エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ヤマボウシの実

2015年09月07日 | ポエム
秋雨前線が列島に停滞している。
加えて、遥か日付変更線辺りにハリケーンから台風となった17号が列島を狙っている。

昨日は、夕方6時頃から瀟々と雨が降り出した。
今日もまた、今のところは降っていないけれど雨模様である。

ぼくは、まだ痛みと闘っている。
今月末には、大きな山を越えるのだろうと期待している。
お風呂には入れない。
シャワーで汗を流している傷は、殆ど瘡蓋になっている。
ただ、足首にかけてしびれが残っている。
胸の傷は、疼痛とも言える痛みが続いている。

家に座り込んでいたからと云って、痛みが収まる訳では無い。
リハビリを兼ねて、歩いている。
帰宅すると、下着が汗で濡れる程度の運動である。

従って、ブログの更新に意識が向かない。

昨日、歩く距離を少し伸ばした。
光が丘公園まで歩いた。
帰りはバスに乗った。

その道すがら「ヤマボウシの実」が色づき始めていたのである。
ヤマボウシの花は、夏。
その実は、仲秋の季語である。







赤き実のまったり熟す山法師





この赤い実は、ねっとりとして甘い。
ただし、種子には毒がある。

このところ涼しい。
ヤマボウシは、すっかり秋が深まって来たと勘違いしているのだろうか。



      荒 野人


昨日と今日

2015年09月03日 | ポエム
昨日と今日・・・暑さが戻って来たのだけれど、当分の間雨模様の予報である。
残暑と云って良いだろう。
ジメジメとしている。

手術の傷跡が、なかなか乾いてくれない。
かてて加えて、胸骨を断ち切ったその痛みが収まらない。

さて、病院に持参した本数冊を紹介しよう。
「歳時記・夏」「季寄せ」いずれも角川書店のもの。



退院後、ぼくの手元の歳時記は「秋」バージョンになっている。



この「季寄せ」は、最近リリースされた。
使い勝手の良い一冊である。

更に・・。



遠藤周作の小説「深い河」。



西脇順三郎詩集の「アンソロジー」一冊。



尾崎放哉と種田山頭火の評伝。
二人の生き様が鮮烈に描かれた一冊である。

術前に、西脇の詩集以外は読破した。

それぞれの本の脇に控えているのは、孫娘二人の代理でぼくを見守ってくれたレッサーパンダのぬいぐるみである。
ずっと、ぼくを見守ってくれた。

今日、ニュースでぼくの入院した病院の「心臓血管外科」の病棟とオペの様子が流れていた。
天皇の主治医で著名な、ゴッドハンドである。

ぼくの主治医もこのドクターであった。
執刀医は、この神の系譜に連なるドクター。
新しい命を授かった。



秋隣神の系譜の執刀医



ぼくの命の鼓動は、乱れることなく刻まれている。




        荒 野人

今朝の秋

2015年09月01日 | ポエム
夏休みを終る。
長く、且つ厳しい夏であった。

実はこの夏、病を克服する闘いの日々であった。
夏休みを使った闘病の日々だった、のである。

7月下旬、検査入院。
入院手術までの間隙を縫って、孫たちと奄美大島への旅。
入院の前日、伯母の通夜・告別式。

告別式の翌日入院。
立秋の前日であった。

そして手術・・・。
心臓バイパスである。
胸骨を切り、心臓を取り出す・・・。
冠動脈が三本とも詰まっていた。

実は、今もリハビリに励んでいる。
手術の痛みが、未だ除ききれない。
とりわけ、胸骨の痛みである。

一進一退の日々である。
今月の句会はおそらく、無理できないだろうと思っている。

入院から、まだ1ヶ月にならない。

退院後、近所を歩いた。






みむらさき音も光もため込んで




紫式部が色づき、秋が見えた。
風が匂う・・・。

猛暑日の中入院したのだけれど、退院してみれば秋の気配である。



病室の窓から、大夕焼が良く見えた。
窓からは、空が区切られているのだけれどぼくの空であった。



まだ、入院中と今までのメモを俳句にしきれていない。
しきれていないし、その「意欲がまだ湧いて来ない。

ブログは再会するけれど、毎日更新はできないかもしれない。
体調と相談しながら書き繋いでゆくつもりである・・・。



               荒 野人