今日から11月である。
正に月日は流れるが如く行く。
月日は百代の過客である。
軽井沢に秋が満ちている。
色が満ちているのである。
鮮やかな色彩の祭典だ。
だがしかし、この季節が終われば白と灰色の静謐な空間に変わっていく。
それが避暑地の宿命である。
奥深さと、ある意味で人の上辺(うわべ)を撫でる恐怖が共存する軽井沢である。
丁度いま、紅葉のグラデーションが美しい。
とりわけ、水面に映る色彩が秀逸である。
「眩しいと手をかざしおる紅葉かな」
「峻烈の大気に変わる冬隣」
余りにも心の琴線に触れる。
だから・・・と言っては不遜だけれど俳句が詠めない。
力量の不足である。
同時に、素直に森羅万象を見つめられない「訳知り」の自信過剰の資産である。
この場所は、レーク・ガーデンである。
寒さは、風の強さである。
このオープンで軽い食事を頂いた。
モミジの落ち葉が一片、ぼくのスペースに迷い込んできた。
荒 野人
正に月日は流れるが如く行く。
月日は百代の過客である。
軽井沢に秋が満ちている。
色が満ちているのである。
鮮やかな色彩の祭典だ。
だがしかし、この季節が終われば白と灰色の静謐な空間に変わっていく。
それが避暑地の宿命である。
奥深さと、ある意味で人の上辺(うわべ)を撫でる恐怖が共存する軽井沢である。
丁度いま、紅葉のグラデーションが美しい。
とりわけ、水面に映る色彩が秀逸である。
「眩しいと手をかざしおる紅葉かな」
「峻烈の大気に変わる冬隣」
余りにも心の琴線に触れる。
だから・・・と言っては不遜だけれど俳句が詠めない。
力量の不足である。
同時に、素直に森羅万象を見つめられない「訳知り」の自信過剰の資産である。
この場所は、レーク・ガーデンである。
寒さは、風の強さである。
このオープンで軽い食事を頂いた。
モミジの落ち葉が一片、ぼくのスペースに迷い込んできた。
荒 野人