お馴染みの矢部顕さんからホットなメール「河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと」が届きました。それに対して、私が返したメールがこれです。
●矢部顕様
メールありがとうございました。
河合雅雄さんが亡くなられてすぐに矢部さんからのメール、良いものを読ませていただきました。文中に私の蔵書もいっぱい「登場」して、懐かしかったです。是非このままブログに掲載させてください。タイムリーなので読んでくれる人も多いと思います。
添付の幸島の猿の話は、どこかで読んだ記憶があります。絵本だったか、パンフレットだったか、たぶん我が家のどこかにそれが眠っていると思います。教室でクラスの子どもたちにも話したことがあります。家庭科専科の時にも活用させてもらいました。
あわせてこちらも掲載の許可をお願いします。
矢部さんのメールと添付されていたエッセイをどうぞお読みください。
●福田三津夫様
《河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと》
生涯にわたってサルの研究、モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任した河合雅雄氏の訃報(2021年5月14日)に接して思い出したことが二つある。
ひとつは、ラボ25周年記念教育シンポジウム「こども ことば 物語」のことである。
講演者として、河合雅雄氏(サル学)、鶴見俊輔氏(哲学)、本田和子氏(こども学)の講演が午前にあり、午後は村田栄一(元小学校教師・教育評論家)をコーディネーターとして3人の方のシンポジウムが、1991年11月4日に大阪府守口市の守口文化センターで開催された。
「こども ことば 物語」-三つのレクチャーとして、「自然に共感する力」(河合雅雄)、「日常から物語を紡ぐ」(本田和子)、「野生の言語」(鶴見俊輔)。「ことばの野性をもとめて」-ディスカッションが4者で行われた。
『こどもと自然』(河合雅雄著、岩波新書)は当時のベストセラーだった。『異文化としての子ども』(お茶の水女子大学教授・本田和子著、紀伊国屋書店)もたいへんな評判で、私はこの本を契機に本田和子氏のいくつかの著作に刺激を受けた。『ひとが生まれる』(鶴見俊輔著、ちくま少年図書館)は1980年からラボ国際交流参加者の課題図書で、2021年の現在も読み継がれている。
『学級通信・ガリバー』『教室のドン・キホーテ―ぼくの戦後教育誌』(筑摩書房)などで知られた村田栄一氏は、のちにラボ教育活動についての著書『ことばが子どもの未来をひらく』(筑摩書房、1997年10月)を上梓した。
このシンポジウムの記録が『ことばの野性をもとめて―こども ことば 物語』(筑摩書房、1992年6月発行)として刊行された。
――この本は、ラボ25周年記念行事の一環として行われた記録ではありますが、より大局的に「こども ことば 物語」へのアプローチを試みたという点で、一般的な関心に応えるものになったのではないかと思います。――(あとがきより)
二つ目に思い出したことですが、河合雅雄氏は宮崎県串間市の幸島の二ホンザルの文化的行動(ニホンザルがイモを食べる時に海水で洗ってきれいにするとともに塩味をつけることを学び、その学習成果がほかのサルにも伝わっていくことを発見し、サルの文化的行動として国際的に大きな注目を集めた)を発見したことでも有名で、日本のサル学は世界的に優れた成果をあげていることでの評価があるのですが、その研究のお手伝いをした三戸サツエさんという地元のおばあちゃんのことです。
島の対岸で民宿を経営されながら、何十年も幸島のサルの観察をつづけて研究の基礎的なデータづくりに貢献されたのです。
じつは、このおばあちゃんを訪ねて行って、民宿に泊めてもらって、わたくしは3回も幸島を案内してもらったことがあるのです。3回目は串間市のラボ小山宏子パーティのラボっ子たちと一緒にお話を聞いたのでした。その様子はラボ会員機関誌「ことばの宇宙」にも掲載されました。
三戸サツエさんにふれた文章「息子への手紙」を添付します。お読みいただければ幸いです。 矢部 顕
●息子への手紙
矢部 顕
先日の休日は博多に来ていたとのこと。会えずに残念。出張のことを言ってなかったっけ。南九州出張の機会に1日休みをとって人に会いに行きました。
