「ドウダイ鉱毒はドウダイ。旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ。一昨年日光へ行った時、鉱毒の影響を日光迄受けて中禅寺の湖水に毒を流し、日光町はもちろん、その下々をあひて清水に事を欠かしめはせぬかと中禅寺迄は行って見たが、山の木を斬られる位の事はあっても、山越しにコツチへ毒を流すのは大変だから、毒を流す様なことはあるまいと思って、大概にして帰ったよ。
山を掘ることは旧幕時代からやって居た事だが、旧幕時代は手のさきでチョイチョイやって居たんだ。海へ小便したって海の水は小便にはなるまい。手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れはしまい。
今日は文明だそうだ。文明の大仕掛で山を掘りながら、その他の仕掛はこれに伴はぬ、それでは海で小便したとは違はうがね・・・わかったかね・・・元が間違ってるんだ。」(勝海舟「氷川清話」より)
勝海舟らしい言い回しです。文明が発達して鉱毒を拡大したことを皮肉っぽく語っています。勝海舟が現代の原発事故を見たとき同じことを皮肉っぽく言うでしょう。