68 平安京 68代 通算 117 代 後桜町天皇
在位 1747年~1762年
業績(事件) 現在のところの最後の女性天皇
父 桜町天皇
別称 以茶宮
死因 不明
御陵 月輪陵
宝算 74歳
女性天皇は、推古・皇極(重祚して斉明)・持統・元明・元正・孝謙(重祚して称徳)ここまですべて奈良時代以前だ。それ以降は、後水尾天皇が突然退位した後の、明正天皇。そして今回の後桜町天皇。いずれも次期天皇が幼少で、つなぎの天皇だ。これを中天皇(なかのすめらみこと)と言う。
因みに、神功皇后が即位していたと言う説はあるが、歴史上「皇后」扱いだ。また、現在は、男系男子に限定しているので女性天皇は、この天皇が最後となる。実に、平安時代以降、800年近く男系男子でつないできたのだ。今後も簡単に女性天皇を容認すべきではないと言う意見はここから来ている。
年表を確認しても、京都に大事件はなく 文化的には円山応挙の活躍の時代だ。また白隠が萬福寺を再興した時期でもあった。そして、甥の13歳の成長を待って後桃園天皇につないだ。愛情深く文化的素養にも長けた方であったようで、院政をもって若き天皇を指導した。その後、さらに光格天皇即位後も、傍系からの天皇にも関わらず親身に指導し「国母」と呼ばれた。光格天皇が父閑院宮に天皇尊号を送ろうと幕府と対立した時には、「御代長久が第一の孝行」(あなたが長く安定して天皇でいる事が一番の孝行ですよ。)と言って諭した。やはり天皇は、男性であれ女性であれ日本国を考えていた。