今日(2023年2月10日)は朝から東京でも珍しく雪が降っています。大きな事故が起きなければ良いのですが。
トルコやシリアでは大地震、心が痛みます。そしてロシアがウクライナ侵略を開始してから2月24日で1年が経とうとしています。
日本では岸田内閣が安保3文書を決定し、軍事費2%、原発再稼働・新設を宣言しました。日本国憲法に違反する暴挙といわざるを得ません。
こんな情況のなかで、塚越敏雄さんから腰越九条ニュース198号が届きました。鎌田慧さんのコラムと合わせてお読みください。いずれも掲載許可済みです。
●おはようございます。
腰越九条ニュース198号ができましたので添付します。
本号では、安保3文書の危険性をなるべくわかりやすく書くよう
努力してみました。読んでいただけますと、ありがたいです。
t417mabui@nifty.com 塚越敏雄
◆巨大な環境破壊装置=原発
鎌田 慧(ルポライター)
車窓の向こうに、遠く墓石が立ち並ぶのが見えた。急に忘れていた歌
が蘇った。「故郷の街焼かれ身寄りの骨埋めし焼土に今は白い花咲く」
(原爆を許すまじ)。爆発した福島原発構内を視察するツアーバスの中
だった。
避難先で亡くなった人たちは、故郷の墓地に帰れたのか。放射線に
侵されていないだろうか。
「原子力明るい未来のエネルギー」。小学生の時に、この標語を作ら
された大沼勇治さんと防護服姿で、被災後の双葉町を歩いたことがあった。
が、そのときは、地震で倒壊、崩れ落ちたまま無念の表情の町並みに
圧倒され、避難者のその後を考える余裕はなかった。
大事故から12年。「復興」。それが故郷を喪失した人びとにとっての
希望だが、バスで通過するだけでも、耕作が放棄され、荒れ果てた
田んぼや畑の延々とした広がりに気落ちさせられる。
かつて地表から剥がされた放射性汚染土は、フレコンバッグに詰め
込まれ、真っ黒な山を築いていた。今、それらは「中間貯蔵施設」と
いう1600ヘクタールの元農地などに運ばれ分別され、15メートルの
茶色い台地を形成しでいる。22年後に県外最終処分場へ運ばれる、とか。
一方の原発構内、タンク1000基以上に溜まった汚染水は除去できない
トリチウムを含んだまま30年間海洋投棄する。
この巨大な環境破壊装置を岸田内閣はさらに増強するという。
(1月17日「東京新聞」朝刊「本音のコラム」)
◆ 沈思実行(131)
絶望の再処理工場−青森・六カ所
いま、2兆円を投じてなお、立ち腐れの状態
鎌田慧
「閣議決定」といえば、なにか政府の重大な決めごとにように思える。
が、ドミノ式に解任、辞任がつづき、継ぎはぎだらけ。ひょろひょろ、
へっぴり腰の、岸田浮遊内閣の決定など、実現性はすくない。
たとえば、「原発の新・増設」。これから、どこへ、なん基建設する
のか。地域独占会社で、湯水のようにカネをバラまいてきた電力会社
とはいえ、将来性のない原発を、首相に言われた通り、いまから採算無視
でやるのだろうか。最終処分地をどうするのか、をまじめに考えるほうが
先決のはずだ。
本命は巨費を投じてたち腐れの老朽原発を、危険をも省みず、すこし
でもはやく、すこしでも永く、稼働させて元を取りたいだけだ。
原発の最大のネックは、青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場が、
にっちもさっちも行かないことだ。着工してからこの4月で30年記念に
なる。が、いまだに未完成の巨大施設。歴史的な建造物といえる。民間
企業だが、経費は各電力会社の電気代に上乗せして、回収されている。
だから、プルトニウムを抽出し、廃棄物をガラス固化体にして搬出する、
とする工程が完成しなくとも、倒産もせず、会社は存続している。六ヶ
