どうなんだろ?・・・正直思ってなかったのでは。
ヒンドゥー教徒の男性はターバン巻かないけれど、シーク教徒(ザ・シーク、ってプロレスラーもいた)が。
一杯いるな、東京の普通のインド人。それも東日本大震災以前から。吉60系統だと、駅前から水道端、立野橋、上石神井辺りで降りる利用者がいるのは知ってるけど、震災直後には18時丁度の成増町行きに乗って成増一丁目まで流れていく「常連」が居たっけ。流石、伊達に屋根まで登って旅してないわ、と思ったもんだ。
でも昭和の50年代末期は、そういう普通の「アジアの人」っていうと限定的な所にしか居なかった訳で、めずらしがられて持て囃されるのも無理なかった。周りはみんな普通に日本人だけって状況だったし、それが当たり前だったし。
数年後、日本が結んだ外国との協定の穴を誰かに見つけられて、ビザなしでやってきたのが普通に見るように(お陰でダルビッシュという稀有の存在をみる、ってアレはイランか)なった平成年間以降、パキスタンとかピーナとかインドネシアとか(インド人はもっと後、今世紀に入ってからじゃないか?)・・・俺が田舎にいた時分には想像もつかなかった人々が至るところに。諸般の事情で連れて来られたのが、居ついてる次第にある程度の位置を安堵してもらったのもいれば、自発的に「儲かるらしい」って聞いてきたのもいる。
戸川純もそこまでは・・・ねぇ、考えてなかったんじゃなかろか。
ヒンドゥー教徒の男性はターバン巻かないけれど、シーク教徒(ザ・シーク、ってプロレスラーもいた)が。
一杯いるな、東京の普通のインド人。それも東日本大震災以前から。吉60系統だと、駅前から水道端、立野橋、上石神井辺りで降りる利用者がいるのは知ってるけど、震災直後には18時丁度の成増町行きに乗って成増一丁目まで流れていく「常連」が居たっけ。流石、伊達に屋根まで登って旅してないわ、と思ったもんだ。
でも昭和の50年代末期は、そういう普通の「アジアの人」っていうと限定的な所にしか居なかった訳で、めずらしがられて持て囃されるのも無理なかった。周りはみんな普通に日本人だけって状況だったし、それが当たり前だったし。
数年後、日本が結んだ外国との協定の穴を誰かに見つけられて、ビザなしでやってきたのが普通に見るように(お陰でダルビッシュという稀有の存在をみる、ってアレはイランか)なった平成年間以降、パキスタンとかピーナとかインドネシアとか(インド人はもっと後、今世紀に入ってからじゃないか?)・・・俺が田舎にいた時分には想像もつかなかった人々が至るところに。諸般の事情で連れて来られたのが、居ついてる次第にある程度の位置を安堵してもらったのもいれば、自発的に「儲かるらしい」って聞いてきたのもいる。
戸川純もそこまでは・・・ねぇ、考えてなかったんじゃなかろか。
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