(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

夜。大垣夜行。

2009年11月24日 | とある貨レ撮りの世迷い言
深夜。

 乗る鉄先の山形から帰ってからひとり実況系のスレを追っかけたり、テレビのスイッチ入れては
「うなぎキタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!」とか叫んだりする。

 某SNS。
 かの地の知り合いの日記に、吹田機関区の報告。読んでくうちに、なつかしき「ガキ夜」についての話が。
 俺っちの知ってるガキ夜はそんなに夢のある乗り物じゃなかった。空気読めない中国人に睨まれたり、禁煙席でタバコ吸ってるヤクザに注意して顔面ヴォコヴォコに殴られたり、はたまた闘争に参加途中の、白地にZのヘルメットのアブナイ人々に中へ引き込まれそうになったり。(全部、実体験ですよん)バブル崩壊直後のガキ夜は、ある意味かなり危険な乗り物だった。
 尤も夜行なんてのは、あの当時皆そんなもんかも。まだ14系客車の頃の急行「津軽」に乗ったら、通路歩ってるだけでシートに寝てる客からケリが飛んできた。あれで、A県民は恐ろしいとか思ったりしたもんだ。さすがに583系になったら大人しくなったが、夜行列車ってのはある程度の危険は覚悟して乗らなくてはいけない、そんな乗り物だと実感させられた。
 ここの過去ログのどっかにも「ガキ夜」のなれの果てでの記録がある。安くて便利な乗り物に、金持ってない人間が寄ってくるのは世界共通だ。俺もいろんな外国人を見たけれど、欧米のバックパッカーはいいとして、イラン人やパキスタン人の流しの労働者とか、鑑真号で帰る中国人留学生に関釜フェリーで帰る韓国人、そして常識の欠片すらないサイタマ人、と。夜中こんな連中と渉り合うためには、カレチ1人2人じゃ物足りない。時には警察の厄介にだってなる。そんなことを思うと、あの列車が無くなったのもああ、ムベなるかなと思ったりするこの頃だ。

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