所村は、1969年に閣議決定された「新全国開発計画」(新全総)の目玉
だった。
朝日を浴びて、太平洋に添ったひょろ長い県道を農民たちのデモ行進
が行く。人びとは眩しそうに目を細めて歩いていた。はじめてのデモが
恥ずかしかったからだ。「巨大開発反対」のデモだった。
1971年10月、県知事が村の中学校にやってきた。会場に入れないひと
たちは講堂を取り巻いて声をあげていた。「だまされねーぞッ」「この
山師ものッ」。
説明会が終わって、知事が外に出てきた。ベンツの乗用車が走りだす
と、後ろからこぶし2個分の石が、わたしの頭上を飛んでいった。リア
ウィンドウに命中した。が、頑丈な窓ガラスがそれをはね除けた。
防弾ガラスだった。
再処理工場の前史。いま、工場は2兆円を投じてなお、立ち腐れの
状態だ。
(週刊「新社会」2023年1月18日)
◆民意を踏みつぶす国政
鎌田 慧(ルポライター)
本人の同意をえていないのに、力ずくで手術する、としたなら、それは
重大な犯罪行為である。10年前の1月27日、沖縄県すべての市町村の長と
議会議長が銀座をデモ行進した。住宅地に近接、騒音被害、危険いっぱい
の普天間飛行場を移設する、という名目による「辺野古新基地建最設」。
この米軍基地の新増設、大工事計画にたいする反対の行進だった。
これらの首長たちは翌日、署名捺印の「建白書」を当時の安倍晋三首相
に提出した。1月27日は、この晴れやかな、歴弁史的な決起の記念日である。
が、そのあと、反対を公約にして当選していた仲井真弘多知事は安倍首
相と会見して突然、辺野古埋め立て促進に転向した。
この裏切りは重く、次回選挙は決然と反対表明、立候補した翁長雄志那
覇市長に、10万票もの大差をつけられて敗退。
それからの2回の県知事選挙でも辺野古建設反対候補が圧勝、2019年
2月の県民投票でも72%が建設反対である。
辺野古での座り込みに参加して、挨拶を要請されても辞退してきたの
は、沖縄を犠牲にして、その解決に努力していない、と想いがあったからだ。
27日(金)日比谷野外音楽堂午後6時半。「建白書10年。沖縄の民意を
日本の民意へ集会」デモがあります。発言者。金平茂紀、西谷修、
元山仁士郎、鎌田など。
(1月24日「東京新聞」「本音のコラム」)
◆二つの滑走路(馬毛島に滑走路建設、下地島の3000m滑走路)
鎌田 慧(ルポライター)
藩主・津軽為信の銅像が横に寝かされ、道を曳かれて行くのを眺めて
いえ兜をかぶって武装、威厳を保った表情の銅像が、溶解され、弾丸を
生産するために「供出」されることになったのだ。
敗戦の少し前、幼稚園児だった私は、道端で大人たちの前に立って、
その行列を見送っていた。城跡本丸の中央に立っていた銅像は帰ること
はなかった。台座だけが未練がましく、何十年も残されてあった。
それぞれの家庭でもなけなしの金物を供出した。「総力戦」だった。
欲しがりません勝つまでは。が、敗戦となった。
軍需工場は兵器をナベカマに造り直して糊口を凌ぎ、朝鮮戦争が勃発
してにわかに米軍用の「特需」となって、また軍需生産。
と、急に昔を思いだしたのは、鹿児島県種子島そばの馬毛島に、いき
なり自衛隊が滑走路建設開始のニュース。20年ほど前、平和な無人島
だった。戦時中のコンクリート製トーチカが残っていた。銃眼が不気味
だった。
さらに、沖縄・宮古島から長い橋を渡って辿り着く、下地島での米海
兵隊の軍事訓練要求。民間航空会社のパイロツト養成訓練に使われた、
3000m滑走路を見学したことがある。軍用に転換させられないか不安
に思った。ついに「台湾有事=日本有事」。沖縄軍事化の大宣伝。
おまえの物は俺の物、俺の物は俺の物。
その人権無視、強欲が戦争だ。
