大正12年に起きた関東大震災のときに被災者の救済に奔走して日本のボランティア活動の草分けになった賀川豊彦。その後、社会運動、労働運動、農民の組合運動、協同組合運動、平和運動と数々の運動を行い、大正から昭和にかけて社会運動の種をまいてきました。数々の功績を残した賀川豊彦ですが、その道のりは大変な苦悩の連続であったようです。両親を小さいうちに亡くし孤独の幼少期を過ごし実家の破産と自身の吐血により一時危篤状態となり生死をさまよう経験をします。その後快復してキリスト教の伝道活動を行い、神戸の新川という貧民窟で自らそこに身を投じて救貧活動を行います。最も貧しい人々の中に身を置き共に生活する体験をします。この体験が関東大震災の被災者の救済活動に被災者の痛みを良く理解した活動につながったのだと思います。賀川豊彦の活動をみるときは反省しきりの私です。
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