年賀状の存在を知ってから35年。
初めて従姉妹に年賀状書いたのが小2の時だから
遅かったか早かったかは知らない。
ただ、従姉妹のいる浦和
もっと大雑把にいうと東京(w)に行って
実際どんな暮らしをしてるか、見にいってみたい
そういう望みを年賀状に描いていた。
何せ家は余計な金が出せなくて
祖母の実家に泊まりにいく程度でも遠出の範疇だった。
こんな紙一枚でも遠くに行けるのに
何で俺は何処にも行けないんだろう…
色々見てきたいものごとがあるのに。
色々知り合いになりたい友達とかいる筈なのに。
なので、せめて自分の出した年賀状には自分の夢を描いて
ポストに投函していたように思う。
自分の夢は、ブルトレに乗って遠くまでいくこと。
そんな夢を伝えてはみたものの、返事がないので
やはり女の子には無理だったかと諦めて
宛先をガッコの同級生に切り換えたのは自然の流れだった。
就職して自分で稼いだ金で切符を買って乗れるようになって
初めてその夢は叶ったけれど
友達を作る年齢には遅すぎた気がした。
仮にまだ作れた歳だったにせよ
職場にいた同い年の人はいわゆる先輩や同僚で
友達と言える程の関係ではない。
かと言って作れなかった訳ではなく
撮影先で知り合った鉄ちゃんと住所交換したり
あるいは一緒に撮影行に行ったりして
関係を深めることはよくやってた。
まあ、互いの利害関係で縁を結んだり結ばなかったり
そういう離合はしょっちゅうあったから
上京してきたばかりの頃に出会った友達、友人で
今も交流があるのは一人いるかいないかそんな程度。
それでも、年賀状は出している。
今年の年賀状は107枚くらい。
全部返事は帰ってこなくても構わない。
6割くらいが帰ってくればそれでよし。
夢を綴った年賀状だけど
今は「節の挨拶」として本来の意味通りに
あるいは自分の生存報告に
またあるいは人を元気づけるために
いっぱい作って、いっぱい出している
そんな次第だ。
初めて従姉妹に年賀状書いたのが小2の時だから
遅かったか早かったかは知らない。
ただ、従姉妹のいる浦和
もっと大雑把にいうと東京(w)に行って
実際どんな暮らしをしてるか、見にいってみたい
そういう望みを年賀状に描いていた。
何せ家は余計な金が出せなくて
祖母の実家に泊まりにいく程度でも遠出の範疇だった。
こんな紙一枚でも遠くに行けるのに
何で俺は何処にも行けないんだろう…
色々見てきたいものごとがあるのに。
色々知り合いになりたい友達とかいる筈なのに。
なので、せめて自分の出した年賀状には自分の夢を描いて
ポストに投函していたように思う。
自分の夢は、ブルトレに乗って遠くまでいくこと。
そんな夢を伝えてはみたものの、返事がないので
やはり女の子には無理だったかと諦めて
宛先をガッコの同級生に切り換えたのは自然の流れだった。
就職して自分で稼いだ金で切符を買って乗れるようになって
初めてその夢は叶ったけれど
友達を作る年齢には遅すぎた気がした。
仮にまだ作れた歳だったにせよ
職場にいた同い年の人はいわゆる先輩や同僚で
友達と言える程の関係ではない。
かと言って作れなかった訳ではなく
撮影先で知り合った鉄ちゃんと住所交換したり
あるいは一緒に撮影行に行ったりして
関係を深めることはよくやってた。
まあ、互いの利害関係で縁を結んだり結ばなかったり
そういう離合はしょっちゅうあったから
上京してきたばかりの頃に出会った友達、友人で
今も交流があるのは一人いるかいないかそんな程度。
それでも、年賀状は出している。
今年の年賀状は107枚くらい。
全部返事は帰ってこなくても構わない。
6割くらいが帰ってくればそれでよし。
夢を綴った年賀状だけど
今は「節の挨拶」として本来の意味通りに
あるいは自分の生存報告に
またあるいは人を元気づけるために
いっぱい作って、いっぱい出している
そんな次第だ。
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