エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空と花

2009年10月30日 | 日記
今日ぼくは芝浦に出かけた。
午後である。

田町駅を出て、海岸側に歩いていくと最初の交差点に花壇が設(しつら)えてある。

サルビア、マリーゴールドなど色彩豊かである。
管理は大変だろうけれど、色の少なくなるこの時期続けて欲しいものである。



その脇を運河がゆっくりと流れている。



三島由紀夫の「午後の曳航」という小説が思い起こされたのである。
芝浦はそういった文学的な匂いが漂っている。
江戸の市井を描いたり、運河沿いの人の歴史だとか、あるいはまた海と人との関わりなどが想起されて楽しいのである。

空は、掃いたような雲が遊弋(ゆうよく)している。



右下に飛行船が浮かんでいる。
「ダイワ・ハウチュ」の広告船である。



駅で降りて左側を見たら山茶花が咲き競っていた。



白とピンクのコンビネーションが可愛らしかったのである。






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                    荒野人

秋は夜にあり!

2009年10月30日 | 日記
昨夜の帰宅は日暮れてからであった。
8時過ぎだったのだけれど、植え込みに秋を見つけたのである。



ススキの穂先が目にも鮮やかである。
こうした気配は心の目を澄まさないと見えてこない。




            秋の寝床


        秋の寝床は帳(とばり)が下りてから幕開く
        秋の夜は人肌の温もりがたまらなく沁みてくる
        秋の恋は密(ひそ)やかで秘めやかな抱擁であるのだ
        きみの光輝く額の汗が
        ぼくのたるんだ贅肉(ぜいにく)に一滴の刺激を与えてくれる
        秋の寝床は美しくも悲しい物語を紡(つむ)いで横たわっている






まゆみの葉っぱである。



まゆみの実である。
もう少しすると、この実がパクッと割れて真っ赤な種子が顔を覗かせる。

さて、夜の秋はモノクロであるだけに印象は鮮烈である。
ストロボで色彩を蘇らせたが、やはり夜の女王は微笑んでくれないのである。
自分の心眼で見ることが肝要であるのだ。

山はぜを下から見上げてみた。



誰が架けたのかビニール傘が枝に下げられている。
赤い葉と未だに青い葉。
共存する美しさもあると改めて知った。

この密集した山はぜの葉が、逐次紅葉して落ちていく。
そのプロセスをしばらく楽しめるのである。

夜の散策も楽しいかもしれない。
ただ、ストロボを無闇に発して誤解を受けないようにしなければならないのである。
その配慮が・・・面倒くさい。

この社会、安心して自分が思うように生きていけないのである。



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