内郷のナナゴったら若番の、常磐線交流電化開業以来の古いのが主体だったが、1両だけ129っていう3桁機番のが59年1月まで在籍していた。後にこの機は長町区に移動、更に仙貨に移動して21世紀を迎えてから数奇な運命を辿るのは、あの時代に追っかけてた人間にはもう伝説中の伝説。
4085レという宮城野行きの下り貨レが、黒磯口のナナゴ牽引の定期運用で残っていた。3~4日おき位でECO-LINER 31が機次位に載る列車で、129はその31ft.コンテナが載る日の重連先頭に時々立っていた。
長町区のヴェテラン、128を従えて。
12.02.'06
"だっぱら"こと高久~黒田原間での撮影。因みに下のコマを撮ったときが129が先頭に立った最後の4085レだったように記憶しているが、後から「やっぱり大砲で撃ち取るべきだった・・・」と反省したのは、ここだけの話。
4085レという宮城野行きの下り貨レが、黒磯口のナナゴ牽引の定期運用で残っていた。3~4日おき位でECO-LINER 31が機次位に載る列車で、129はその31ft.コンテナが載る日の重連先頭に時々立っていた。
長町区のヴェテラン、128を従えて。
12.02.'06
"だっぱら"こと高久~黒田原間での撮影。因みに下のコマを撮ったときが129が先頭に立った最後の4085レだったように記憶しているが、後から「やっぱり大砲で撃ち取るべきだった・・・」と反省したのは、ここだけの話。
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