急な出費が出たので仕事を早引きして
某豊島区役所近く、青い看板の金融機関に寄ってからウチに帰ると
部屋の真ん中にポジ箱がズンっと座っている。
あぁ、そういやまた古いのをサルヴェージしてたんだっけ
今から19年前の1994年夏、俺は東海道本線を走る貨物列車の
「聖地巡礼」にいそしんでいた。
具体的に言えば、柏原~近江長岡~醒ヶ井間だったり
今は行けなくなった貨物線の生麦トンネル出口だったり。
ことに後者では、時間と金がある夏期でしか撮れない
「夜明けの仲間たち」を数多く撮っていた。
そこではEF66は勿論、EF65、同PF、EF200といった当時の主力が
日の出前から朝7時の間ひっきりなしに通過していくのだが
東京都の外れ、板橋区のそのまた外れからそこに通うには
一度大垣夜行で富士へ行ってから
折り返し上りの大垣夜行で横浜へ戻り
そこからタクシーで駆けつけるのが一番沢山撮れる方法だった。
時にはもっと多く撮ろうと、夜更けに寮を抜け出して
某港区内にあった当時の仕事場まで自転車を漕ぎ
そこから日比谷通り沿いに田町の駅まで歩いては
京浜東北線と京急電車を乗り継いでったりもした。
いずれにしてもそのポイントまで行くには
時間と金は結構かかったものだが
手間隙惜しまずに出掛けていっただけあって
結構な数の貨物列車を撮ることが出来た。
なお今さらだが、今回の画像「も」当時撮ったものなので
今でも撮れる場所ではない、寧ろもう撮れない場所である
ということを念頭に入れて欲しい。
そんな訳なので、ここで見たからといって
ホイホイと出掛けないように断っておく。
某豊島区役所近く、青い看板の金融機関に寄ってからウチに帰ると
部屋の真ん中にポジ箱がズンっと座っている。
あぁ、そういやまた古いのをサルヴェージしてたんだっけ
今から19年前の1994年夏、俺は東海道本線を走る貨物列車の
「聖地巡礼」にいそしんでいた。
具体的に言えば、柏原~近江長岡~醒ヶ井間だったり
今は行けなくなった貨物線の生麦トンネル出口だったり。
ことに後者では、時間と金がある夏期でしか撮れない
「夜明けの仲間たち」を数多く撮っていた。
そこではEF66は勿論、EF65、同PF、EF200といった当時の主力が
日の出前から朝7時の間ひっきりなしに通過していくのだが
東京都の外れ、板橋区のそのまた外れからそこに通うには
一度大垣夜行で富士へ行ってから
折り返し上りの大垣夜行で横浜へ戻り
そこからタクシーで駆けつけるのが一番沢山撮れる方法だった。
時にはもっと多く撮ろうと、夜更けに寮を抜け出して
某港区内にあった当時の仕事場まで自転車を漕ぎ
そこから日比谷通り沿いに田町の駅まで歩いては
京浜東北線と京急電車を乗り継いでったりもした。
いずれにしてもそのポイントまで行くには
時間と金は結構かかったものだが
手間隙惜しまずに出掛けていっただけあって
結構な数の貨物列車を撮ることが出来た。
なお今さらだが、今回の画像「も」当時撮ったものなので
今でも撮れる場所ではない、寧ろもう撮れない場所である
ということを念頭に入れて欲しい。
そんな訳なので、ここで見たからといって
ホイホイと出掛けないように断っておく。
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