後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔605〕マティアス・ヴェニガー博士「ナチスによってユダヤ人家庭から盗まれた銀の家宝を返す使命を担う」の巻

2023年07月27日 | テレビ・ラジオ・新聞
 このブログに再三登場していただいてるマティアス・ヴェニガー博士は、バイエルン国立博物館の学芸員です。福田緑の写真集『祈りの彫刻』全Ⅴ巻の発刊に際してはお世話になりっぱなしの恩人です。とりわけ第Ⅳ巻『完・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』では巻頭言をいただきました。ご自宅にも2回招いてくださり、親しくさせていただいています。
 そのヴェニガー博士の記事がThe Mainichi に掲載されました。緑の解説とともに紹介します。

■私たちの友人、ドイツ、ミュンヘンにあるバイエルン国立博物館のマティアス・ヴェニガー博士の記事が The Mainichi に掲載されたので紹介したいと思って書いています。彼がとても大事な仕事をしていることがわかり、とても忙しそうにしている理由に深く納得しました。
 以下、Deeple翻訳で訳した内容に手を加えて貼り付けました。福田 緑

https://mainichi.jp/english/articles/20230614/p2g/00m/0in/022000c
1 von 3 20.06.2023, 20:38


◆The Mainichi 2023年6月14日

ドイツ人学芸員、
ナチスによってユダヤ人家庭から盗まれた
銀の家宝を返す使命を担う

ミュンヘン(AP)--マティアス・ヴェニガー氏は、白い布の手袋をはめて変色した一対の銀の燭台を慎重に持ち上げ、その底に付いている黄ばんだステッカーを見つめた。

この燭台は、バイエルン国立博物館にある111点の銀製品の一点である。これらの銀製品は1939年の第三帝国時代にナチスがユダヤ人家庭から盗んだものだった。ナチスは政権を取ると、すべてのドイツ系ユダヤ人に対して彼らが所有している銀製品を質屋に持ち込むように命じた。これはユダヤ人を辱め、罰し、排除するために作られた多くの法律のひとつである。

1933年、ナチスがドイツで政権を握った後、ユダヤ人に対する差別と迫害が始まった。そして1945年にドイツが降伏して第二次世界大戦が終わるまでの間に、ナチスはヨーロッパのユダヤ人やその他の人々600万人を収容所(ホロコースト)で殺害するに至ったのだ。

ミュンヘンのバイエルン国立博物館の学芸員であり、返還活動を監督するヴェニガー氏は、できるだけ多くの銀製品を元の所有者の子孫に返還することを使命としている。
「質屋に持ち込まれたこれらの銀製品は、ホロコーストで一掃された人々から残された唯一の生存の証であることが多いのです」。ヴェニガー氏はAP通信のインタビューに答えた。そのインタビューは今後返還されるはずの銀食器が展示された博物館のワークショップで行われたものだった。
「それゆえ、遺族を探し出し、彼らに返還することが本当に重要なのです」と彼は付け加えた。

ユダヤ人家庭から持ち去られた何千もの品々は、約135トンの銀に溶かされ、ドイツの戦争を助けた。しかし、いくつかの博物館には、安息日の前夜にロウソクを灯すための燭台、ワインを祝福するためのキドゥシュ・カップ、銀のスプーン、ケーキ・サーバーなどの数百の銀製品が残されたのだった。

1950年代から1960年代にかけて、ホロコーストの生存者が名乗りを上げ、盗まれた品々を積極的に取り戻そうとすれば、返還されるものもあった。しかし、持ち主の多くはホロコーストで殺害されたり、またナチスから逃れることができたとしても、世界の遠く離れた場所で亡くなった。
「最後の所有者の3分の2はホロコーストを生き延びることができませんでした」とヴェニガー氏は言う。

ヴェニガー氏は、このような困難な状況にもかかわらず、綿密な調査、献身的な活動、そして歴史に関する深い知識を駆使して、これまでに約50点の品々を元の所有者の家族や親戚に返すことに成功した。
氏は、今年中に残りの遺品をほぼすべて返還できると確信している。

まず、彼は元の所有者の身元を探す。いくつかの作品に貼られている小さな黄ばんだ紙のステッカーが彼を助けているのだ。それは質屋によって貼られたもので、独裁政権と戦争の時代にあっても、ドイツ人の執拗な官僚主義が残っていたことを物語っている。ステッカーに書かれた番号は、80年以上前の文書にも銀製品の保存を諦めて質屋に差し出した人々の名前が記載されているのだ。時には、何世代にもわたって家族に受け継がれてきた愛着のある家宝でもある。

ヴェニガー氏は元の持ち主の名前を見つけると、ユダヤ人の死亡記事と系図のデータベースを調べ始める。直系の子孫やもっと遠い親戚がネット上に名前を載せているかもしれないと期待して。

「そうして電話帳を通じてある世代から次の世代への繋がっていき、LinkedIn、Facebook、InstagramやEメールアドレスなどなどが、その家族の若い世代に対応していくことになります。」
と研究者は説明した。
ほとんどの場合、ヴェニガーは幸運にも正しい親族を探し出すことができているという。

子孫の大半は米国とイスラエルに住んでいるが、同博物館はすでに、あるいは現在進行形でフランス、イギリス、オーストラリア、メキシコに住む遺族にも銀製品を返還している。
そしてヴェニガー氏は個人的に遺族に作品を届けるようにしているのだ。彼は今年の早い時期にアメリカに渡った。また先週はイスラエルの遺族に19点の品物を返還してきた。

そのイスラエルでヴェニガー氏は、テルアビブの北にあるクファール・シュマリャフの自宅を訪ね、ヒラ・グートマン(53歳)と彼女の父ベンジャミン・グートマン(86歳)に会い、小さな銀の杯を手渡した。

ヴェニガー氏は、マゲン・ダヴィッド・アドム(イスラエル版赤十字国際委員会)の追跡サービスの助けを借りて一家を探し出すことができたのだ。

この杯は、安息日の前夜にワインを祝福するキドゥシュに使われたものだと思われるが正確にはわかっていない。というのも、ベンジャミンの祖父母であるバイエルンの牛商人サロモン・グートマンとその妻カロリーナが元の所有者だったのだが、祖父母はナチスによってトレブリンカ絶滅収容所で殺されたからだ。
「この杯を取り戻すのは、私たちにとって複雑な気分でした。なぜなら、ご存じのようにそれが祖父母の唯一の遺品であるからです」と語った。
ベンジャミン・グートマンの祖父母はホロコーストで殺害されたが、彼らの息子マックス(ベンジャミンの父)は、ナチスから逃れてイギリス領のパレスチナ(現在のパレスチナ自治区)に逃れたため、生き延びたのだった。

銀の杯を失い、それを返された悲しみにもかかわらず、グートマン夫妻は、銀の杯を取り戻せたことを喜んでいる。そして9月のユダヤ暦の新年であるロシュ・ハシャナーには、親戚一同と共にこの銀の杯で儀式を行うことを計画してるという。

ヴェニガー氏について、グ-トマン夫妻は彼と彼の仕事を賞賛している。
「彼は本当に献身的です。」ヒラ・グートマンは言う。「彼はこの小さな杯をとても大切に扱っています。まるで聖なるもののように。」
                                       
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