後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔341〕脚本研究「森の会」の重鎮・東信男さんからのメールです。

2021年03月06日 | メール・便り・ミニコミ
 脚本研究のためのサークル「森の会」という小さな集まりがあります。その歴史は古く、日本演劇教育連盟創始者の1人、日本の演劇教育の理論を固めた冨田博之さんらが創立したものです。
 私がそこに月1回程度参加し始めたのは小学校の教師を自ら55歳でやめたときでした。2005年のことですからすでに十数年が経過しています。今はコロナ禍ということでしばし休会中です。リモート会議も話に出したのですが、やはり演劇に関わる同人からは対面を大切にする思いが伝わり再開を心待ちすることにしました。
 それでもしばらくぶりのメールのやり取りで、心は繋がっているんだなと確認したしだいです。

 東信男さんはかなり前から「森の会」に参加されている元小学校の先輩教師です。頻繁に新作脚本を読ませていただきました。人形劇に関する秀作が多かったように思います。
 その東さんに久しぶりのメールをいただき今回ブログに掲載させていただくことになりました。以前なら我々夫婦のミニコミ「啓」にこうした文章は掲載をお願いしたのですが、それも百号で廃刊になったことは以前ブログに書いたとおりです。

●東信男さんからのメール
 福田三津夫さん、メールありがとうございます。
 前に福田さんからいただいた『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(福田三津夫著、晩成書房)に、目を通しました。「今頃なんで?」と怒られそうですが、お許し下さい。
 とても面白かったのは、「定番、(ゾウさん)は、奥が深い」まど・みちお の詩の解釈と子供たちとの会話です。どんなに簡単な詩であっても、ちょっと立ち止まって考えてみると、見えないものが見えてくるものですね。そういう意味で、詩人の書くものは、とても奥が深いものだと改めて思います。

 私は、自分の教師生活を振りかっえて考えることがあります。福田さんの本の中で、あちこちに出てくる言葉に、ああ、そうだなあ、そうあらねばならない、などと思うことばかりです。自分は、悪い教師ではなかったと断言できるけれども、素晴らしい教師とはとても言えないことを重々感じます。でも、こればかりはやり直しはできないし、できることは、今自分の取り組んでいることに、精一杯頑張りたいということだけです。

 先日、テレビで林修の 「天才 大西拓磨」が紹介されていました。
 早くから天才ぶりが発揮されるのですが、周りの人はそのことに気がつかず、彼は、いじめに遭ったり、無視されたり…孤立を深めながらも、芸大にトップ入学する。しかし、半年で懲戒・退学という不名誉さえ受けるのです。現在はカフェ喫茶に住んでいながら、自分が世間に認められたことに少しばかり嬉しいけれども、少しばかりがっかりもしている。彼の現在の望みは、「3年前の自分と同じような人は、世の中には沢山いる。そういう光の当たらない人に、光を当てて欲しい、友達になってやって欲しい」彼に言わせれば、自分のような面白くない人間は、いたずらしたり、変わったことをして世間とコミュニケーションするしかない。ある意味、芸術は、ぼくのような人間の最後の砦のようなものだ。ぼくは、子供の頃から、何かをしてみたいと思ったことは、何一つない。
こんな話、とても面白いと思います。
 少しばかり私と似ているところもあり、そうだよなあ、別に他人と関わりたいと思うことはないなあ、そう思いながら、でも、なんとか世間とつながりたいという思いもあり…これが人間なのかも知れないと思っています。

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