後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔370〕ラボ・ライブラリー「スサノオ」(谷川雁)をめぐる矢部顕さんとラボ・テューターの含蓄に富む往復書簡です。

2021年06月10日 | メール・便り・ミニコミ
 このブログでは度々ご登場の矢部顕さん(元・ラボ言語教育総合研究所事務局長)が、ラボ・ライブラリー「スサノオ」(谷川雁)をめぐっての興味深い含蓄に富む往復書簡を送ってくれました。対話者は矢部さんとあるラボ・テューターです。
 このブログでは矢部さんと私とのやり取りを含めて、その往復書簡をご紹介します。神話の背景を興味深く深掘りしていてたっぷり読みでがあります。
  全体の編集は矢部さんです。注釈まで書いていただきました。感謝です。
 ご紹介いただいた拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』では「テーマ活動『スサノオ』を創る」として行松泉パーティを取材しました。


■福田三津夫さんは言った
「訪ねたい処が二つある、一つは出雲です」

矢 部  顕

●福田三津夫さんへのメール(2014年12月)
「スサノオ」の物語をめぐって(1)

 北関東の支部発表会で、福田さんが研究対象として訪問しているYパーティの「スサノオ」が圧倒的だったとの感想をお聞きし、私の記憶がよみがえってきて想像がふくらんでいます。わたしが以前にYパーティのちがう物語のテーマ活動の発表を見たのですが、やはり圧倒的でした。

 これからの話はYパーティの「スサノオ」のことではなく、四国のGパーティの話です。
四国支部の国際交流壮行会で「スサノオ」を発表する。ついては、ラボっ子と父母でバス1台チャーターして出雲を訪れ、スサノオのゆかりの地やヤマタノオロチの伝説の場所を訪ねる計画をしたので、ついては矢部さんにガイドをお願いしたい。宿泊施設では、夜、「古事記」についての講話をしてほしい。こんな依頼が飛び込んできて、今年の4月にラボっ子に同行して出雲への旅をしました。
 宿泊施設での夜の講話は、普通の高校生が聴いてもむつかしいと思われる私の話を、小学校高学年以上の子どもたちが聴いてくれて、「面白かった」「もっともっと聴いていたかった」と小5と小4の女の子が言ったのには驚きました。こんなことがあり得るのは、テーマ活動に取り組んでいるがゆえに、関心の深い主題を集中して聴くことのできる力が養われていることにほかならない、というか、知的な大きな受け皿ができていると思いました。あらためて、子どもたちの聴く力を培っている意識の蓄積のすごさに驚きました。
 秋にも、他のパーティから「スサノオ」に取り組むので講話の要請があり、私は以前から「スサノオ」の物語は好きでしたが、今年はこんなことがあって、「スサノオ」との関わりの深い年でした。

いただいたメールによれば、福田さんは「テーマ活動の表現についての文章をまとめようかと思っています」とのこと。いやぁ、楽しみです。期待しています。別の論考として「シアターとドラマ」についても書いてください。期待しています。
(*のちに『地域演劇教育論―ラボ教育センターのテーマ活動』(福田三津夫著、晩成書房、2018年8月)を上梓されました)


●福田三津夫さんへのメール(2015年1月)
「スサノオ」の物語をめぐって(2)