串間という地名は知っていますか。宮崎からまだ南に2時間ほどの南の果て。幸島のサルで有名(?)。小さな無人島に約100匹のサルが暮らしている。京都大学霊長類研究所があり、サル学で世界的に有名になったところ。
そのサルの研究をお手伝いし、故今西錦司博士をはじめ門下生(といっても今は名誉教授)の河合雅雄、伊谷純一郎などのお世話をし、観察を50年以上続けて協力してきて、環境庁賞など数々の賞を受賞した三戸サツエさんという、今88歳のすこぶる元気なおばあさんと会うことができた。 『幸島のサル』という、ご自身の書かれた本にサインまでしていただいたのです。この本は子どもむけに書かれたものですが、たいへんに感動的な本で、ぜひ貴兄にも読んでほしいものです。
このあたりの風景は、海岸線のすばらしさ、海の美しさは日本一。すこし南、半島の先端の都井岬は野生馬が何十頭と暮らしていて、自然と動物と人間が兄弟のように生活している田舎も田舎。例のジャック・マイヨール(たしか、むかし貴兄は彼の本を読んでいましたね。わたしは「ガイア・シンフォニー」で知りました)はこの海が気にいり、三戸のおばあちゃんを訪ねて3回も来ているとのこと。
もともと三戸さんに会う予定はなく、わたしたち家族がむかし住んでいた奈良の紫陽花邑に縁のある人で菊地洋一さんという方にお会いするのが目的だったのです。最近、送られてくる邑の機関紙の表紙に彼の写真がよく掲載されていました。
この方は、長年、ゼネラル・エレクトリック(GE)社の設計図を日立や東芝に指導する立場の、原子力発電所の高級設計技術者だったのですが、技術者ゆえに原発の危険性を知り尽くしてしまったのです。このままでは大変なことになることを考えると、原発をつくる自分の罪深さを知り、内部努力の末に限界を感じ、会社を辞める決意をしたのです。そして、50ccバイクで野宿をしながら日本一周の旅にでて、全国各地の原発を調査しながら放浪すること1年以上。最後にこの串間に落ち着いたとのことです。
ここ串間に九州電力が原発をつくろうと計画したのですが、三戸のおばあさんたちの反対で頓挫した。その反対派の人々に、元原発技術者の菊池さんが協力し理論的に支えていったという話でありまして、なかなか運命的であります。
いまは写真家という肩書きもあって、彼の撮影した作品を見せてもらいましたが、動物と自然の写真の美しさには驚きました。いわゆる芸術的な特別なものでなく、日常的な路傍の草花が、虫が、命の輝きを発揮している見事なもので、その対象に深い愛情がなければ決して撮影できるものではない印象をうけました。
日南海岸といえば青島や鵜戸神宮で有名ですが、そこから先には観光客はほとんど行かないとのこと。人っ子ひとりいない美しい海岸線が続き、フェニックスや椰子が植えられ、赤や黄色のカンナ、真紅のブーゲンビリアが咲き乱れ、バナナの大きな葉っぱがゆれている南国情緒豊かな風景がひろがります。
たしかに山幸彦が失くした釣り針を捜しに訪れた「わだつみのいろこの宮」は、このむこうにある気分になります。久留米の石橋美術館にある青木繁の絵「わだつみのいろこの宮」をつい先日みたばかりなので、そのイメージがあるからでしょうか。ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とワタツミノカミの娘トヨタマヒメが結婚し、子どものウガヤフキアエズノミコト(カムヤマトイワレヒコノミコト<神武天皇>の父)を出産したのが鵜戸神宮ですからそんなに的はずれではないでしょう。
鶴見先生の本に『神話的時間』というタイトルの本がありますが、ここは「神話的風景」とでもいいましょうか。
そうです。貴兄が子どものころに話したことがある記憶があります。幸島のサルはイモを海水で洗うと泥がおちて、なおかつ塩味がついておいしく食べることができることを発見したのです。その発見は子ザルが発見したのです。おとなのサルは海は危険であるということを知っているのか慣習からか海には近づかない。そのおとなの文化から逸脱する子どもは、おとなが発見できないことを発見するのです。そして、あたらしい文化をつくっていくのです。土の混じった豆も、海水に浮かべると土が沈み豆が浮いて選別できることを発見するのです。この文化は若いサルから順にひろまっていくのです。
このようなサルの行動を長年にわたって観察しつづけてきたのが三戸サツエというおばあちゃんなのです。真っ白な髪にピンクのTシャツがよく似合っていて、とても田舎のおばあちゃんとは思えません。アメリカあたりにはこんな雰囲気のおばあちゃんがいますが、海洋性の風土だからでしょうか。あるいは、夫を亡くしながらも3人の子どもを育てながら、戦前,戦中と朝鮮、中国大連で教員をされていて、大陸性の気風を身につけていらっしゃるからでしょうか。彼女の人生は波乱万丈にとんでいて小説よりもドラマティックです。
