Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

ゴッチの日記 転載

2014-10-06 21:53:38 | 詩備忘録


 この歩道橋を何回渡っただろうか。自分の人生でもっとも渡った回数の多い歩道橋トップ5に入るだろう。ギターを背負って、通りの反対側からタクシーを拾って帰る。



 生まれてはじめて東京の街に来たのは小学校6年生のときで、行きだったか帰りだったか移動中だったかは忘れたけれど、首都高からの街並を眺めながら、とても淋しい気持ちになった。なんというか、何とも言えない果てしなさを感じたのだった。それは世界が広いっていうことど同義なのかどうかは分からない。とにかくその果てしなさにショックを受けた。夕方が切ないことと、理由が近いかもしれない。でも、似てるだけで、違う性質のものかもしれない。でもとにかく、とても寂しい気分になった。

 今でも、東京にはそういう気分にさせられる。疎遠になってしまった友人とかを、この街で偶然に発見することはできるだろうか。それは途方もない偶然が重ならないと叶わないことかもしれないけれど、まったくないとは言い切れない。そんな気持ちを持たせてくれるのも東京だけれども、一方で、やっぱりいつだって俺はこの街にいると、小学校の時にひろった淋しさがどこからともなく現れて、煙草をすすめてくるような感じだ。煙草はもうやめたから、深く息を吸って吐く。息を吸って吐く。息を吸って吐く。

 俺はこの街が好きで、でも、嫉妬もしていて、嫌悪もしてる。へそ曲がりだから、「東京」なんてタイトルの曲は書かないと思う。もうすでに、いろいろな人の名曲がたくさんあるからね。9月22日。

ゴッチの日記 転載

2014-10-06 21:51:36 | 詩備忘録


『ハリガネムシ』以来、吉村萬壱さんの『ボラート病』を読んだ。



 読後感は正直言って、悪い。それは作品が優れていないからではなくて、優れているからだろう。俺たちがやっているムチャクチャを、なんかよく分からない善意の顔をしている暴力を、愛なのか狂気なのかわからない欲望を、ここに書き連ねることができない人間の人間ならではの愚かさを、書こうとして、それに失敗している。と、思う。で、これは、作家の能力が低いっていうことではない。その逆。つまり、Disではない。なんでかっていうと、そんなものを書ききることは到底できないからだ。書ききれないってことが、書かれている、ということ。誠実だと思った。

『ハリガネムシ』を読んだ後も、なんともいえない気持ちになった。落ちて行くことについて考えるとき、俺はいまだに『ハリガネムシ』を思い出す。再読してみようかな。

 9月24日。


ゴッチの日記 転載

2014-10-06 21:48:22 | 詩備忘録
NO NUKES 2014を終えて
(2014/09/30 23:28)

『NO NUKES 2014』に出演。坂本龍一さん、難波さんと相次ぐ体調不良による出演キャンセルがあり、この日はアジカンのワンマン公演に。



 前半はシェフクックスミーのシモリョーのサポートを受けての5人編成。後半は4人での演奏でした。2マンライブを三日間という趣旨に沿って坂本さんや難波さんの不在を埋めるべく、ちょっと変則的ですけれども、アジカンとアジカンが対バンするようなイメージでセットリストを考えました。

『NO NUKES』では、ミュージシャンたちが声をあげるまでもない状況になることを願って、「このようなイベントはなくなったほうが良い」と出演者たちは言い続けていますが、残念ながら、現在も開催する意義や意味は存続しています。いつ実現するべきかという考え方にバラつきがあるにせよ、「原発はいらないよね」という意見が世論の大半を締めていることは確かですけれど、その「なんとなさ」というか、人々の想いの集積は「意思」というよりは弱く、まだ「空気」でしかないように感じます。当事者であることが、この問題に関わらず、徹底的に避けられていて、誰かがやってくれる、或いは、何かをしたところでどうせ変わらない、という言葉を抱えている人が多いのだろうと感じます。無関心の殻の中に居て、そういう自分の態度に気付いてすらいない人もいるだろうとも思います。そこに杭を打ち込むようにして、忘却に抗う、無関心に立ち向かう、そういうイベントでもあると俺は考えています。

 この国では、ミュージシャンも一般市民も(自分も例外ではありません)、残念ながら社会活動への参加が上手とは言えません。慣れているとは言えない。はっきり言えば、絶望的に下手です。先進国の中でもっとも下手なんじゃないでしょうか。あれほどの災害と原発事故の後、これからの社会の舵を握る政治家たちを選ぶ機会である選挙なのにも関わらず、半数近いひとが投票を棄権するような国です。この国の民主主義が成熟してるわけがないことは、この結果をみるだけで明らかです。そもそも参加しないのですから。

 これからは「参加する」という当たり前のことをやっていかなければいけないんだと思います。町内会のような小さなコミュニティだって例外ではありません。そういう身近な場所から、面倒でも合意形成を行ってゆく。なるべく多くの人が参加して、ベターな方法を考えてゆく。実践してゆく。カスタマイズしてゆく。そういうことが必要なんです。刻一刻と状況は変わって行きますから、その度に、何が現状にとって最良の落としどころなのかを話し合って決めてゆくこと、それをやり続けるしかないんです。それが民主主義だと俺は思います。でも、僕たちはそれが下手なんです。

 社会や政治は、参加しない限り、僕たちの望むようには変わりません。選挙での投票だって、それさえしておけば後は政治家や行政に任せて何もしなくていいというような免罪符ではないんです、本来は。でも、その投票すら放棄されているわけです。時には為政者に対して声をあげたり、行政と連携したり、政治家と話し合う機会を持ったり、とにかくありとあらゆる方法でもってキープしていくのが民主主義ではないでしょうか。またいつか、僕らの手から失われるとも限りません。そういう危ういものです。