 福田さんは先のメールで「日本で、訪ねたいところが二つある。出雲と仏都会津です」とおっしゃっていましたね。まず、今回は出雲のことを書きます。

先回お知らせした出雲へのラボっ子との旅は、「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」のゆかりの場所を訪ねる旅だったのですが、スサノオにゆかりのある神社だけでもたくさんあって、1泊2日でまわりきれるものではありませんで、他にも行きたい処はたくさんあります。
 「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」以外にも、「オオクニヌシ」の出雲大社をはじめとして、いろいろあります。
考古学的には、358本の銅剣が一度に発見された荒神谷遺跡とか、39個の銅鐸が一度に発見された加茂岩倉遺跡とか、『葬られた出雲王朝』(梅原猛著、新潮社、2010年4月)の痕跡があちこちにあって、驚くばかりです。
 それだけではありません。「ヤスキのハガネ=安来の鋼」で今でも有名ですが、奥出雲のほうでは「たたら」による鉄生産に関する史跡もたくさんあり、かつ「たたら」を復元して古来の方法での鉄づくりを再現しているところもあります。
 古代から明治時代に八幡製鉄ができる前まで、中国山地は鉄生産のきわめて重要な拠点で、それは岡山県側にも広がっていました。岡山県は吉備王国です。大和朝廷確立の前は、出雲と吉備が巨大な勢力をもった王国だったので、大和との勢力争いや後の協力関係など古代史の未解明な事柄が数多くあります。製鉄技術の争奪戦もあっただろうと想像できます。大和の中心の三輪山の神が出雲の神というのも不思議なことです。これらの、考古学的、歴史的遺産が、すべて「スサノオ」「オオクニヌシ」と深い関係にあることが「神の国・出雲」の奥深さです。

岡山県に近い広島県と島根県との県境に位置する「道後山」の中腹で、ラボ・サマーキャンプを10年間くらい実施していました。(現在は、大山に場所を移しています)。まさに奥出雲です。「イザナミを葬った」と古事記に書かれている比婆山は、道後山の隣の山です。
 キャンプの野外活動のコースのひとつである「比婆連山縦走コース」の引率者を、わたくしは何回もやりました。比婆山の山頂にある「イザナミ御陵」もコースに入っていて、そこで子どもたちとともに手を合わせたものです。キャンプの夜は、地元の荒神神楽保存会の人たちによる神楽の鑑賞です。この神楽のクライマックスは、もちろんスサノオのヤマタノオロチ退治の場面です。
 今から考えると、ラボ・ライブラリー『国生み』の出雲神話の舞台の場所がキャンプ地であり、ヤマタノオロチが住んでいたという船通山を目の前に眺め、イザナミ御陵のある比婆山に登山し、神楽を鑑賞し、グループ活動で『国生み』のテーマ活動にキャンプ参加の子どもたちが取り組む、という信じがたいほどロケーションに恵まれたキャンプだったのです。
 このキャンプを計画実施するのはラボ関西事務局でありまして、そのころわたしは関西総局で仕事をしていましたので、毎年、夏のキャンプ、冬のキャンプと、それはもう、何回もキャンプをやったものでした。
 このように書いてくると、記憶がよみがえってきて、どんどん長い文章になってしまいますので、このへんで止めときます。
 
ともかく出雲は奥が深い、いまだに神々の末裔が住んでいる雰囲気のところなのです。
ラフカディオ・ハーンが松江中学の英語教師で赴任した頃は、もっともっと神々の国という雰囲気が感じられたことでしょう。だから日本人になりたかった。だから小泉八雲と改名した。東京の中学の教師であったら、そうはならなかったでしょう。
 ということで、ながながと書きましたが、出雲はお薦めの地です。


そして6年が過ぎて、またしても「スサノオ」です。
●ラボ・テューターKNさんと矢部の往復メール(2021年5月)
「スサノオ」の物語をめぐって(3)

ラボ・テューターと矢部の往復メール
「スサノオ」の物語へのテーマ活動の取り組み

2021年5月5日
① いま「スサノオ」に取り組んでいます

矢部 顕 様
 
GW最終日、如何お過ごしでしょうか?
こちらは、支部テーマ活動大会も、パーティ活動も、感染増加にヒヤヒヤしながらの日々でした。

さて、面白い話題と記事、含蓄の深い文章を送って下さり、ありがとうございました。
マーク・トゥエインが、二尋という意味であり、水先案内人に憧れて、その仕事をしていたことは、以前、取り組んだ時にどこかで調べた記憶がありましたが(もしかして、矢部さんに教えていただいたのかも!)
ミシシッピ川が牡蠣の産地だったことは、私も知らなくて、驚きました。アメリカ人はどんな料理にして食べていたのでしょうね?