動物愛護だ、自然環境を守れ、などと叫ばれるはるかに前から、人間が食べるものも無い戦後の貧しい時代からサルを守ってきたのですから、その信念には驚かされます。
そういえば話はかわりますが、その少し前、夏のキャンプのシニアメイトを目指す高校生たち100人ぐらいの合宿があり、『センス・オブ・ワンダー』について講話をしました。
ご存知のように、この本はアッという間に読んでしまえるほどの量ですが、そこにちりばめられている言葉は珠玉のようにすばらしい。農薬や化学物質の汚染で地球の生態系のバランスが崩れ、このままでは動物や植物だけでなく人間も大変なことになることを警鐘した『沈黙の春』(1962年に発行されるやいなや世界的なベストセラーになった)を書いた海洋生物学者レイチェル・カーソンの本です。良い本なので全員に購入して持ってもらいました。
この本の舞台メイン州で日本のグループが映画をつくり、この夏から全国で自主上映会がもたれます。かあさんの「二名おはなし会」でも、やるとかやらないとか言っていましたね。このあいだNHKテレビの「夢伝説」でレイチェル・カーソンの特集をやっていましたが観ましたか? いまあらためて見直されているようです。
ラボでは物語をテーマ活動にしますが、物語は自然や動物と人間が兄弟であった時代の記憶でできていること。テーマ活動では大道具小道具を使うことなく、動物や木や川に子ども自身がなってしまうことを身体表現と言っていますが、真似をするのでなく、そのものになってしまうことで兄弟であった時代の記憶を感性で呼び戻すのだ。高校生になると、幼い時代の感性を失いつつあるので、幼い子から学ばねばならない。幼い子の自然を見たときの驚きや感動に共に感じ喜べることがシニアメイトの役割なのだ。
人類の歴史のなかでこんなに人工的ななかで暮らしているのはわずかこの50年ぐらい。科学技術が人間に幸福をもたらすと信じてこんな50年になってしまったが、じつはそれは間違いであったことに少し気付いてきたこと。科学技術が否定してきたもの、たとえば妖精やトロル、天狗やカッパなどがいることのほうが幸せだったのだ。
などなど、わりと難しい話だったのですが、とってもよく聴いてくれて、最後すごい拍手があって驚きました。「おもしろかった」と何人もの子が言ってくれて嬉しくなりました。
ある子の感想文を転記します。
お話を聞いていて、泣きそうになった。私が豊かと感じてきたことが薄く冷たいものに変わっていく気がした。「何の為だろう」、生活が便利になる=豊かになる=幸せ、と頭のなかで成立させた単純計算がすごくみじめだった。形やお金に出来ないものまで人為化してほこらしげな社会が汚く見えた。自然はすごい。人間の裏切りを見ても、決して与えることをやめない。逆に人間はみにくい。自然を越えてしまったのなら自らも滅んでゆくことを知っているのだろうか。でも、こんなことを理解したとしても自分も加害者のひとりであることには変わりない。それこそとても悲しいことだなあと思った。「人間は進化しているようで退化している」その言葉を忘れないでいようと思った。知識をつめこむことで忘れていくSENSE OF WONDERを持ちつづけられたら、きっと、それは何よりも尊くて、つまり、美しいものは美しいと、不思議なものには不思議と、そういうまっすぐな感情を素直に発信できるような人間になりたい。ほんとうにすごい。すごくてたまらない位、自然は大きかった。トロルはいるんだ。ピーターパンだって、ティンクも。きっとそうなんだと思う。矢部さん、ありがとう。 (小野智子/高2/熊本)
こんな文章を読むと、若いひとたちに希望がもてる気になります。三戸さんや菊地さんは特殊な生き方をしているのでもなく、変人でもない。生命の大切さを真剣に考えてきた人だといえるでしょう。「○○の変人は○○の常識人」というのがはやっていますが、これまでの社会システムではもう地球に暮らしていくことは難しいことを学ぶ賢さと、いままでとはちがう智慧が必要でしょう。
貴兄も真剣に考えていることを知っています。また会って話しましょう。
小生、休日出勤が続いているのですが、次の休みはホームゲームですね。観戦に行くつもりです。
身体に気をつけて元気でやってください。
(2001.6.27.)