 と言いつつ、俺も無関心な市民のひとりでした。チャリティーとか、なんか胡散臭い感じがして大っ嫌いだったし、国政選挙には行っても、自分の住んでいる町の政治には無関心だったり、そういう学生時代を送ってきて、社会的なことを考えはじめたのはミュージシャンとして食えるようになってからです。公の場で政治的な発言をすることに臆病な時期もあったし、寄せられる反響が面倒だと思っている時期もありました。でも、東日本大震災と原発事故を経て、全面的に反省しました。後悔もしました。もっとできたことがあったんではないか、そういう自問が今でも消えません。それで何かが変わったかどうかについてではなく、何もしなかったことを恥ずかしいと思うからです。

 でも、今でも、「社会や政治に参加することってどういうことだろう?」って考え続けています。そのバランスについても。本当に、何もやらずにここまで来たから、試行錯誤で、自分なりの参加の仕方を探しています。『THE FUTURE TIMES』という新聞作りもそうだし、ひとりの市民としてデモの現場に参加して感じることもありましたし、この日記を書くこともそうだし、SNSで友人とシェアしあうニュースだってそうです。どれも、ひとつの政治への関わり方なんじゃないかと考えています。実際に上手くいっているのかは分からないけれど、俺はもっと参加したいと思うんです。で、できるならば、より良い状態になって欲しいと思います。それがどういう状態なのかも考えたい。話し合いたい。

 長くなりました。

 俺は原発がYESかNOかなんて、もう一度ここに書く理由も必要もないと思っています。もっと先に行かないと。俺も含めて、自分の中にある無関心や冷笑を叩き潰していかなきゃ。 そうしないと、この国はメチャクチャになってしまう。長い間続いた保守的な政治が終わって、革新的な政権が市民の権利を制約しようとしています。でも、これはピンチでもあるけれど、チャンスでもあると思います。何年かかるか分からないけれど、本当の民主主義を僕らが手にする機会なんだと思います。だって怒る理由も立ち上がる理由も十分にあるのだから。僕らの未来のためには、軍隊を持って他国との軋轢を増やすことではなくて、市民がちゃんと政治に参加することが、もっとも必要なことです。これだけは間違いありません。

 また来年。『NO NUKES 2015』に参加して下さい。俺たちも、こういう場がもっと開かれた場になるようにカスタマイズしていきます。市民が声をあげたり、話し合ったりする場所が変に強ばったりしないような、そういうあたりまえの社会が実現されるように。

9月30日。

10月1日。

2014-10-01 20:44:46 | 日記
キンモクセイの、甘くてせつない香り。



10月1日。
一年前の今日、
がらんどうのセンターで、
上司と、先輩と、私。
3人で、
よろしくお願いします、
をしました。

私は上履きを忘れて、靴下でした。笑

それまでは顔見知り程度だった先輩と、
車で買い出しに出ました。
まずはトイレを使えるように、
トイレットペーパーと掃除用具を。
朝が早くてまだお店が開いていなくて、
ただただ、周辺把握の名目のドライブになってしまって。
その間に、お互い少し緊張しながら、話をしました。

それまで他人だった私たち3人は、
ハードなオープニング業務に追われながら、
瞬く間に、同士になっていきました。

現地採用のスタッフにも恵まれました。

私のためにと、余ったお昼ご飯を
休憩室に置いておいてくれた厨房さん。
お客様の無茶とも思える要望にも、
融通を利かせてくれて。
いつも美味しいご飯とおやつを、
妥協なしで提供してくれた。

残業中、集中力が切れそうになったとき、
雑談がてら色々なことを教えてくれた上司。
私が苛々したり怒っていたときには、
冗談で笑わせて丸め込んでくれたり。
価値観の違うスタッフに対する私の思いを察して、
ガス抜きをしてくれたり。

公私ともに私の心配を常にしてくれた先輩。
先輩からのLINEで毎日がんばろうと思えた。

私の苦手なレク分野を、
一手に引き受けてくれたデイスタッフ。
体調が悪くても、
人手がないからと出勤してくれた。
そんな中での日々の入浴誘導と介助は、
それまでで一番の阿吽の呼吸だった。

出口の見えないトンネルも、
仲間がいれば前に進める。

陳腐などこかの歌詞のようだけれど、
陳腐なことこそ、
体感するのは意外とギリギリ限界までいかないとできなかったりするのだと、
今だから思います。

あのセンターが始まってから、
まだ1年。

1年も経つ前に、
私たちは、それぞれの事情で、
その職場を離れ、
バラバラになりました。

それでも、今でも。
時折連絡を取り合ったり、
ご飯を食べたり、
飲み会に呼んでもらったり。

ともに過ごす時間の長さなど、
親密になるのには関係ないのだと、
体感した日々でした。

あんなに自分がピタリとはまった上司や先輩、同僚との関係は、
もうないだろうなと、
懐かしく思います。

また会えるから、寂しくはないけれど。

あの頃のことは、
いつまでも私の中でキラキラと輝いています。



もちろん、そう思えるのは、今。
公私ともに、余裕があって、
幸せな証拠なのだと。
それも、忘れちゃいけない一番のこと。

いくら仕事が充実していても、
プライベートがぐちゃぐちゃな時は、
周りから顔が死んでるよと言われてました。
彼あっての、私。
今の環境をくれた彼には、
もちろん感謝しています。

忘れがちだけれど、
普通に違和感なく一緒にいられること、
それがいちばん幸せなこと。

変化に富んだ人生を、
とても、楽しく生きています。