Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

ゴッチの日記 転載

2014-10-09 19:55:59 | 詩備忘録


 アジカンのプリプロが始まった。

 DIVIDEDという高級アンプが使いたくてレンタルしたところ、アツ(・シ・)ホリエのものが届いた。万年ボグナー生活のケンさんに使わせたところ、たいへんにヌケのいいサウンドになった。



 その後は、悪い意味で煮詰まったり、煮詰まったり、煮詰まったり、それが原因で俺の嫌味が炸裂したりしながら作業が進んだ。最終的には、様々なアイデアが発展したのだけれども、その扉を開くのが難しかった。

 バンドっていうのは個人が集まっているので、その個人の資質というのがバランスはともかく掛け合わさって、酸化なのか還元なのか知らんが化学変化のような瞬間を経て、作品が仕上がる。もとの素材、つまり個々がどうあるかっていうことが、とても大事だというか、それそのものでしかない。っつうことを忘れて、なんか大きな運動体の一部になってその運動の一部として適当に動くということも、こっそりできたりする。ある程度の活動歴があって、形が見えて来ると尚更だ。その形でいること意外にエネルギーが注がれなくなる。が、それをやられると困る。新しいものはできない。

 俺がアジカンに感動できるのは、自分の作った何かが凄いとか凄くないとかではなくて、他の3人のアイデアが俺を別の場所へ連れていってくれるからだ。それがなくなったらおしまいだ。本当におしまい。だって、バンドなんて、自分だけでは見ることのできない景色だけのためにやってるのだから。あるいは、自分だけでは感じることのないフィーリングとも言い替えられる。

 出来上がったアルバムを聴く人たちが何て言うかは分からない。俺は助平だから気にならないこともないけれども、こればっかりは、誰かの顔色をうかがうような作業じゃない。でもなんか、毎度、誰かに届くような確信を、新しいドアを空けたときに感じるんだよね。この見たこともない景色は、きっとどこかの誰かも、一緒になって感動してくれるんじゃないかって。

 ちょっとまたアジカンで頑張ってみます。9月11日。

ゴッチの日記 転載

2014-10-09 19:53:00 | 詩備忘録

TOBIU CAMPとアイヌと韓国
(2014/09/13 23:19)

「アイヌ民族なんていない」なんていう阿呆な市議会議員に、心の中で中指を立てながら北海道へ。アイヌの聖地のひとつと言われている白老町で行われるTOBIU CAMPに参加。



 舞踏や音楽、造形などのアート、食事、どれも興味深かったけれども、今年はアイヌの伝統楽器の奏者であるOKIさんとのトークセッションが一番印象的だった。美術の勉強をしていたOKIさんが、自分のルーツがアイヌであることを知ったときの想いや、それが面倒になってアメリカへ逃げたという話、アメリカ時代の逸話、帰国してトンコリに出会う際の笑えるエピソードなど、短かかったけれどとても濃い内容だった。民族的なアイデンティティが揺さぶられた当時のOKIさんの気持ちを想像することは、俺にはとても難しい。日本の古い街並や仏像などの美術を見て回っていたというOKIさんは、感じ方がガラっと変わってしまったのだと言う。

 そういう意味では、両親の国籍が違う人なんかもそうかもしれない。中学からの友人にもいる。どんな気持ちなんだろう?って考えたことがなかったわけではないけれど、俺にはよく分からなくて、分からないからもどかしいというか、なんとも言えない気持ちを心の中で転がしておくしかなかった。近寄ることも遠ざかることもできなかったなぁ。

 今はなんというか、そういうこともひっくるめて、なんでもないさ、って伝えたい気分でもある。まあ、俺にとっては、君がどこからやってきたのかってことが、あまり重要じゃないっていうか、要素のひとつであるだけで、全体的には大した問題じゃないんだよってことなんだけれども、そう言葉で伝えるのは難しいね。軽々しくもなってしまう。友達っつうのは、友達であることをいちいち語らなくたってそのままで友達だから。俺だって、自分がどこからやってきたのか、よくわからない。