後日談―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1)2001年ゆつぼサマーキャンプでの写真展示
菊地洋一氏の写真は、野辺の花と虫の命の輝きに満ち満ちたすばらしい作品で、全国各地で写真展をされていて、多くの人々に感銘をあたえました。
ぜひラボっ子に見せたいという思いがつのり、お借りすることはできないものかと懇願したところ、快諾いただいたものです。キャンプ本部2階のホールの両面の壁に、1班2班をとおして30枚ほど展示いたしましたので、参加されたテューター、ラボっ子はご覧いただいたことと思います。
2)「ことばの宇宙」(2002.2.発行)特集・幸島のサルと三戸サツエさん
宮崎県串間市の幸島については、九州のラボっ子だけでなく全国の子どもたちに知って欲しく、串間市の小山パーティのラボっ子が三戸先生を訪問し、お話をお聞きしたものを記事にしたものです。
テューターのみなさんには、河合雅雄さん(京都大学名誉教授)は『こどもと自然』(岩波新書)などの著作をとおしておなじみでしょう。ラボ25周年記念教育シンポジウムの講師・パネリストでもありました。(そのときの記録が『ことばの野生をもとめて』{筑摩書房刊}という本になっています)。河合さんが学生のころから共に観察研究をされていたのが三戸サツエさんです。京都大学霊長類研究所のサル学が世界的にトップレベルになったのも、三戸さんの日常的かつ基礎的なデータなしでは考えられないほどです。
三戸さんの『幸島のサル』(ポプラ社・鉱脈社)(サンケイ児童出版文化賞受賞)、『わたしの孫は100匹のサル』(学研)、『ボスザルへの道』(ポプラ社)は子ども向けに書かれた本でお勧めです。他にも自伝的な著作『柔しく鋼く』(本多企画)、『夫からの贈りもの』(鉱脈社)があります。
(2002.3.)
●矢部顕様
メールありがとうございました。
河合雅雄さんが亡くなられてすぐに矢部さんからのメール、良いものを読ませていただきました。文中に私の蔵書もいっぱい「登場」して、懐かしかったです。是非このままブログに掲載させてください。タイムリーなので読んでくれる人も多いと思います。
添付の幸島の猿の話は、どこかで読んだ記憶があります。絵本だったか、パンフレットだったか、たぶん我が家のどこかにそれが眠っていると思います。教室でクラスの子どもたちにも話したことがあります。家庭科専科の時にも活用させてもらいました。
あわせてこちらも掲載の許可をお願いします。
矢部さんのメールと添付されていたエッセイをどうぞお読みください。
●福田三津夫様
《河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと》
生涯にわたってサルの研究、モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任した河合雅雄氏の訃報(2021年5月14日)に接して思い出したことが二つある。
ひとつは、ラボ25周年記念教育シンポジウム「こども ことば 物語」のことである。
講演者として、河合雅雄氏(サル学)、鶴見俊輔氏(哲学)、本田和子氏(こども学)の講演が午前にあり、午後は村田栄一(元小学校教師・教育評論家)をコーディネーターとして3人の方のシンポジウムが、1991年11月4日に大阪府守口市の守口文化センターで開催された。
「こども ことば 物語」-三つのレクチャーとして、「自然に共感する力」(河合雅雄)、「日常から物語を紡ぐ」(本田和子)、「野生の言語」(鶴見俊輔)。「ことばの野性をもとめて」-ディスカッションが4者で行われた。
『こどもと自然』(河合雅雄著、岩波新書)は当時のベストセラーだった。『異文化としての子ども』(お茶の水女子大学教授・本田和子著、紀伊国屋書店)もたいへんな評判で、私はこの本を契機に本田和子氏のいくつかの著作に刺激を受けた。『ひとが生まれる』(鶴見俊輔著、ちくま少年図書館)は1980年からラボ国際交流参加者の課題図書で、2021年の現在も読み継がれている。
『学級通信・ガリバー』『教室のドン・キホーテ―ぼくの戦後教育誌』(筑摩書房)などで知られた村田栄一氏は、のちにラボ教育活動についての著書『ことばが子どもの未来をひらく』(筑摩書房、1997年10月)を上梓した。
