昨日は、終日「鈍色(にびいろ)」の空であった。
しかし、鈍色の下は「ものみなすべて」あわあわとして美しく見える。

街灯は、午後4時半に燈った。
冬薔薇は、哀しく見える。

華やかなはずの薔薇である。

「鈍色の空よりしずく冬そうび」

ふゆそうび・・・。
そう声に出してみる。
花と一体化する声韻。
「ふゆばら」と読んでいけないのだと知れる。

この薔薇を、誰に重ねようか。

そうだ・・・楽器のような声の君に重ねよう。
時として「ピッコロ」である「フルート」である。
時として、激しく打ち鳴らされる「ティンパニー」であって、ぼくはソット・ヴオーチェで合わせる。
チェロのようであり、ヴイオラのようでもある。
だがしかし、ころころと転がる声はソプラノである。

それにしても、鈍色の下の薔薇園は寂しい。
荒 野人
しかし、鈍色の下は「ものみなすべて」あわあわとして美しく見える。

街灯は、午後4時半に燈った。
冬薔薇は、哀しく見える。

華やかなはずの薔薇である。

「鈍色の空よりしずく冬そうび」

ふゆそうび・・・。
そう声に出してみる。
花と一体化する声韻。
「ふゆばら」と読んでいけないのだと知れる。

この薔薇を、誰に重ねようか。

そうだ・・・楽器のような声の君に重ねよう。
時として「ピッコロ」である「フルート」である。
時として、激しく打ち鳴らされる「ティンパニー」であって、ぼくはソット・ヴオーチェで合わせる。
チェロのようであり、ヴイオラのようでもある。
だがしかし、ころころと転がる声はソプラノである。

それにしても、鈍色の下の薔薇園は寂しい。
荒 野人