仁寺洞の骨董街としての歴史は、極めて明らかである。
李王朝の支配層「両班(やんばん)」が住んでいた地域である。
この仁寺洞の隣りは、王宮(景福宮)である。
仁寺洞はソウルの中心部にあり、朝鮮王朝時代(1392年 - 1910年)には王宮に勤める両班たちが住む屋敷が立ち並んでいたのである。
今でも古い韓屋が仁寺洞付近に多く残っている。
19世紀末には困窮した両班たちが伝来の品を売り払う店を開き、以来ソウル在住の外国人たちが訪れる骨董品売買の街となってきたのである。
ぼくが仁寺洞を散策した日、幼稚園児であろうか保母さんに連れられてお散歩の最中であった。
どこの国も子どもは可愛らしい。
未来の大いなる希望である。
健やかに育てと願うのである。
骨董品が歩道にまではみ出して売られている。
誰も文句を言わないのだ。
店先も強引に商品が並んでいる。
骨董品だけでなく、今風のディスプレィも売っているのである。
室内の間接照明としては、なかなかお洒落である。
どのように使うのかセンスが問われるランプである。
ぼくは、これを買い求めて部屋に持ち込む勇気はないけれど、一度はこの照明で安らいでみたいものである。
以前には無かった漢方の生材を売っている店先である。
まったくもう!といった感じであろうか。
なんだか、仁寺洞では無いようでもある。
ただいま開店準備中だ。
このビルも比較的新しい。
現在、仁寺洞のメイン・ストリートの改修中である。
次に来るとき、どのように変化しているだろうか。
街のイメージを大切に残してほしいものである。
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荒野人
李王朝の支配層「両班(やんばん)」が住んでいた地域である。
この仁寺洞の隣りは、王宮(景福宮)である。
仁寺洞はソウルの中心部にあり、朝鮮王朝時代(1392年 - 1910年)には王宮に勤める両班たちが住む屋敷が立ち並んでいたのである。
今でも古い韓屋が仁寺洞付近に多く残っている。
19世紀末には困窮した両班たちが伝来の品を売り払う店を開き、以来ソウル在住の外国人たちが訪れる骨董品売買の街となってきたのである。
ぼくが仁寺洞を散策した日、幼稚園児であろうか保母さんに連れられてお散歩の最中であった。
どこの国も子どもは可愛らしい。
未来の大いなる希望である。
健やかに育てと願うのである。
骨董品が歩道にまではみ出して売られている。
誰も文句を言わないのだ。
店先も強引に商品が並んでいる。
骨董品だけでなく、今風のディスプレィも売っているのである。
室内の間接照明としては、なかなかお洒落である。
どのように使うのかセンスが問われるランプである。
ぼくは、これを買い求めて部屋に持ち込む勇気はないけれど、一度はこの照明で安らいでみたいものである。
以前には無かった漢方の生材を売っている店先である。
まったくもう!といった感じであろうか。
なんだか、仁寺洞では無いようでもある。
ただいま開店準備中だ。
このビルも比較的新しい。
現在、仁寺洞のメイン・ストリートの改修中である。
次に来るとき、どのように変化しているだろうか。
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