このシンポジウムの記録が『ことばの野性をもとめて―こども ことば 物語』(筑摩書房、1992年6月発行)として刊行された。
――この本は、ラボ25周年記念行事の一環として行われた記録ではありますが、より大局的に「こども ことば 物語」へのアプローチを試みたという点で、一般的な関心に応えるものになったのではないかと思います。――(あとがきより)
二つ目に思い出したことですが、河合雅雄氏は宮崎県串間市の幸島の二ホンザルの文化的行動(ニホンザルがイモを食べる時に海水で洗ってきれいにするとともに塩味をつけることを学び、その学習成果がほかのサルにも伝わっていくことを発見し、サルの文化的行動として国際的に大きな注目を集めた)を発見したことでも有名で、日本のサル学は世界的に優れた成果をあげていることでの評価があるのですが、その研究のお手伝いをした三戸サツエさんという地元のおばあちゃんのことです。
島の対岸で民宿を経営されながら、何十年も幸島のサルの観察をつづけて研究の基礎的なデータづくりに貢献されたのです。
じつは、このおばあちゃんを訪ねて行って、民宿に泊めてもらって、わたくしは3回も幸島を案内してもらったことがあるのです。3回目は串間市のラボ小山宏子パーティのラボっ子たちと一緒にお話を聞いたのでした。その様子はラボ会員機関誌「ことばの宇宙」にも掲載されました。
三戸サツエさんにふれた文章「息子への手紙」を添付します。お読みいただければ幸いです。 矢部 顕
●息子への手紙
矢部 顕
先日の休日は博多に来ていたとのこと。会えずに残念。出張のことを言ってなかったっけ。南九州出張の機会に1日休みをとって人に会いに行きました。
串間という地名は知っていますか。宮崎からまだ南に2時間ほどの南の果て。幸島のサルで有名(?)。小さな無人島に約100匹のサルが暮らしている。京都大学霊長類研究所があり、サル学で世界的に有名になったところ。
そのサルの研究をお手伝いし、故今西錦司博士をはじめ門下生(といっても今は名誉教授)の河合雅雄、伊谷純一郎などのお世話をし、観察を50年以上続けて協力してきて、環境庁賞など数々の賞を受賞した三戸サツエさんという、今88歳のすこぶる元気なおばあさんと会うことができた。 『幸島のサル』という、ご自身の書かれた本にサインまでしていただいたのです。この本は子どもむけに書かれたものですが、たいへんに感動的な本で、ぜひ貴兄にも読んでほしいものです。
このあたりの風景は、海岸線のすばらしさ、海の美しさは日本一。すこし南、半島の先端の都井岬は野生馬が何十頭と暮らしていて、自然と動物と人間が兄弟のように生活している田舎も田舎。例のジャック・マイヨール(たしか、むかし貴兄は彼の本を読んでいましたね。わたしは「ガイア・シンフォニー」で知りました)はこの海が気にいり、三戸のおばあちゃんを訪ねて3回も来ているとのこと。
もともと三戸さんに会う予定はなく、わたしたち家族がむかし住んでいた奈良の紫陽花邑に縁のある人で菊地洋一さんという方にお会いするのが目的だったのです。最近、送られてくる邑の機関紙の表紙に彼の写真がよく掲載されていました。
この方は、長年、ゼネラル・エレクトリック(GE)社の設計図を日立や東芝に指導する立場の、原子力発電所の高級設計技術者だったのですが、技術者ゆえに原発の危険性を知り尽くしてしまったのです。このままでは大変なことになることを考えると、原発をつくる自分の罪深さを知り、内部努力の末に限界を感じ、会社を辞める決意をしたのです。そして、50ccバイクで野宿をしながら日本一周の旅にでて、全国各地の原発を調査しながら放浪すること1年以上。最後にこの串間に落ち着いたとのことです。
ここ串間に九州電力が原発をつくろうと計画したのですが、三戸のおばあさんたちの反対で頓挫した。その反対派の人々に、元原発技術者の菊池さんが協力し理論的に支えていったという話でありまして、なかなか運命的であります。
いまは写真家という肩書きもあって、彼の撮影した作品を見せてもらいましたが、動物と自然の写真の美しさには驚きました。いわゆる芸術的な特別なものでなく、日常的な路傍の草花が、虫が、命の輝きを発揮している見事なもので、その対象に深い愛情がなければ決して撮影できるものではない印象をうけました。