「トム・ソーヤ」は私も大好きなラボ・ライブラリー、何度も取り組んだテーマ活動です。ラボっ子との苦い思い出、楽しい思い出もたくさんです。
25周年発表会のメッセージで、次女がテーマ活動を心から面白いと感じたのも、このテーマだったと語ってくれました。

日本では牡蠣といえば広島ですし、川が7つも流れているので、広島で育った私は子どもの頃から、川遊びやしじみ取り、鮎釣りなど川との関わりは多かったです。

今「スサノオ」に取り組んでいて(5月9日に発表予定)、小中学生が自分や家族で調べくれていて、ヤマタノオロチは川だった説や豪族同士の争いだった説、などが話題になり、表現にも取り入れていこうという意識も感じられてとても嬉しいです。
中国山地は鉄が採れ、オロチの腹には鉄サビ色の血が流れていたという表現は吹屋(*岡山県高梁市吹屋)でベンガラを作っていたこととも関わりを感じていますし、中国山地は、たたら製鉄が盛んで、備中(*倉敷市、総社市など岡山県西部)、長船(*岡山県瀬戸内市長船町)あたりも、刀剣作りが盛んであり、草薙の剣との関わりも感じて私の血が騒ぎます。

小4のラボっ子が、「ヤマタノオロチは尻尾に剣が入っていたから、血が出ていたんだと思う」という意見を出して、私はそんな風に考えたこともなかったので、驚きました。

 また、最近、私が初めて父に確認して気がついたことがあります。
私が小さい頃、父方の祖母が、東広島(西条の黒瀬町にあった、浅野家の本陣であった)古民家で、寝物語に語ってくれた「ヤマタノオロチ」のお話は、神話としてではなく、祖母も小さい頃にその母(毛利家に取り潰された井上家の子孫)から、代々語り継がれた広島県高田郡吉田町の昔話だったのではないかと推測しました。

地図を見ると、吉田町はちょうど、中国山地を挟んで奥出雲町の反対側だと気づいたんです。川も分水嶺を挟んで繋がっているので、ヤマタノオロチは、その土地の昔話であり、語り継がれて残っていたのも不思議ではないのかなと感じています。

 ラボ・ライブラリーの「スサノオ」を初めて聞いた時に、この物語が神話だったことに、私はすごく衝撃を受けました。
私にとってヤマタノオロチは、寝る時に聞くちょっと怖いけど、毎回聴きたいおばあちゃんが語ってくれるグリム童話や桃太郎のような語り継がれた昔話だったのです。
まさか、神話だったなんて!

そして、一つだけ、私が一番ハラハラして好きだった場面が、ラボ・ライブラリーにはないことにガッカリしたのです。
 何故、お酒だけでなく、わざわざ桟敷を作ったのか、ラボ・ライブラリーのお話では、その理由が説明できないということです。八つの桟敷を作ったのは何故だと思われますか?
スサノオがお酒と桟敷を作ってオロチ退治の作戦を立てますが、祖母の話では、八つの桶に入ったお酒の上に作った八つの桟敷の真ん中にクシイナダ姫を乗せて置き、ヤマタノオロチは、お酒ではなく、お酒に映ったクシイナダめがけて首を突っ込み、その結果、お酒を飲むことになり、酔っ払って寝てしまったのです。
クシイナダは、きっと震えながら、桟敷の上でスサノオを信じながらも、自分の運命を覚悟して、座っていたに違いありません。
このドキドキ感と作戦成功の達成感を聴きたくて、私は毎回、このお話をせがんでいました。

つまり、ヤマタノオロチはお酒が好きだったとか、お酒だとわかっていたのではなく、狙いはあくまでも、女の人・クシイナダ姫であり、まんまと作戦に引っかかり、初めて飲んだお酒に酔って寝てしまったのだと、私は思うのです。これは私の勝手な見解ですが、いかがでしょうか?