(1月31日「東京新聞」「本音のコラム」)
トルコやシリアでは大地震、心が痛みます。そしてロシアがウクライナ侵略を開始してから2月24日で1年が経とうとしています。
日本では岸田内閣が安保3文書を決定し、軍事費2%、原発再稼働・新設を宣言しました。日本国憲法に違反する暴挙といわざるを得ません。
こんな情況のなかで、塚越敏雄さんから腰越九条ニュース198号が届きました。鎌田慧さんのコラムと合わせてお読みください。いずれも掲載許可済みです。
●おはようございます。
腰越九条ニュース198号ができましたので添付します。
本号では、安保3文書の危険性をなるべくわかりやすく書くよう
努力してみました。読んでいただけますと、ありがたいです。
t417mabui@nifty.com 塚越敏雄
◆巨大な環境破壊装置=原発
鎌田 慧(ルポライター)
車窓の向こうに、遠く墓石が立ち並ぶのが見えた。急に忘れていた歌
が蘇った。「故郷の街焼かれ身寄りの骨埋めし焼土に今は白い花咲く」
(原爆を許すまじ)。爆発した福島原発構内を視察するツアーバスの中
だった。
避難先で亡くなった人たちは、故郷の墓地に帰れたのか。放射線に
侵されていないだろうか。
「原子力明るい未来のエネルギー」。小学生の時に、この標語を作ら
された大沼勇治さんと防護服姿で、被災後の双葉町を歩いたことがあった。
が、そのときは、地震で倒壊、崩れ落ちたまま無念の表情の町並みに
圧倒され、避難者のその後を考える余裕はなかった。
大事故から12年。「復興」。それが故郷を喪失した人びとにとっての
希望だが、バスで通過するだけでも、耕作が放棄され、荒れ果てた
田んぼや畑の延々とした広がりに気落ちさせられる。
かつて地表から剥がされた放射性汚染土は、フレコンバッグに詰め
込まれ、真っ黒な山を築いていた。今、それらは「中間貯蔵施設」と
いう1600ヘクタールの元農地などに運ばれ分別され、15メートルの
茶色い台地を形成しでいる。22年後に県外最終処分場へ運ばれる、とか。
一方の原発構内、タンク1000基以上に溜まった汚染水は除去できない
トリチウムを含んだまま30年間海洋投棄する。
この巨大な環境破壊装置を岸田内閣はさらに増強するという。
(1月17日「東京新聞」朝刊「本音のコラム」)
◆ 沈思実行(131)
絶望の再処理工場−青森・六カ所
いま、2兆円を投じてなお、立ち腐れの状態
鎌田慧
「閣議決定」といえば、なにか政府の重大な決めごとにように思える。
が、ドミノ式に解任、辞任がつづき、継ぎはぎだらけ。ひょろひょろ、
へっぴり腰の、岸田浮遊内閣の決定など、実現性はすくない。
たとえば、「原発の新・増設」。これから、どこへ、なん基建設する
のか。地域独占会社で、湯水のようにカネをバラまいてきた電力会社
とはいえ、将来性のない原発を、首相に言われた通り、いまから採算無視
でやるのだろうか。最終処分地をどうするのか、をまじめに考えるほうが
先決のはずだ。
本命は巨費を投じてたち腐れの老朽原発を、危険をも省みず、すこし
でもはやく、すこしでも永く、稼働させて元を取りたいだけだ。
原発の最大のネックは、青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場が、
にっちもさっちも行かないことだ。着工してからこの4月で30年記念に
なる。が、いまだに未完成の巨大施設。歴史的な建造物といえる。民間
企業だが、経費は各電力会社の電気代に上乗せして、回収されている。
だから、プルトニウムを抽出し、廃棄物をガラス固化体にして搬出する、
とする工程が完成しなくとも、倒産もせず、会社は存続している。六ヶ
所村は、1969年に閣議決定された「新全国開発計画」(新全総)の目玉