日南海岸といえば青島や鵜戸神宮で有名ですが、そこから先には観光客はほとんど行かないとのこと。人っ子ひとりいない美しい海岸線が続き、フェニックスや椰子が植えられ、赤や黄色のカンナ、真紅のブーゲンビリアが咲き乱れ、バナナの大きな葉っぱがゆれている南国情緒豊かな風景がひろがります。
たしかに山幸彦が失くした釣り針を捜しに訪れた「わだつみのいろこの宮」は、このむこうにある気分になります。久留米の石橋美術館にある青木繁の絵「わだつみのいろこの宮」をつい先日みたばかりなので、そのイメージがあるからでしょうか。ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とワタツミノカミの娘トヨタマヒメが結婚し、子どものウガヤフキアエズノミコト(カムヤマトイワレヒコノミコト<神武天皇>の父)を出産したのが鵜戸神宮ですからそんなに的はずれではないでしょう。
鶴見先生の本に『神話的時間』というタイトルの本がありますが、ここは「神話的風景」とでもいいましょうか。
そうです。貴兄が子どものころに話したことがある記憶があります。幸島のサルはイモを海水で洗うと泥がおちて、なおかつ塩味がついておいしく食べることができることを発見したのです。その発見は子ザルが発見したのです。おとなのサルは海は危険であるということを知っているのか慣習からか海には近づかない。そのおとなの文化から逸脱する子どもは、おとなが発見できないことを発見するのです。そして、あたらしい文化をつくっていくのです。土の混じった豆も、海水に浮かべると土が沈み豆が浮いて選別できることを発見するのです。この文化は若いサルから順にひろまっていくのです。
このようなサルの行動を長年にわたって観察しつづけてきたのが三戸サツエというおばあちゃんなのです。真っ白な髪にピンクのTシャツがよく似合っていて、とても田舎のおばあちゃんとは思えません。アメリカあたりにはこんな雰囲気のおばあちゃんがいますが、海洋性の風土だからでしょうか。あるいは、夫を亡くしながらも3人の子どもを育てながら、戦前,戦中と朝鮮、中国大連で教員をされていて、大陸性の気風を身につけていらっしゃるからでしょうか。彼女の人生は波乱万丈にとんでいて小説よりもドラマティックです。
動物愛護だ、自然環境を守れ、などと叫ばれるはるかに前から、人間が食べるものも無い戦後の貧しい時代からサルを守ってきたのですから、その信念には驚かされます。
そういえば話はかわりますが、その少し前、夏のキャンプのシニアメイトを目指す高校生たち100人ぐらいの合宿があり、『センス・オブ・ワンダー』について講話をしました。
ご存知のように、この本はアッという間に読んでしまえるほどの量ですが、そこにちりばめられている言葉は珠玉のようにすばらしい。農薬や化学物質の汚染で地球の生態系のバランスが崩れ、このままでは動物や植物だけでなく人間も大変なことになることを警鐘した『沈黙の春』(1962年に発行されるやいなや世界的なベストセラーになった)を書いた海洋生物学者レイチェル・カーソンの本です。良い本なので全員に購入して持ってもらいました。
この本の舞台メイン州で日本のグループが映画をつくり、この夏から全国で自主上映会がもたれます。かあさんの「二名おはなし会」でも、やるとかやらないとか言っていましたね。このあいだNHKテレビの「夢伝説」でレイチェル・カーソンの特集をやっていましたが観ましたか? いまあらためて見直されているようです。
ラボでは物語をテーマ活動にしますが、物語は自然や動物と人間が兄弟であった時代の記憶でできていること。テーマ活動では大道具小道具を使うことなく、動物や木や川に子ども自身がなってしまうことを身体表現と言っていますが、真似をするのでなく、そのものになってしまうことで兄弟であった時代の記憶を感性で呼び戻すのだ。高校生になると、幼い時代の感性を失いつつあるので、幼い子から学ばねばならない。幼い子の自然を見たときの驚きや感動に共に感じ喜べることがシニアメイトの役割なのだ。