 でも、どこかの誰かが、そういった民族的な、国籍といったアイデンティティに固執して他の誰かを差別するのは許せないな。友達だったら尚更だ。社会がそういう行為を担保するだなんて、もっての他だよね。

 俺は特に2回目のTOBIUの時には、MCで言葉が上手に紡げなかったな。昔の「日本人」がアイヌの人たちにしてきたことを様々な本で読んで、メンタルに一撃を喰らって、どういう顔してアイヌの聖地で歌をうたったらいいのか分からなくなってしまったんだよね。今年は、それから2年ぶりということもあって、もう少しフラットな気持ちでのぞめた。その心境の変化ってのも、上手く説明できないんだけれども。

 そう言えば、韓国にはじめて行ったときにも緊張した。大きなフェスのメインステージだったから、石とかペットボトルが飛んでくるかもしれないだなんて少し考えてた。でも、5000人くらいの観客が一斉にリライトを歌い出したんだよね。サークルモッシュみたいなものも起こって、すごく歓迎されて、嬉しかった。音楽ってすごいなぁと思った。韓国まで連れて来てくれて、こんな光景まで見せてくれた。ありがとう、って想いだけだった。

 言葉にするのは難しいけれども、そういう光景と、そこで感じたフィーリングが俺にとってはすべてかもしれない。ああ、これなんだなぁ、って感じたんだけれども、これをみんなに言葉で伝えると「あそこで感じたアレ」みたいになってしまうから、笑、それはまあ、いろいろな場所で身を持って鳴らし続けるよ。ちなみに韓国での体験が元で作った曲が「転がる岩、君に朝が降る」。僕は残酷さも希望も喪失も、全部抱えて世界を転がっていくよ、って曲。そういうフィーリングは、いろいろな曲に込めているから。

 なんかナイーブな日記だなぁ。でも、TOBIUに参加すると、こうやって俺はいろいろなことを考えるんだ。



 とかなんとか言いながら、北海道の美味しいお酒を飲んで就寝。いやぁ、大きいなぁ、大地っていうのは。海もそうだけれども。パワーが凄い。人間はちっぽけなことばっかりして、しょーもないことばっかりやらかして、どこへ行くんだろう。でも、こうして人間が作ったもんも死ぬほど美味いんだよなぁ。どうにかして、上手にやって行く方法はないかしら。

 9月13日。



本日は

2014-10-08 19:53:52 | 趣味
皆既月食。

スマホで撮ると普通の月に見えてしまう謎。

久しぶりに、夜空を見上げた気がします。

引っ越してからは、夜景を見下ろしてばかりだったから。

ゴッチの日記 転載

2014-10-06 21:57:01 | 詩備忘録


 勉強することが面白いと思うようになったのは、カリキュラムみたいなものが全部終わって、自発的に学びたいものができてからだった。例えば音楽がそうだし、ここ最近の興味である武道とか身体の話もそうだ。で、勉強していてもっとも分かることは、お金を払った分だけ飯が食えるみたいな、そういう入力と出力の関係性が分かりやすく発揮されることがない、ということだ。3時間勉強したら3時間分賢くなれば楽かもしれないけれど、そういう分けにはいかない。集中力には濃淡があるし、理解のスピードはひとつのブレイクスルーで飛躍的にアップすることもある。牛歩みたいな時間もある。また、そういったブレイクスルーが、実は学べてないだとか、間違っていただとか、そういう逆向きの自分の現状把握だったりすることもある。とても複雑な回路なんだね。回路、っつう言葉も相応しくない。

 でもまあ、とにかく楽器は練習しないと上手にならないように、入力し続ける必要だけが、ある。お金を払って等価交換するようにはいかないからといって、お金にあたる入力、その勉学に費やす時間だとか労力を惜しむようになると、増々ダメになる。それだけは確実だ。

 9月16日。