏壇の前に座り線香とロウソクを点け、鈴を鳴らして手を合わる事が供養と言
うものだろうが、「死んだ者より生きている者が優先」と住職が説いた話は今も頭の隅に残ってい
て、つい供養の事を後回しにしているのが言い訳である。

元気な頃の母親ならきっと毎日供え物を替えていただろうし、命日を忘れる事は無かったと思うが
そうでなくなった今、元気な息子がちゃんと亡き家族の供養も考えなくてはいけないと思い知らさ
れたひと場面だった。

話は飛ぶが、今日私は3回目となるコロナワクチンの接種がある日だ。
1回目と2回目はファイザー製で3回目はモデルナ製のワクチンを接種する。副反応はほとんど無
かったので、今日もあまり心配はしていないが、仮にあったとしても命まではと思っている。
妻は1月末、母親は2月中旬にそれぞれ3回目の接種を終えているが、二人とも副反応はほとんど
無くいつもと変わらない生活で過ごしている。私の接種で一応家族全員の接種は終了する事になり
感染へのリスクは低下すると信じているし、感染しても重症化のリスクが低い事も願っている事で
ある。

昨日から暖気で暖かい日となり、今朝は湿った雪がパラついていた・・。
積もった雪は次第に重くなるし裏庭には、除雪した雪山が2m越えで穴を掘ればすぐにカマクラが
出来るほどである。





わが家の裏庭に積み上げた雪は2m越えである・・・