人類の歴史のなかでこんなに人工的ななかで暮らしているのはわずかこの50年ぐらい。科学技術が人間に幸福をもたらすと信じてこんな50年になってしまったが、じつはそれは間違いであったことに少し気付いてきたこと。科学技術が否定してきたもの、たとえば妖精やトロル、天狗やカッパなどがいることのほうが幸せだったのだ。
などなど、わりと難しい話だったのですが、とってもよく聴いてくれて、最後すごい拍手があって驚きました。「おもしろかった」と何人もの子が言ってくれて嬉しくなりました。
ある子の感想文を転記します。
お話を聞いていて、泣きそうになった。私が豊かと感じてきたことが薄く冷たいものに変わっていく気がした。「何の為だろう」、生活が便利になる=豊かになる=幸せ、と頭のなかで成立させた単純計算がすごくみじめだった。形やお金に出来ないものまで人為化してほこらしげな社会が汚く見えた。自然はすごい。人間の裏切りを見ても、決して与えることをやめない。逆に人間はみにくい。自然を越えてしまったのなら自らも滅んでゆくことを知っているのだろうか。でも、こんなことを理解したとしても自分も加害者のひとりであることには変わりない。それこそとても悲しいことだなあと思った。「人間は進化しているようで退化している」その言葉を忘れないでいようと思った。知識をつめこむことで忘れていくSENSE OF WONDERを持ちつづけられたら、きっと、それは何よりも尊くて、つまり、美しいものは美しいと、不思議なものには不思議と、そういうまっすぐな感情を素直に発信できるような人間になりたい。ほんとうにすごい。すごくてたまらない位、自然は大きかった。トロルはいるんだ。ピーターパンだって、ティンクも。きっとそうなんだと思う。矢部さん、ありがとう。 (小野智子/高2/熊本)
こんな文章を読むと、若いひとたちに希望がもてる気になります。三戸さんや菊地さんは特殊な生き方をしているのでもなく、変人でもない。生命の大切さを真剣に考えてきた人だといえるでしょう。「○○の変人は○○の常識人」というのがはやっていますが、これまでの社会システムではもう地球に暮らしていくことは難しいことを学ぶ賢さと、いままでとはちがう智慧が必要でしょう。
貴兄も真剣に考えていることを知っています。また会って話しましょう。
小生、休日出勤が続いているのですが、次の休みはホームゲームですね。観戦に行くつもりです。
身体に気をつけて元気でやってください。
(2001.6.27.)
後日談―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1)2001年ゆつぼサマーキャンプでの写真展示
菊地洋一氏の写真は、野辺の花と虫の命の輝きに満ち満ちたすばらしい作品で、全国各地で写真展をされていて、多くの人々に感銘をあたえました。
ぜひラボっ子に見せたいという思いがつのり、お借りすることはできないものかと懇願したところ、快諾いただいたものです。キャンプ本部2階のホールの両面の壁に、1班2班をとおして30枚ほど展示いたしましたので、参加されたテューター、ラボっ子はご覧いただいたことと思います。
2)「ことばの宇宙」(2002.2.発行)特集・幸島のサルと三戸サツエさん
宮崎県串間市の幸島については、九州のラボっ子だけでなく全国の子どもたちに知って欲しく、串間市の小山パーティのラボっ子が三戸先生を訪問し、お話をお聞きしたものを記事にしたものです。
テューターのみなさんには、河合雅雄さん(京都大学名誉教授)は『こどもと自然』(岩波新書)などの著作をとおしておなじみでしょう。ラボ25周年記念教育シンポジウムの講師・パネリストでもありました。(そのときの記録が『ことばの野生をもとめて』{筑摩書房刊}という本になっています)。河合さんが学生のころから共に観察研究をされていたのが三戸サツエさんです。京都大学霊長類研究所のサル学が世界的にトップレベルになったのも、三戸さんの日常的かつ基礎的なデータなしでは考えられないほどです。
三戸さんの『幸島のサル』(ポプラ社・鉱脈社)(サンケイ児童出版文化賞受賞)、『わたしの孫は100匹のサル』(学研)、『ボスザルへの道』(ポプラ社)は子ども向けに書かれた本でお勧めです。他にも自伝的な著作『柔しく鋼く』(本多企画)、『夫からの贈りもの』(鉱脈社)があります。
(2002.3.)