しかし、こんな話はラボっ子にはまだできず、コロナで練習も思うようにできず、練習不足の時間切れ、マスク越しで言葉も伝わりにくい状況で、発表は苦戦しそうです。

そして、矢部さんの宇喜多秀家の八丈島の記事も、面白く拝読しました。八丈島赦免花伝説は以前、拝読させて頂き、時を超えて今でも交流があるのかと驚き、感動しましたが、八丈島には、秀家と豪姫の石像も設置されていたのですね。八丈島へ行ってみたくなりました。

教科書で学ぶ歴史では、味わえない、歴史上の人物の生き様を知ることは、脈々と続く歴史を紐解くことで、学べることもあり、自分の生き方をも見返してみることにも繋がると感じております。
矢部さんにはいつも、その機会を頂き感謝しております。 いつか、また、お目にかかって、ゆっくりお話できる日を楽しみにしております。

ラボ・テューターKN


2021年5月9日
② たたら製鉄の技術と桃太郎伝説

ラボ・テューターKN様

たいへん詳しくかつ興味深いメールをいただき、おもしろく読みました。ありがとうございます。

今日は「スサノオ」の発表会だったのでしたね。コロナ禍のなか発表前の練習もおもいっきりできないような状況があったと思います。
満足なものにならなくても十分取り組みが出来たのではないでしょうか。というのは、先のメールで子どもたちの様子を知らせていただきましたので、いろいろと想像できます。

KNさんの幼いころ昔話として聴いて、ハラハラドキドキ心躍る思い出のお話は素晴らしいですねぇ。無意識の底に眠っていたものが突然によみがえったのですね。びっくりです。

・・・・・・・・・・・つまり、ヤマタノオロチはお酒が好きだったとか、お酒だとわかっていたのではなく、狙いはあくまでも、女の人、クシイナダ姫であり、まんまと作戦に引っかかり、初めて飲んだお酒に酔って寝てしまったのだと、私は思うのです。・・・・
その推理のほうが正しいように思えます。長い年月に伝承された昔話は大切な部分が消えてないすごさですね。

分水嶺をはさんで奥出雲の反対に位置する町にもスサノオの昔話があることは十分想像できます。
最近知ったのですが、岡山の赤磐の山奥(*旧赤磐郡吉井町)の方に、スサノオが血のついた剣を洗ったという血洗いの滝という名の場所があるのです。また近くにある石上布都魂(イソノカミフツミタマ)神社は、「ヤマタノオロチ」の物語の中でスサノオノミコトがオロチを退治した剣が、この神社に祀られたと言い伝えられてきました。その後、剣は崇神天皇によって奈良県天理市にある石上神宮へ移されたと言われ、現在はスサノオノミコトが祭神とされています。
このあたりも多分おなじような昔話が残っているのではないかと想像します。

中国山地は古来ずーっと鉄の産地ですですから(明治時代に八幡製鉄ができるまでは)それとの関係も深いと思います。
おっしゃるように「備前長船の名刀」(*刀剣の国宝・重要文化財の4割は備前長船といわれる流派のもの)も中国山地の製鉄技術なしには考えられませんよね。備中でも巨大な製鉄の遺跡が発見されたことも、よくご存知ですね。

桃太郎といえば岡山ですが、オニは製鉄技術をもってきた渡来人で、ヤマト政権は製鉄技術を手に入れたいために吉備津彦命(=桃太郎)を岡山に派遣したのです。
中国山地で、たたらから鉄をつくって農民たちに鍬などを提供して、感謝されて仲良く暮らしていたオニにとっては迷惑な戦いだったことでしょう。

オニ退治とは、製鉄技術を持っていなかったヤマト政権の必要不可欠な戦いだっただろうと思います。
鬼は温羅(うら)とも言います。岡山で夏に行われる「うらじゃおどり」は「温羅じゃ」踊りなのです。

矢部 顕


2021年5月16日
③ 近所の神社へ神さま探し

矢部 顕 様

 私の勝手なヤマタノオロチ解釈論に矢部さんが興味を持って下さり、ご賛同いただけたことに、すごく感激しております!!!

