阪神大震災のあったシーズンは本当に雪が多かった。
暖かいととっくに田んぼの土が見えてるはずの「教習所そば」のポイントが、2月になってもこっちが輪カンジキ着けて入らなきゃ行けない程の、分厚い雪蒲団をずっと被っていた。尤も関山の防雪林バックはもっと多く、まだまだ脚周りが隠れる程積もってた訳で、それでこんな所まで「下りて」撮ってたのだ。
因みに牽引機は長野方から1051+1032で(1月が1051+1053だった)、後のシーズンと比べるとよく充当機を小まめに変えてきていた。
しかし、いずれ春はくる。
2月に行った時はなかったが、3月に入ってから「雪の窪み」が出来ていた。更にそのそばをネコと思われる小動物がつけた足跡が線路方向に伸びている。人の足跡なら”怒りの撤退”も考えたが、ネコじゃあしょうがない。
やっとこさ再び関山に上がれたのはシーズンも最終日の2月の撮影から丁度1ヶ月後になるが、その辺は過去ログにも綴ってる筈なので、見つけたら大きい画像に取り替えて再編集してからリンクをつけておく。
暖かいととっくに田んぼの土が見えてるはずの「教習所そば」のポイントが、2月になってもこっちが輪カンジキ着けて入らなきゃ行けない程の、分厚い雪蒲団をずっと被っていた。尤も関山の防雪林バックはもっと多く、まだまだ脚周りが隠れる程積もってた訳で、それでこんな所まで「下りて」撮ってたのだ。
因みに牽引機は長野方から1051+1032で(1月が1051+1053だった)、後のシーズンと比べるとよく充当機を小まめに変えてきていた。
しかし、いずれ春はくる。
2月に行った時はなかったが、3月に入ってから「雪の窪み」が出来ていた。更にそのそばをネコと思われる小動物がつけた足跡が線路方向に伸びている。人の足跡なら”怒りの撤退”も考えたが、ネコじゃあしょうがない。
やっとこさ再び関山に上がれたのはシーズンも最終日の2月の撮影から丁度1ヶ月後になるが、その辺は過去ログにも綴ってる筈なので、見つけたら大きい画像に取り替えて再編集してからリンクをつけておく。
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