だった。
朝日を浴びて、太平洋に添ったひょろ長い県道を農民たちのデモ行進
が行く。人びとは眩しそうに目を細めて歩いていた。はじめてのデモが
恥ずかしかったからだ。「巨大開発反対」のデモだった。
1971年10月、県知事が村の中学校にやってきた。会場に入れないひと
たちは講堂を取り巻いて声をあげていた。「だまされねーぞッ」「この
山師ものッ」。
説明会が終わって、知事が外に出てきた。ベンツの乗用車が走りだす
と、後ろからこぶし2個分の石が、わたしの頭上を飛んでいった。リア
ウィンドウに命中した。が、頑丈な窓ガラスがそれをはね除けた。
防弾ガラスだった。
再処理工場の前史。いま、工場は2兆円を投じてなお、立ち腐れの
状態だ。
(週刊「新社会」2023年1月18日)
◆民意を踏みつぶす国政
鎌田 慧(ルポライター)
本人の同意をえていないのに、力ずくで手術する、としたなら、それは
重大な犯罪行為である。10年前の1月27日、沖縄県すべての市町村の長と
議会議長が銀座をデモ行進した。住宅地に近接、騒音被害、危険いっぱい
の普天間飛行場を移設する、という名目による「辺野古新基地建最設」。
この米軍基地の新増設、大工事計画にたいする反対の行進だった。
これらの首長たちは翌日、署名捺印の「建白書」を当時の安倍晋三首相
に提出した。1月27日は、この晴れやかな、歴弁史的な決起の記念日である。
が、そのあと、反対を公約にして当選していた仲井真弘多知事は安倍首
相と会見して突然、辺野古埋め立て促進に転向した。
この裏切りは重く、次回選挙は決然と反対表明、立候補した翁長雄志那
覇市長に、10万票もの大差をつけられて敗退。
それからの2回の県知事選挙でも辺野古建設反対候補が圧勝、2019年
2月の県民投票でも72%が建設反対である。
辺野古での座り込みに参加して、挨拶を要請されても辞退してきたの
は、沖縄を犠牲にして、その解決に努力していない、と想いがあったからだ。
27日(金)日比谷野外音楽堂午後6時半。「建白書10年。沖縄の民意を
日本の民意へ集会」デモがあります。発言者。金平茂紀、西谷修、
元山仁士郎、鎌田など。
(1月24日「東京新聞」「本音のコラム」)
◆二つの滑走路(馬毛島に滑走路建設、下地島の3000m滑走路)
鎌田 慧(ルポライター)
藩主・津軽為信の銅像が横に寝かされ、道を曳かれて行くのを眺めて
いえ兜をかぶって武装、威厳を保った表情の銅像が、溶解され、弾丸を
生産するために「供出」されることになったのだ。
敗戦の少し前、幼稚園児だった私は、道端で大人たちの前に立って、
その行列を見送っていた。城跡本丸の中央に立っていた銅像は帰ること
はなかった。台座だけが未練がましく、何十年も残されてあった。
それぞれの家庭でもなけなしの金物を供出した。「総力戦」だった。
欲しがりません勝つまでは。が、敗戦となった。
軍需工場は兵器をナベカマに造り直して糊口を凌ぎ、朝鮮戦争が勃発
してにわかに米軍用の「特需」となって、また軍需生産。
と、急に昔を思いだしたのは、鹿児島県種子島そばの馬毛島に、いき
なり自衛隊が滑走路建設開始のニュース。20年ほど前、平和な無人島
だった。戦時中のコンクリート製トーチカが残っていた。銃眼が不気味
だった。
さらに、沖縄・宮古島から長い橋を渡って辿り着く、下地島での米海
兵隊の軍事訓練要求。民間航空会社のパイロツト養成訓練に使われた、
3000m滑走路を見学したことがある。軍用に転換させられないか不安
に思った。ついに「台湾有事=日本有事」。沖縄軍事化の大宣伝。
おまえの物は俺の物、俺の物は俺の物。
その人権無視、強欲が戦争だ。
(1月31日「東京新聞」「本音のコラム」)