長年、マイ・パーティのラボっ子と「スサノオ」に取り組みたいと思ってきましたが、なかなかこのテーマを選んでくれず、25年経ってやっと機会に恵まれての実施でした。この子たちと取り組んでいなければ、私の幼少期の物語体験を振り返り、深く考えることもなかったし、矢部さんにお伝えしたいと、私のヤマタノオロチ解釈論も出てこなかったと思います。自分でも幼少期の物語体験が、潜在意識の奥でこんな思いにつながっていたことにびっくりしています。

 しかし、今回取り組むグループは大学生が1人で小中学生ばかり、しかもあまり多くない人数で、ことばや表現力が追いつかない年齢構成なので、取り組むことになったものの、興味を持ってくれるのか、どこまで理解できるのか心配でした。
そこで、近所の浅間神社へ、イースター・ピクニックと併せて、神様さがしをしようと思いつき、中学生と大学生が神社へ下見に行って、社務所で質問したり、境内をくまなく回ったりして全ての末社を調べたところ、コノハナサクヤだけでなく、スサノオ、イワナガヒメ、ホオリなども祀ってあり、そして、八坂神社、稲荷神社、香取神社や厳島神社まであったことに驚きました。幼児でも取り組めるオリジナル・クイズを中学生と大学生が作ってまとめてくれました。
3月2日当日は、集まったコミュニティセンターから、神社まで、体験にいらした11ヶ月の赤ちゃん親子(抱っこして最後まで参加)と3歳~大学生でぞろぞろ歩いて行き、中学生リーダーがグループを引き連れて全ての末社をお参りしながら、クイズに挑戦しました。神社の裏の保存されている松林でお弁当を食べ、イースター・エッグ・ハントもやってくたくたになって歩いて帰りました。

この企画が功を奏したのか、思ったより、日本神話にはまったラボっ子、保護者が多く、ご家庭で古事記の本や漫画を購入したり、借りたりして、自ら学んで考え、意見を出してくれるようになって、話し合いがすごく深まりました。ラボ・スプリング・キャンプのテーマだった「スサノオ」に触れてきた中学生も、ヤマタノオロチは川の氾濫だった説など、みんなに伝えてくれて、表現につなげました。

発表後の今週のパーティでの振り返りで、スサノオはどんな神様か、このお話で伝えたいテーマは何かと問いかけたら、
あばれんぼう。あまえんぼう。昔は自己中、でも今はやさしい神。だれでも人を助けることができる。つよくてあらい神だけども、すこしやさしいところがある。やさしくて勇気のある神様。最初は自分勝手だったが、最後はやさしくなった。自分を見ているようだ(中学生)。

どうして、スサノオは変わったの? よくお話を聞き込んでいる小学生が中心で、いろんな話し合いの末、「スサノオをたよりきっているひとみがあった。」とナレーションがあるところで、クシイナダが好きになったから・・・守ってあげたいと思った。泣いているアシナズチ、テナズチを助けてあげたいと思ったから。
スサノオは成長した!

泣いている人や困っている人がいたら、みんなどうする?・・・・助けてあげたいと思う。
わがままで乱暴なラボっ子も、みんなの力になりたいと思った時に、がらりと変わり成長するということをみんな実感したようでした。

この仲間で古事記に向き合い、自分たちで調べ話し合いを深め、ヤマタノオロチを精一杯表現したことは、楽しく満足したテーマ活動だったようですが、英語が言えなくて悔しい、ナレーションがすらすら言えなくて、次回は・・・・という気持ちも大切にしたいです。そして、いつか、私のヤマタノオロチ解釈論をテーマ活動で表現してみたいと密かに夢みております。実現できる日が来るのは厳しそう・・・

 たたらについては、平成24年が、「古事記編纂1300年」でしたが、その年のテューター研修で物語「わだつみのいろこのみや」に取り組んでいたので、出雲へ旅行したくて、たまたま通りがかりの雲南市吉田町の菅谷たたら山内にある、菅谷高殿へ立ち寄りました。

www.tetsunorekishimura.or.jp/sugaya 菅谷たたら山内 - 公益財団法人 鉄の歴史村地域振興事業団 (tetsunorekishimura.or.jp)

見学しようとしたら、前日までで見学は終了。その日から、修復工事のため、2年くらい見学できないとわかってがっかりしましが、だめで元々と、工事の打ち合わせらしきことをやっている方に、あつかましく千葉から来たが見学できないかと伝えたら、特別に詳しい解説つきで見学させていただくことができました。私は修復工事前の最後の見学者です。山深い菅谷で、川やとい流しなども見学し、ヤマタノオロチはこの中国山地と川、鉄なんだとしみじみ実感しました。

宮崎駿さんが、「もののけ姫」のたたら場の場面を描くために、見学に来られて、ふいごのシーンを描いたとエピソードをお聞きしました。ふいごは番子という名前の役割で、2人で順番に引っ張るので、かわりばんこ という言葉ができたそうです。

 長船の刀剣博物館(*岡山県瀬戸内市長船町)や吉備津神社(備中国一の宮)、吉備津彦神社(備前国一の宮)、鬼ノ城(*岡山県総社市にある温羅伝説のある古代山城)も家族で訪れたことがありますよ。

「温羅じゃ」おどりは、残念ながらその時期にあわせて帰省したことがなく、まだ、生で観たことがありません。

血洗いの滝 は私も初めて知りました。コロナが終息したらいつか、どちらも行ってみたいと思っています。

ラボ・テューターKN


2021年5月21日
④ 『鉄をつくるー出雲のたたら』

ラボ・テューターKN様

神社探検での神さま探しのアイデアはスゴイ!
大学生中学生が事前に神主さんからお話を聴いて、当日は中学生がリーダーとなって、
小さな子からみんなでぞろぞろ歩き回って、事前に考えたクイズをやりながらの探検はすばらしい試みです。
ラボ物語ライブラリー『国生み』の導入としてのこんな企画をよくぞ思いついたものですね!!  しかも、近所の神社でできるのがすばらしい! こんな導入を今まで聞いたことがありませんでしたので、とても新鮮です。 子どもも親も、今まで側にある神社なのに、この度は新しい数々の発見をしたことでしょう。いっぱいお話を聞きたいものです。
島根県雲南市吉田町の菅谷たたら山内にある、菅谷高殿を訪ねたのもすばらしい。よくぞ、見学が出来てよかったですね。
わたくしも10年くらい前でしたか、現地を訪ねたことがあります。実際に製鉄をするときもあるようで、その時に見学したいなあ、と思っていましたが実現していません。
子ども向けの、日本の科学・技術史ものがたりシリーズ『鉄をつくる―出雲のたたら』(大竹三郎著、大日本図書刊、1981年初版)を読んで凄く感動した記憶があります。
ラボ物語ライブラリー『国生み』が刊行されたころだったでしょうか。子ども向けの本なので、大きな活字で漢字にはルビがうってあって、写真や図解がたくさんありとても解りやすい良い本です。
この本を読んで、菅屋のたたらに行ってみたいとずっと思っていたのです。お薦めの本です。発刊は古い本ですが図書館にあればいいのですが・・・、問い合わせてみてください。

このシリーズの本で『塩をつくる』にもとても刺激を受けて、私はラボたかしま海の学校(*岡山県笠岡市高島)で塩作りのプログラムを始めました。ラボたかしま海の学校は9泊10日の長期キャンプでしたので、その特徴を生かして、毎日毎日、ラボっ子たちが自ら作った塩田に海水をかけて天日干しをして、最終日に釜で煮込んで塩をつくるのです。おかあさんへのお土産として持って帰らせました。(ちょっと関係ない話になりましたね)

KNパーティの素敵な話題をお聞きできてとても嬉しく思いました。ありがとうございます。

矢部 顕


《矢部さんの注釈》
□「スサノオ」
ラボ物語ライブラリー『国生み』は、古事記から再話された「国生み」「スサノオ」「オオクニヌシ」「わだつみのいろこのみや」の4話構成でつくられている。
□テーマ活動
 物語を、子どもたちが異年齢構成のグループで言葉と身体で表現していく活動で、ラボ・パーティと呼ばれる毎週の集まりで実践されている。この教育現場を観察取材したのが『地域演劇教育論』(福田三津夫著)です。
□ラボ・テューター
 ラボ教育活動の指導者
□ラボっ子
 ラボ教育活動に参加している子どもたちの会員のことを言う。
□備中、備前、吹屋、長船、などの地名は、都度(* )で詳しい表記を入れていただきました。